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空と海と、2日目

2019年4月27日
七番札所
八番札所
九番札所
十番札所
十一番札所

☀️朝起きると向かいの部屋には、ドアのサイドに置かれたタオル掛けに、昨夜からずっと例の水色のビキニが干されたままだ。
フツー、日本ではあり得ない。
暗に若い女性がいることを伝えるようなもので、それは必ずしも安全とは言えないからだ。
しかし、一緒にいる🥊父親がボクサーみたいなゴッツイ人だったので何も心配してないのだろう。    

朝ご飯を食べない生活から一転、今朝はしっかりご飯のお替わりで一日のスタートをした。
痩せ型の私は四国の歩きで体重が減ってはいけないと思っている。なので消費する分、しっかり食べるのだ。

昨日の六番札所に着くまでの迷子は、この先は甘くないぞと洗礼を受けたようで、今朝は少しトラウマになっていた。
        (p_-)
遍路を始める前に、自分の方向音痴を案じて山などで遭難するんじゃないかと真剣に心配した。
それで『へんろ道保存協会』の地図を発行している所に📞電話をしていた。

難所の山(遍路ころがし)で迷子になったらどうしたら良いか訊いたのだ。

先ず、そんな山に女性が一人で入って危険ではないのか心配だった。

すると、団体の後ろに着いていくのも一つの手だと教えてくれた。
そして、山で迷子になった人は今まで聞かないとの回答。
本当にそうなのかしら。
地図を見ても間違えるので、どうしたらいいのか。
それで考えた。
人間は考える葦である。 
パスカルの言葉どおり、私は考えた。

その考えとは・・・
今朝の出発時に玄関で🇧🇷ブラジルご一行様を先導している女性に、後ろを付いて行かせて下さい!と申し出る。
唐突だったが、快諾された。
その先導の女性は、日系2世のササキ・マルガリータさんで日本語も堪能。物腰の柔らかい彼女をみて安心した。

彼らは一昨日から遍路を始めていた。  
日本に着いてすぐに徳島入りして、時差もあり初日は体を慣らす目的で一番札所から三番札所まで、2日目は四、五、六番札所までとゆっくりの行程で進んだらしい。
それもそうだ。地球の裏側から来て、突然遍路歩きは厳しいよ。

13名のブラジル御一行様は、私の7㎏のザックとは違い軽そうなデイバッグで歩いている。
彼らの荷物は宿から宿までは、お遍路関連のボランティアをされているシノダさんが運ぶ手筈になっている。
いいなぁ~

大きな荷物がないなんて、私にしてみれば天国だ。
朝からザックのショルダーベルトがずっしりときて、早々に左の肩が痛んでいるのだ。
既に痛い。

そんなこんなで、ブラジルチームの中に私は🦈コバンザメのように付いて、6番札所・安楽寺を出発したのだった。

彼らは🇪🇸スペインの巡礼地サンディアゴも歩いていて、こと歩きに関しては大先輩であるのだ。
一列に並び、民家の間をひたすら歩く。

日本語が分かるのは、先導のササキさんだけ。
意思の疎通を図れない外国人によく付いて歩けると自分でも感心するが、道に迷わなくて済むだけで他はモーマンタイ。  

歩いている時の彼らは、基本は寡黙で会話の一部だけが漏れ聞こえる。  

彼らの話すポルトガル語を私は全く分からないので、何を話しているのか想像してみたりした。  

廃れた商店は・・・ステキね、このレトロな感じ❗️

退屈な田舎道も・・・風情があってイー感じね❗️ なのだろうか。 

先導のササキさんが、これから私が一緒に歩くなんて彼らに説明も何もなかった。私はそんなことを気にも留めずにブラジルチームについて歩いたのだ。
もし仮に、私が逆の立場ならどうだろう。少し気味が悪いけどな。  

歩いていると、彼らの面白い行動を発見する。それは、『花』と『実』に、興味を示すことだ。
お国柄なのか、単にこの国の『実』に興味があるのかは分からない。   

その実の多くは金柑だと思うのだが、手を伸ばして取っている。  

一人が取ると、約束したかのように皆が一斉に取りにいくと言う面白い現象。  

その姿もしっかりカメラに収めた。後で知ったが、日本の金柑はブラジルのものと違い甘いんだそうだ。

途中、自転車の後ろにキャリーバッグを引いて走るお遍路さんがいたので、『カシャッ』。面白い運び方をするなぁ。 

休憩しているとき、ササキさんに写真をSNSに投稿しても大丈夫かと尋ねると、全くモーマンタイだとのこと。
その会話を聞いていたヒゲのジローニモが、私と一緒に写真を撮ろう❗️と皆を集めてくれたのだ。  

全員のこぼれるような笑顔が⭐️ステキで、私が彼らを好きになるのにそんなに時間はかからなかった。    

写真を撮っているときに「待って!」と言って、リタがバッグから瞬時にブラジル国旗を取り出して、再び集合写真を『カシャッ』。 

顔の表情は心の表情。

どの場面でも笑顔のとてもステキな人たちである。 **

十番切幡寺は階段がとても多い場所で、blog情報どおりに手前の『浅野総本店すもとり屋』で私だけザックを預かってもらった。
少しの間、肩の休憩になり助かる。
こんな荷物を背負って歩くことなんて、普段は無いからなぁ。  

あのままザックを背負って階段を上がっていたら、汗と痛みといつもの文句が滲んでいた。  

ありがたい。

切幡寺を下りてくると道路沿いにある『うどん八幡』で昼食をとるとのことで、そこにも同行させてもらった。
いや、コバンザメ(私)は当然のように付いて行ったのだった。

それぞれがうどんを注文するのだが、入店してからが大変❗️
私と同じテーブルにいたリタとヤマサキは、3人が同じものを注文したので直ぐに食べることが出来たのだが、他の人たちは私たちが食べ終わった後も尚ササキさんにメニューの具材の説明を受けていて、まだ注文すらしてない状況であった。

こちらは、リタの注文した🍺ビールのお裾分けもあり気分がいいのに、他の人たちは入店してゆうに30分は経っているのに注文出来てない。
何をそんなに迷っているのかしら❓

後で聞いたのだが、ひどい甲殻類アレルギーの人がいて同じ器具で調理しただけでもNGだと言う。
それで説明が長くなっていたとのこと。
こっちでいう、蕎麦アレルギーと同じだ。
     はて❓
今思うと、宿で出される食事は大丈夫だったのかしら。
何事もなかったと言うのは、事前にお知らせしていたのだろう、きっと。
私は日本語が読めてもポルトガル語が分からないので、彼らに何も説明してあげられないのだ。

同じテーブルのヤマサキ(日系2世)とSNSの交換をしたり、ジェスチャーで会話をして暫く楽しんだ。そのヤマサキは、ほんの少しだけ日本語を話せた。一生懸命に話そうとする姿がいじらしくて訂正しなかったが、お母さんを「オカサン」・お父さんを「オトサン」と言うも、通じているのでいいのだ。

顔も名前もJAPANだが、日本語が話せないこともある。 

それにしても彼らは不思議じゃなかったのかなぁ。
予告なしに突然付いて歩く私を排除するのでもなく、正にトコロテンがツルンっと喉を通るように受け入れてくれていたのだ。四国では、トコロテンよりもうどんと言うべきだな。

ホントにココが遍路道?と半信半疑になるような場所を通過する。

ようやく、今日最後の十一番・藤井寺に到着いた。

 だが、、、、ショック!

藤の花を楽しみにしていたのに、ほとんど咲いてないのだ。
ここの見事な藤を写真に収めたかったのに。そのことを納経所で尋ねると、今年はどういう訳か不作とのこと。

郷里に有名な『河内藤園』があり、そこに行けない代わりに四国で見ることが出来ると期待していただけに、がっかりだった。花も生き物だから仕方ない。

花より団子
普段から花を愛でるなんて習慣がある訳ではない。

先日、娘からバラの香りが食卓にあがることがない生い立ちなので、ミスド🍩のフランスナンチャラの薔薇の香りの物を食べれなかったと言われた。
はい、納豆は欠かさなくとも🌹薔薇の香りの食べ物はありません!
何故か、香水味のするガムは好きだったなぁ。  (寄り道、失礼…)

遍路では、変化を求めている気がする。自分の感性アンテナが360度ビンビンにキャッチをしようとしている。それはなんとなく動物的なものと似ていて、僅かなものに反応するかのように。

ブラジルチームは藤井寺のすぐ近くにある、旅館吉野に宿泊する。

実は私もここが良くて電話したのだが満室だったため、2㎞ほど離れた鴨島駅近くの旅館に予約したのだった。

旅館吉野の前で

See you again!と、

彼らとの別れを惜しんで、自分の泊まる宿に向かった。

共に吉野に泊まれないのは仕方ないことだが、荷物を背負って独り30分先の宿に行くのだ。

つまり往復1時間は、ムダな歩きをすることになる。

はぁぁ、これまた仕方ない。

宿選びは、四国を歩く時の最重要課題の一つであった。

ブラジルチームと別れるや否や、元から痛いザックのショルダーベルトがより一層痛く感じた。

まるで蟻地獄にでも落ちていくかの如く、それは肩に食い込むような感覚で心がどんよりしていた。

あと少し、あと少し、

1・2・1・2

独りで歩く私を見つけた地元の中学生が、今度は「ニイハオ~」🇨🇳と言ってくるではないか。
はい、常日頃から中国人顔と言われてきた。しかし…

徳島の中学生、いい加減にしなさい!
挨拶は母国語でいいと思うよ。 

ようやく宿の玄関前に着いて、ドキッ!!

   息をのんだ。

   本当にここ⁉️

決して、ベルサイユ宮殿みたいな家に住んでるのではないが、あまりにも…

不安と、後悔と、諦めの入り交じった数秒が流れた。

人間はガッカリすると、その瞬間は疲れや痛みを忘れる。

緊迫した数秒は、古びたその小さい間口に驚きを隠せず、しかし気を取り直し呼び鈴を押すも応答なし。

宿も修行だと遍路blogに書いていたのを思い出していた。

    どうする❓

どうするって、何をどうするのか…

と、複雑な気持ちで訳の分からないことを考えていると、奥から男性が出てきた。

お疲れでしょーと、それは気持ちのいい声だった。

持っていた杖を玄関の『お杖置き』に入れ、シューズを脱いで靴下になり宿に上がった。
この作業だけでも、少し時間を要する。

そして部屋に案内してくれるのだがその古さと、昭和初期を思わせる名残の急勾配の階段と建具に、いつしか「がまん」の3文字を唱えていた。

がまん、がまん、がまん・・・

今夜だけじゃないか、と思わず反芻していた。

そして部屋に入ったのだ。

野宿の遍路もいるのに、泊まれるだけ贅沢だってものだ!

クタクタの中でも人間はちゃんと周りを見渡せるようであり、タイムスリップしたその空間でザックを下ろし靴下を脱ぎ、そして暫し解放感に浸る。

お風呂はさすがに五右衛門風呂ではないものの、それは子供の頃でも記憶してないような古いタイルと建具で、『トトロ』に出て来るメイとさつきが味わった世界を垣間見たようなレトロなものだ。

初めて五右衛門風呂に入ったのは、学生の時に鹿児島の知り合いの家に行ったときで、それはそれは驚いたのだった。
浴槽に浸かるときに木の『すのこ』みたいなものを、足で上手く沈めて入るのだった。(はい!また回想)

この先、宿ではないが遍路道でトトロを感じる場所が多く登場することになる。 

夕食の時間に少し遅れて食堂に行くと、昨日ビキニで温泉に入っていたニューカレドニアの娘が父とテーブルに座っていた。

お互い、あ‼️と言い、再会をなぜか喜んだ。

知らない地で、知り合いでなくても顔見知りは嬉しいものなのだ。

これは不思議な感覚なのだが、何かを求めて飛んでいる鳥にさえも会話をしたくなる。

アホか❓

そして、人を見ると静かながらテンションが上がるのだ。

この宿に着いてすぐ、あの失礼な『3文字』を唱えていた筈が一転、和やかな雰囲気の中で楽しく、食事はしっかりした旅館食で美味しかった。

食堂にいた泊り客の7名が皆お遍路さんで、今日の歩きを労う空気を感じていた。

HENROという同じ目標に向かっていること、国籍・年齢が違えどただそれだけで既に仲間なのだ。

もちろん老若男女も問わず。

紅組は広島から来た中年のご夫婦と、私の3人。

白組はニューカレドニア父娘と、どこの国か分からないが静かなカップルの4人で、3:4であった。

海外の人はどんな思いで四国を歩こうと思うのだろうか?

日本が好きで、日本は食べ物が本当に美味しいの!とビキニ娘が言う。

そう言えばお昼のうどん屋でブラジルチームも、日本は食べ物が美味しいと言っていたのでお世辞ではなく本当なんだと思った。

日本人だと2回ほどヨイショ発言を挟んだ後に本音が出たりするものだが、何事もストレートに話す彼らは素直で気持ちがいい。

随分早く到着したんだねって、同じ宿から出発したビキニ娘に言うと「十番はやめたの」と言う。

それを聞いて、順打ちの私は笑ってしまった。 

十番札所・切幡寺は階段がとても多く大変なのだ。それで省いたと知り、遍路に対する緩さに笑うしかなかった。

そうだよな、遍路なんてきつい道のりを海外から来たら断面だけ味わえば十分なんだろう。 

私はニューカレドニアが🇫🇷フラン領だと知らなかったし、場所さえも知らずにいるとスマホで位置を教えてくれた。

そういえば、『天国に一番近い島』だと映画の宣伝か何かで聞いたことがある。

**澄み切った海でサメを撮影した動画を父親が見せてくれたり、ニューカレドニアには多くの日本人が訪れるていること、ボクサーに見えるごっつい父親が歯科医だったり、私に向かってニューカレドニアに留学に来たらいい!と、食堂ではハチャメチャな会話ではあるが楽しく平和な時間が流れたのだ。この場でも英語が出来たらより多くのことを話せたのだった。  **

言語は世界を繋ぐ。 😀

明日はいよいよ遍路ころがしを経て十二番札所の焼山寺に行くので、皆で一緒に行こうと話した。
そう、確かに話した‼️
広島のご夫婦だけは、ゆっくりペースなので二人で歩くとのこと。
私は遍路ころがしをクリアした後は十二番札所・焼山寺の宿坊で泊まるのだが、ニューカレドニア父娘はそこから10㎞以上も下った上村旅館に予約していた。

すごく険しい道が続くので5時間はゆうにかかる筈。
それも『へんろころがし』後の疲れた体では、歩くのには限りなく難しいと予測した。いや、おそらく無理だ。

大丈夫か?

そのことを伝えると、ボクサーではなく歯科医のごっつい父親は「すぐにタクシーに乗れば済むことさ!」と動じない。
はい、あの道にタクシーは走らない。
走れない。笑うしかなかった。
😂
(未だに父娘がどうやって辿り着いたのか、はたまた予定変更したのかを知らない) 

宿の食堂では楽しい会話の中で私はハイテンションになっていて、さっきまで一緒にいたブラジルチームのことが頭から消えていた。 
私も白状は人間だ。
そして、その返しが明日ちゃんと待っていたのだ。

体はクタクタ、精神は楽しい
これだけ言うと、なんか危ない人間みたいに感じるなぁ。
CALPISの原液をそのまま飲んでいるような、とてつもない濃い時間。
この小さな宿で一緒になったのも何かの縁、この人たちと明日は歩こう ‼️  

いよいよ遍路ころがしが目前に迫ってきている。
遍路ころがしとは、道が険しいので転がるくらい大変な道であること。
また別の意味では、あまりに険しいので行こうかどうかと「心」がコロコロ変わる、とのこと。
相当な道のりを覚悟していた。
ᕦ(ò_óˇ)ᕤ

行けるのか❓
途中でギブアップか❓
深い森で迷子になったらどうする❓
熊が出たら、死んだふり❓ 
もう、頭の中はぐちゃぐちゃだった。

押し寄せる不安の波を、空気で膨らませる小さなビーチボートで迎えるように船船ふねhune・・・と韻を踏み、脳に伝達させようとしているのか。
呉越同舟・乗り掛かった舟・渡りに船、、、こんなときは、乗り掛かった舟であった。
そして、このところずっと睡眠不足であったことに気付いた。
脳は頑張れエネルギーと気弱な本能が、狭いリングで格闘中。

案より産むが易し
あの分娩台に、3度も挑んだのだじゃないか‼️←私
やればできる! と、大きな不安を必死でかき消していた。 

この間口の小さな宿は、縦にズドーーンと長い造りの2階建てになっていて、なかなか広かったのだ。そして自分の部屋の戸が襖になっていて、そこには鍵がかからないことに気付いた。問い合わすと、2階には私以外は泊まっていませんから、と平然と返されたのだ。
心配ご無用、誰も貴女の部屋に行きませんよ、と遠回しに言われた気がしたが、やはりそれでもイヤだ。
オバちゃんでも、無施錠なんて怖いに決まっている!
いやだ‼️
じゃ、襖戸の上にフックがついているから、それで開かなくなると言われた。近付いて襖の上を見ると、あった!ひっかける小さな金具が。
昔はこれが鍵だったのだ、きっと。いや、間違いなく。
ないよりマシと思うが、しかし不安を残したまま寝たのだった zzz

※遍路ころがしとは、転げ落ちるほど険しい道  藤井寺から焼山寺までは、男性6時間・女性7時間と言われ足の自信がつくか、自信をなくすかの別れ道 

本日、43.362歩 

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