(創作大賞2024)大正浪漫チックな花嫁は恋する夫とお勉強がしたい【第二十六話】
藤孝様の『来てもいいよ』の合図にお返事すると、鏡で全身を最終点検して、隣の部屋へ行き、二人で『お勉強』に耽るのだった。
「あーぁ。 せっかく奥手の孝ちゃんの代わりに、天女のように愛らしく瑞々しい若妻と、睦み合えると思っていたのに」
征之介様は、藤孝様の反応を面白がっているみたいにニヤニヤする。
「征さんっ! 櫻子は、僕のものだ。
絶対に渡さないっ」
征之介様の言葉に怒って、しっかりと私を抱き寄せた藤孝様。
私もその広い背中に腕を回して、引き締まった胸の中に頬をうずめた。
「藤孝様っ……」
つい、昨晩の恍惚とした顔の藤孝様を思い出す。
夜毎に、私たちの相性は良くなっていくようで、こうやって藤孝様に抱きしめられると、もうすでに夜が来るのが待ち遠しい。
それにしても……征之介様をキッと睨んでいる藤孝様も、かっこいいっ。
私の夫は、世界で一番素敵だわ。
二人で、しかと抱き合っていると、征之介様は吹き出して笑いだした。
「ハハハハ。 こないだまで、ギクシャクした雰囲気だったのに、ずいぶん見せつけてくれるじゃないか。
見ろよ、若奥様の目は孝ちゃんにぞっこんだ」
藤孝様と抱き合ったまま顔を見合わせ、お互いに真っ赤になって、パッと離れる。
やだ、ぞっこんだなんて。
また顔に出ちゃってるのかしら?
「接吻(※キス)しているところでも描いてやろうか?
その先の絡みあいでも構わないぞ」
藤孝様は、更に顔を赤くして睨む。
その顔を予想通りといった表情で笑う征之介様は、次第に浅い笑いを収めて、小さくため息をついた。
「あーぁ。 俺は好きになる相手とは、結ばれない運命なのかもな」
美しい顔を皮肉気に歪めて、ひとり言のようにつぶやいた征之介様は、顎に手を当てる。
いまいち征之介様が、私に『好きだ』と言うのは、信ぴょう性が薄いのよね。
本気なのか、冗談なのか、わかりにくい。
征之介様は、前に好きな方がいらしたような口ぶりだけど……。
私と藤孝様みたいに、本当に好きあっている方っていらっしゃらないのかしら?
ドカッと椅子に腰かける征之介様を見ながら、初めて会った時からの違和感を考え直していた。
前に『俺が欲しいと思うものは、手に入らない』っておっしゃったのは、どういう意味なのかしら?
「うーん、そうだな……。
孝ちゃんも一緒に、絵のモデルになれ。
若妻のこの雰囲気を描きたい」
征之介様はいつの間にか、すっかり画家の顔つきになり、古いスケッチブックをめくった。
天才画家からの嬉しい提案に、征之介様が本気で好きな人がいるのかどうかの謎については、どこかへ飛んで行ってしまった。
まぁ! 藤孝様も私と一緒に描いてもらえるの?
すごく嬉しい。
「ひっ、人前で接吻はしませんっ」
真っ赤になった藤孝様が叫ぶと、征之介様はまた大きな声で笑った。
「ハハハっ。
君たち、似たもの夫婦だな」
うーん、たしかに私も以前、似たようなことで征之介様とお父様を笑わせた気がする。
「素描(※デッサン)から、やり直そう。
孝ちゃん、ソファーのひじ掛けに腰かけて。
若奥様は孝ちゃんの方を見て」
指示されるままに、私たちはソファーで姿勢を固まらせ、先日とは違って征之介様は一言も喋らずに、鉛筆を走らせる。
ソファーに座った私から見える、その征之介様の表情は、生き生きとしていて、絵を描くのが楽しくてたまらないように見えた。
初めてお会いした時は、この世はつまらないなんて仰っていたけれど。
なによ、すごく幸せそうじゃないの。
「おい、若妻、動くな」
征之介様は、厳しい視線で私を一瞥する。
つい顔を藤孝様の方から、征之介様の方へ動かし、ひじ置きにもたれかかった腕も組みかえてしまった。
だって、ずっと同じ格好って、疲れるんですもの。
「ワタクシ、『若妻』なんて名前ではなく、『櫻子』ですわ」
先日、二人だけの時は、ちゃんと『櫻子』と甘い声で呼んでらしたのに。
「じゃあ、櫻子。さっさと孝ちゃんの方へ向いて、右手を上にしろ」
先日の二人きりの時よりも、ずいぶん横柄な口調になった征之介様は、ニコリともせずに右手を動かす。
「櫻子、なんて呼び捨てにしていいのは、僕だけだ。征さん」
不機嫌そうに、腕を組み直した藤孝様が、征之介様に文句を言う。
「はいはい、櫻子若奥様で、いいんだな?
わかったから、大財閥一井家の藤孝若旦那様も、ポーズを変えるな」
面倒そうに丁寧な呼び方をしては、さっきから動いてばかりいる絵のモデルたちを注意する天才画家の様子に、私は思わず笑いだしてしまい、藤孝様も笑った。
真剣な表情でスケッチブックに向かっていた征之介様も、つられて肩を揺らしている。
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