お先にどうぞ。

先日『占いが好き』ってお話をさせて頂きました。
その時に、占いだけに頼るのではなく、本来の人としてこれくらいはやった方が良さそうじゃない?!っていう開運行動があるとも、お話しました。

私は、このいわゆる開運行動と言われているものを、しっかりやるのが好きです。
分かりやすく言うと、【日頃の行いが良いからじゃない】って言われるやつです。

私は、この2冊をバイブルにしています。
この2冊の中には、【日頃の行い】のお手本が、たくさん書いてあります。
なので、ちょっとでもラッキーな事が身に起こると、
「あ!日頃の行いのおかげで、良い事起きた♡ラッキー」
って思うようになりました。
お2人とも、占いの仕方は全然違えど、この2冊で教えてくださってる内容は、結構同じものが多かったりします。

その中の1つが、【お先にどうぞ】です。

これって、日本人特有の感性と言いますか、海外の方にはない感覚だと思うのです。
よくニュースでも耳にするのが、日本人はみんなちゃんと列に並び、順番を待てるから素晴らしいというもの。
私からしてみれば、小さい頃からそれが当たり前のように育ったため、素晴らしいなんて言われるようなものでも何でもないとさえ、思います。

しかし、この【お先にどうぞ】が奇しくも悲しい事件へと繋がってしまったことが起きました。

川崎幼稚園の事件

連日ニュースでも取り上げられていますが、園児が幼稚園バスに置き去りにされ、熱中症で亡くなってしまった事件です。

この女の子、持っていた水筒は空になり、あまりの暑さに服を脱いで助けを待っていた様子。

バスの形状上、クラクションを鳴らして助けを呼ぶ事は、可能っちゃ可能である。
みたいな報道もされていましたけど、3歳ですよ。
そんなことよりも、ちゃんと全員が降りたか、1分余分に取るくらいの念入りなチェックさえすればいいのでは?と思ってしまいます。

お先にどうぞ

日頃から、この女の子はそう教えられていたそうです。
『バスを降りる時は、お友達にお先にどうぞしてあげて。自分は最後に降りなさい。』と。
何も間違っちゃいない。
バスを降りる時、エレベーターを降りる時。
ちゃんとした順番が決められていないような空間で、我先にと降りるより、お先にどうぞと譲るくらいの心の余裕を持つように、私自身も日々気をつけています。

だから、この日もこの子は、バスを最後に降りるため、ずっと座っていたのだろう。
いつもの運転手さんと最後にバスを一緒に降りるというのが、この子のルーティンみたいなものだったのかもしれないです。

しかし、この日はいつもと違う運転手さん。
いつもと違う人だから、一緒に最後に降りてくれないかも知れない。
なんて、3歳の子が予防線をはることなんて出来ませんよね。

心が苦しくてたまらない

【お先にどうぞ】
という行為。
別に絶対やらなきゃいけないことじゃない。
だから、あの日一緒にバスに乗ってた子供達の中には、そんな事を知らない子だっているかも知れない。
でも、それも決して悪いことでもない。
園児がみんなで、【お先にどうぞ】と譲り合いしていたら、それはそれで驚いてしまいます。

だけど、たまたまいつも【お先にどうぞ】することが、自分の中で当たり前になってて、自分は最後に降りようとしていたら、降りられなくなってしまった。
人に順番を譲ることを普段からやっている子が、運転席からは死角となるような体制で、いすに寝そべってたりするだろうか。

3歳の頃から、【お先にどうぞ】が出来るような優しい子。
たった3年しか、生きられなかったなんて。
私はこれから、バスを降りる際に人に順番を譲る度に、この子を思い出すだろうな。

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