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空と海と、15日目
2019年5月10日
三十一番札所
三十二番札所
三十三番札所
三十四番札所
お寺はどうして高い場所に作るんだろうか。建てる?いや、建立する、か。
土地が安いから❓
山の上の方が、風情があるから❓
今日もしっかり山登りをした。
繰り返し言うけどアスファルトonlyもイヤだけど、歩きにくい山はもっとイヤだ。車のお遍路さんはこんな事を考えないんだろうな。
今朝は、準備していた朝ごはんを食べて6時前にホテルを出た。
6時5分の路面電車に飛び乗ろうとすると、知寄町(ちよりちょう)までしか行きませんよ!と車掌さんが言う。
そこは、途中の電停なのでNG。地理が分からないので、地名や電停名を言われもピンとこないので困るのだ。少し待って6時14分の電車に乗り、昨日のゴールの場所『もんじゅ通り』で下車。
ここから今日はスタートだ。
スーパーウルトラお遍路の中務茂平さんの時代は、宿まで電車で行って又戻るなんて有り得なかっただろう。それにしても何で歩き続けたのだろう・・・
やはり気になる。
人はどうしてとか、何の為とか、その意味や理由を知りたがる。それは基本的に興味があるからなので、そうでない人には無関心だ。
私は今、百年以上前の中務茂平さんに興味がある。だから、彼のことをずっと考えている。 アンデルセン童話の『赤い靴』のように、もう歩きを止められなくなったのだろうか。
そんな筈がない。寝るときは歩かないし、用を足すときだって止まるのだ。
本人も、歩き続けることが答えだ、みたいに目的などなかったりして・・・
目指す竹林寺は牧野植物園と隣接する。
この植物園は、高知県出身の植物学者・牧野富太郎博士の業績を顕彰した場所で、四季折々の表情を見せている。
私にはお笑いの場所だった。ここの話を聞いたり読んだりするとなぜか笑いが出た。
一番札所から順打ちだと歩きも3分の1を終えて、この辺でいっちょ笑いを挟んで置こうとする配慮?
な、訳ないか。
遍路道がまさに植物園の中にあったりとハチャメチャぶりは聞いていて、賑わっている家族連れの中にヒョイと部外者が現れる不自然な場所であるとも。
なんか昭和のドリフを思いだしていて、そこは他にはない面白い場所らしい。
しかし今朝は急ぐので笑いは要らないし、そもそも開館前なのだからひっそりと通り過ぎるだけのこと。
**笑いの中に入れない残念な思いは多少あるが、ま、仕方ない。笑うために植物園を通るんじゃないのだから。 **
ふと目の前に、『これから先は、牧野植物園の園地となります。入園には入園料が必要になりますので、窓口にお回りください。』のあとに、
(お遍路の方は植物園内をお通りいただけますが、施設内の立ち入りはご遠慮ください)とカッコ書きがあるではないか。そうか、タダ入りする人が居なくもないので、表示があるのだろう。しかし、お通りいただけますが立ち入りはご遠慮とは?植物園に入るのは確かであるが、楽しんだりせずにお遍路らしく淡々と歩けってこと❓
『 31番札所 竹林寺0.8㎞ ⇡ 』と公式看板があるので、間違いないのだ!
まだお眠りモードの植物園の前から、一つ一つ注意深く標識を確認しながら上がっていく。
グルグルとその中を複雑に横切っていくと、普は山登りと違いさすが植物園だけあって至る所に説明書きがあるのだった。
石垣にくっ付いた、緑の小さく丸いツブツブにも説明がある。
Emmaphyllum microphyllum マメヅタ (ウラボシ科)
当然のことかも知れないけど、ちょっと感動であった。
今はアプリなんかで直ぐに調べる術があるかも知れないが、こうしてアナログでいいじゃないか。ココに来る子供たちのなかに、もしかしたら、世の中の大発見を生む未来の植物博士が出るかもしれない。子供のアンテナは無限大だから、多くのものを見て、触らせ、そして感じることが図鑑から飛び出した意味を持つのだと、教頭先生みたいなことを考えていた。
そうしていても、小さな『へんろ道』の標識も、駅員さんみたいに一つ一つ指差し確認しながら歩いたのだった。
そろそろ竹林寺が見えそうな予感がした。すると、
は???
私は植物園の中に入っていて、目の前には鉄の柵があるではないか!
そして、その先に『竹林寺入口』と赤い看板がみえるのだ。こんなに注意深く歩いていたのに、植物園の中にいる?
どういう事⁉️
孫悟空がどれだけ飛んでも、お釈迦様の手から逃れられなかったアレか?とか、大袈裟に考えて頭は少し混乱気味。
朝の7時、まだスタッフも出てこない時間。
どうやって、向こう側に行けばいいのか。
柵の横から潜り抜けようと思ったけど、ダメだ。小さい子供やめっちゃ痩せた人だったら通れるかも。ザックを先に柵の外に投げ入れて自分はよじ登ればいいのに、考えが及ばない。
急いでいる日に限って!!と、鉄の柵を押すと、 すんなり開いた。
開くんじゃない・・・
柵の外に出た私は何もなかったように、竹林寺を打った。そこは植物園ほどではないがとても広く、大きな敷地の一部で5匹ほどの仔犬たちが必死でじゃれ合っているので、つい動画撮影した。
どこの仔犬なのかしら。
観覧料を払って見る立派そうな庭もあったが、もちろん見てない。このあと三十二番を打ったら渡し船を乗って、三十三番・雪溪寺と三十四番・種間寺を打ち土佐市内のビジネスホテルを目指すのだ。本当に急いでいたし、出費はNO。
余裕のないお遍路さんは、慌ただしかった。
三十二番・禅師峰寺(ぜんじぶじ)の納経所はこじんまりとした場所で、そこに居た女性2人がこの先の道を詳しく教えてくれた。
各納経所で道を尋ねると、次のお寺までの独自の地図をくれる。
ここでも詳しい地図をもらった。
女性たちは「今からだと、12時10分だね」と、渡し船の時間も読んでいた。
給茶機に三種類の冷たいお茶がお接待で飲めるようになっていた。その隣に懐かしいポン菓子が100円で売られていたので、一つ買って種崎渡船場に向かったのだった。
今でこそ『ポン菓子』と言うようになったが、成人するまで『ポンポン菓子』と言っていた。ある時期から、『ポン』が一つ多いことに違和感があり自ら訂正していたのだ。
ネットでも『ポンポン菓子』は検索できないので、幼いころに親が間違って使った言葉だろうと推測する。弾く音は『ポン』より『ポンポン』と繰り返した方がリアルだけど。
それと同じく、布巾(ふきん)のことを、ずっと『ふいきん』と言っていたのだ。
感覚的に『拭いた菌』ようなイメージでもあるが、それが間違った読み方だと知らなかったのだ。完全に母親の失態である。
納経所の人は十人十色。
今まで目も合わせない不思議な人が居たし、感じのイイ人もいる。そしてパートタイマーみたいな人もいて、5時になると「お疲れさまー」と言って帰る人を見た。採用するときは、筆字が上手いのが条件だったのだろうか・・・
八百屋さんでバナナを買い、荷物が少し重くなるのを感じた。その先に「もち蔵家」と書いたちょっと洒落た感じのわらびもち屋があった。
『本日完売』の木の札が立っている。
そこに駆け込んできた客に、「開店と同時に完売になるんです・・・」と店内から声が聞こえてきた。開店と同時に完売とは、どういう事?後で知るのだが、とろけるような有名なわらび餅らしい。
そんなに美味しいのね。息子が東京から帰ってくるときに、マツコの知らない世界で紹介されるものをもらい、その美味しさにビックリ。なかなか手に入らない、東京『かずや』の抹茶の練り物だったのを思い出していた。
お土産は、その人のセンスが分かる。
無言でいても頭の中はフル回転する。おそらく、動物園のゴリラやチンパンジーも人間に通じる言葉を発しないが、入園者を見て色々考えると思う。見ている側が、実は見られている。
スーパーの前の出店で昼食を購入するとお接待にオレンジを一つ付けてくれた。それを渡船の待合室で食べた。
●人気の宿『高知屋』
お遍路さんは無料で乗れる渡船『龍馬』を降りて、33番を打ち34番に行くため山を下りると、クモの巣が張っている。竹林寺で拝借した竹の柄の杖で、前を払いながら進んだ。昨日、YouTubeで上沼恵美子がスパイダーマンをスパイダースマンと言って周りが大笑いしたのを思い出した。
クモ繋がりだ。🕸🕷
疲れた体に笑いは活力となり、明日も歩けるかもしれないと希望になる。統計をみると70歳を過ぎたら1日に2回しか笑わないらしいから、そんなんじゃ希望を失いそうだ。だからお酒をひっかけては、たわいない事で笑って過ごしているのだろうか。
またまた菅さんだが、彼は結願しているので四国では認められていると聞く。しかし、そのお付きの人を引き連れてのお遍路は、一般の人とは確かに違うと思う。
道順も分かっているだろうし、何より重い荷物はあったのだろうか、洗濯なんか自身でしたのかなぁ、そしてお支払いは歳費からなので結局は税金?負け惜しみで考えるのだったが、1400㎞歩けた体力は認めたい。歩いていると、本当にいろいろ考える。自分との長い対話の旅でもある。
土佐市内に入った。
明日は宿に荷物を置いて三十五番・清滝寺まで打ち戻るルート。ビジネスホテルの素泊まり4.860円の部屋がなく、5.940円の部屋しか残ってなかった。高い、素泊まりなのに。
2食付きで6千円の民宿が多い中に。
でも仕方なかった。
食事の提供がないときは、自分で調達して宿に入る。それを思うとノジュカーの人たちは、毎回食事の心配までするのだから大変である。Hotel手前のスーパーで、とろろ蕎麦とおはぎとオレンジのジュレを購入。その先のパン屋ではフランスパン1本を買って、ようやくHotelのビルの前に着いた。
ゲーーーー😱
フロントは2階なの?疲労で脚がガクガクする。
宿に着く頃は、いつもヘロヘロになっている。エレベーターがあることに気付かず、疲れた体は匍匐前進でもするかのような感覚で、一歩そして又一歩と階段を上って2階のフロントに辿り着いたのだ。
**予約名を言うと、「お荷物を後ろへどうぞ」と言われる。 **
下ろしたくない。下ろしたら再び背負って又歩き出すのが大変な作業なのだ。特にこうして一日の最後の段階ではそうなのだ。
疲れまくっていても、宿帳みたいな欄に〈住所・氏名・年齢・連絡先・職業〉とあり、そこに記入させるのだった。最近は、メールアドレスの欄もある。
民宿は後で記入してもいいのだが、ことHotelとなるとビジネスであっても容赦なくチェックイン時に記入させる。
ま、それが決まりなんだろう。
でも、後でも良くない?と思いながら、福岡県・・・と書いたときに「住所はどこまで書くんですか?」フロントの女性にと訊いたのだ。
住所は『どこまで』にスイッチが入ったのか、フロントの女性は「最後まで全部書いてください!」と、ブッサイクな顔でこっちを見る。いや、あれは睨んでいた。本当にホント!
実は、毎回宿で記入するたびに個人情報をすべての宿に提供する必要があるの??と不安に思っていたのだ。
それで「全部ですか?」と、再び私はフロントの女性に言うと、「警察に提供する義務がありますから」と、強い口調。
は?どうして警察に提出するの?犯罪者だったら偽名を使うし、住所も然り。意味が分からないが、相手の口調に気分を害してこれ以上訊く気もない。さっさと済まして部屋で横になりたかった。
ちょと前までサービス業で働いてた私は、死んでもこんな対応はしてない。
そんな事したら、クレームで上司から爆弾を落とされる。
どんな理不尽な電話でも絶対に切ったらいけないと念を押されていたが、人権も何もないと思い上司のやり方に辟易するのだった。
個人情報保護法は何の為にあるんだ❓と思いながら、現在は『お遍路さん』である私は言われた通り記入するも、細やかな抵抗で番地だけは省いたのだった。
フロントの女性はそれ以上何も言わなかったが、マニュアル通りに鍵を渡されたたときに再び顔を見ると、本当にブッサイクな顔だった。
はい、私は今も他人の顔に文句を付けるしGさんに汚い言葉を使ったりと、遍路の『十善戒』には完全に背いているのだ。
反省すべき夜だが、眠くて洗濯する力も残ってないくらいだ。
本日、52.139歩