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細切りキャベツ偏愛

この夏はとても暑くて、いろんな野菜の生産量と価格が乱高下した気がする。そして夏は長くて、10月も後半になろうというのに25度を超える日も多く、私は10月半ばでもまだ家の中で半袖でいたりした。

瀕死の野菜たち

いつも行く八百屋は、軒先で新鮮野菜を売っている。スーパーのように冷蔵庫やエアコンで温度管理するわけではないから、暑さがダイレクトに野菜を襲い、野菜たちのみずみずしさを奪っていく。八百屋のおじさんはその様子を見ながら、野菜がかわいそうだと嘆く。
これはもう売り物ならないから、持っていって美味しく食べてあげてよ、とおじさんがおまけをくれる。いつかは完熟しすぎてしまった4パック1箱分のいちじくをもらった。おまけをもらえるのは、とてもうれしいけれど、こんなに暑くなかったら、きっとまだ1〜2日は日持ちがして、おいしそうだねと誰かの手で選ばれておうちに連れ帰ってもらえたはずなのに。せっかくの新鮮で美味しい野菜や果物たちが、あっという間に傷んでしまうのは、私もとてもしのびなかった。

8月から9月は、私の大好きなサニーレタスも瀕死の様子だった。みずみずしさと食感の良さが好きで、ご飯でもパンでも、付け合わせサラダ的に、サニーレタスにたまねぎドレッシングをかけて、ほぼ毎日毎食のように食べる。いつもなら八百屋のおじさんのところで買えば、購入して冷蔵庫で4〜5日ピカピカなのに、1日であちこち傷みが出始めてしまった。おじさんもレタスの仕入れを減らし、そして価格もぐんぐん上がった。

店頭では、ちょうどその頃からキャベツが幅を効かせるようになった。玉ねぎドレッシングの相棒に、千切りキャベツも悪くない。キャベツはレタスよりも長持ちするし、お値段もレタスよりお手頃だった。

スタメンはタッパーいっぱいの細切りキャベツ

レタスの代わりに、私はキャベツの千切りを食べることにした。
せんぎり、といっても、とんかつ屋さんで出るような繊細で見事な細さではない。スライサーを使うわけでもなく、包丁で切るだけなので、細切りというほうが正しい。細切りなので、キャベツの葉がかたくてもなんてことない。それをとりあえずタッパーいっぱいに切って冷蔵庫に常備しておくことにした。

常備されている細切りキャベツとにんじんドレッシング

キャベツの細切りは、揚げ物の付け合わせにしたり、コールスローにしたりすることがほとんどだったが、レタスの代わりにスタメンとなった。

リズムの動きの没頭感

そしてここ2ヶ月ぐらい、毎日毎食のように、ご飯でもパンでも、付け合わせサラダ的に、ドレッシングと一緒に食べている。
春キャベツと違い、この時期のキャベツを生で食べると、まあまあかたい。
ドレッシングをかけて口いっぱいに細切りキャベツを頬張って噛み始めると、キャベツが硬ければ硬いほど、頭の中は私の咀嚼音は、他の音が聞こえなくなるほど大きく鳴り響く。
かみごたえも、キャベツが硬ければ硬いほど、強くなる。(顎関節症なんだから、そんなにムキになって噛んじゃいけないんだろうが)、一定のリズムで噛み続ける動きはとても心地いい。
その音とリズムに占領される数十秒、私はキャベツとだけ向き合い、そのおいしさで満たされる。それを、目の前に盛り付けた細切りキャベツがなくなるまで何度か繰り返す。口に含んだばかりのキャベツは、ドレッシングのおいしさに隠れて何の味もしない。食感だけだ。
しばらく噛んで、かみごたえも、ドレッシングのインパクトが口中に広がって収まり始める頃、キャベツの味がじわりじわりと滲み出てくる。

ドレッシングをかけた細切りキャベツが口の中でそこまできたとき、私は毎度
「おいしい……!」としみじみと味わうのだ。

レタスの代わりだったはずの細切りキャベツに、レタスを忘れるぐらいはまっている。


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