空と海と、3日目
2019年4月28日
⚫︎⚫︎⚫︎初めての経験で脳が興奮状態のせいか、浅いねむりでも毎日ちゃんと歩けているのだ。
不思議。
この日をクリアできるかどうかとココに至るまで随分と心配したのだが、最初の遍路ころがしを終えても意外に元気な自分がいた。
他人のBlogで知る限り、焼山寺に着いたらもう一歩も踏み出せず、精も根も尽き果てるのかと案じていた。
数年前に息子と山登りをした後に体が硬直して動かなかった経験から、今回も同じような感じだろうとそれなりに覚悟をしていたのだった。
それが、元気ハツラツオロナミンCなのだ ‼︎
自分の体力に自信が持てたことがこの上なく嬉しくて、それと相まって標高930ⅿの🗻山腹にある焼山寺からの素晴らしいロケーションで心が浄化されている。
心の浄化とは、本当にあるのだ。ここまでカルピスの原液、濃縮還元ジュース、辛子明太子をご飯なしで食べるような、とても濃い時間を過ごした。
それを静かに見守ってくれるように、深緑が包み込んでくれる広い敷地にふわふわと飛び込む自分がいる。
こんな清々しさは、近年味わったことがない。
いつこんな感覚を味わっただろうか。
(フルマラソンの完走と少し似てる)
今日も色々あった。
いや、あり過ぎたのだった⚫︎⚫︎⚫︎
3日目の朝。昨夜ニューカレドニアのビキニ娘たちと翻訳アプリで盛り上がり、難所を一緒に乗り越えようと話した。
正確に訳せなかったのもあるが、一緒に歩こうと約束をしたつもりである。
少なくとも私は…
今朝は、彼らとgood morningと笑顔付きの挨拶を交わした。
(欧米人は笑う時に微笑ではなく、気持ちが良いほどの笑顔をすると思うのは、私だけだろうか)
朝食後、宿のお接待で頂いたおにぎり弁当を受け取り、玄関が2か所あるので彼らと同じ場所に私のトレッキングシューズを並べて置いた。
昨日苦しんだザックのショルダーベルトには、せめてものクッションになればとタオルを挟んで対応している。
大切なトイレも済ませ、準備万端 ‼️
間口が小さい昭和の産物的な古くて細長い造りの宿は、これが最初で最後だろう。(昔、間口で税金が決められた)
最後の準備をしていると、、、
もう出はったようですが、一緒に行かれるとちがいますか? と、宿の主人が言う。
え⁉️
私は誰よりも早く起きて、食堂に来て、ご飯を2杯食べて一緒に出発するのを待っていたのだ。
それなのに、何事❓
急いでシューズは履いて、宿をあとにした。そう、これがいけなかった。杖を持たずに出てきたことに気付きもせずに、 気が急いていた💦
不安な遍路ころがし
約束をすっぽかされたこと
早足で頭の中が入り交じっていると、携帯が鳴った。
相手は宿のご主人からで、杖を忘れているので途中まで自転車で持ってきてくれるとのこと。
はぁぁぁ・・またしてもミス
本当にありがたかった。
今年は見事に(残念なことに)藤が咲かなかった、十一番札所の藤井寺。
その敷地内に十二番札所に向かう道が繋がっている。
ちょっと分かりにくいので、間違いそうになった。入口の小さな石碑に『焼山寺みち』と記してある。
コレは、もう少し目立つようにした方がいい。
はい、余計なお世話。
ちゃんと杖も持ち、独りでそこを出発したのが7時40分🕛
山を登るとき、杖があるのとないのとでは、雲泥の差がある。
我が身を杖に託すので、体重の分散にもなるのだ。
はいはい、宿のご主人が持って来てくれなかったらどの地点で忘れた事を気付いたのか。
想像しただけで、ゾッとする。
山道を数分歩くと白い木の札に『へんろころがし1/6』と、これもBlogで見慣れた標識だった。そしてスタートからたちまち凄い階段を上がっていくのだ。
**はい、はい、ここから始まるのね、行きまっせー **
ハァハァ、ハァハァ、ハァハァ
**ハァハァ、ハァハァ、ハァハァ **
ハァハァ、ハァハァ、ハァハァ
始まったばかりなのに、もう息が切れそうになる。
いや、切れている。
さっきまでの約束云々は既に頭から消え去り、自分の目の前にある木の階段だけを見て、何処に足を乗せるか、ただそれだけを考えて上っていた。
もう少し、もう少し、と全然もう少しではないのだが、頭の中で唱えている。
20分くらいで平らな場所にさしかかると、早くも休憩所の小屋が見えた。
そこで「休憩せんかねー」と、地元のオッチャン2人に呼び止められた。
オバちゃん(私)からオッチャン呼ばわりされるのも、なんだか。
後に知ったが、その場所は瑞山休憩所だった。
「ちゃんと休憩せん人は、途中でバテるんよー」との仰せに従い、その東屋に腰を下ろすことにした。
そんなに時間が経ってないのになぁ・・との思いもあったが、しっかり疲れている。何よりザックの肩地獄から少し解放されたかったのだ。
二人の男性はこの周辺に住む方で、遍路道の清掃や枝切りなどを自主的にされていた。
こうした我が町を愛する人たちに支えられているのだ。ザックを下して痛い痛いと弱音を吐きまくっている私に、何をそんなに入れているのかと不思議な顔のお二人。
化粧品もシャンプーリンスも入れてない必要最低限のものなのに、7㎏以上もあるんだと説明して、昨日BRAチームから石やキーホルダーを貰ったことを話す。
石?
と一人の男性が言い「そんなん入れたら思いわい」とポツリ。
ごもっとも!
箱に入った、ゴルフボールくらいのピンクの色石を取りだして見せた。キレイな石だった。
私は「要りませんか?お接待です!」と、半強制的に言ったのだ。
キレイやねぇと、おじさんたちは色石やキーホルダーを貰ってくれたのだ。
BRAチームの皆さん、本当にごめんなさい。昨日もらった物を、遍路道を整備してくださる方に、お譲りしたことを許してください・・・ m(__)m
元気100倍アンパンマンになれる筈もなく、肩痛泣子は歩きを続けた。
その後『水大師』のチョロチョロと出る水源はパスをし、石畳のような上りが続いてとても歩きにくい。雨の日には滑るのを容易に想像できる。
それから20分ほど歩くと『長戸庵』に昨日のブラジルチームが休憩していたのだ!
(ちょっと前に彼らから貰ったプレゼントを、逆お接待で他人に渡した後ろめたさ) 😩
YUKA !!と、皆が私の名前を呼んでくれ歓迎してくれた。嬉しい‼︎
昨日たった一日過ごしただけなのに、まるで同志のような気分。少しだけどこの再会が、この後の幸運を招いてくれることになる。
そして又この先は一緒に歩いた。もちろん会話は出来ないが。
どこを抜き取っても絵になる道、上から見渡す景色、本当にきれいだった。
そして『へんろころがし2/6』から順に表示されるのを確認していた。
見た目や持ち物で人を判断するのではないが、信仰心云々ではなく海外から来ても、ちゃんと身支度を整えて歩いていることには素直に頭が下がる。
彼らがどれだけ空海のことを知り、遍路の意味を知っているのかは分からない。
信仰心のない自分にも言えることだが、見た目である程度はその姿勢なるものをうかがい知るのだった。
彼らと歩くことで、何となく身体の痛さが分散されていくようなのだ。
え?!どこが痛いかって?
肩と脚の節々、そして足の裏も熱を持ったままよ。😡
**私たちは、それから神秘的な木立のなかを歩いたのだ。階段の上りから暫し解放される時であった。 **
『へんろころがし3/6』が過ぎてから『柳水庵』で休憩。
彼らとおにぎり弁当を一緒に食べた。
弁当と言っても、本当におにぎりだけ。
これで十分なのだ。
宿のお接待弁当には直筆の手紙が添えられていて、はて❓外人さんには英語バージョンなのかしら、とビキニ娘の笑顔を思い出していた。
隣に座っていたイケメンのミュートンが、🥕ニンジンを一本丸ごと持ってきていて、ジャックナイフで輪切りにして食べている。
日本ではあまり見ない光景。
うさぎランドではあるかもしれないが、初めて見る新鮮さ。
私の方を見て、要るか?とジェスチャーするので、断る理由もなく貰って食べたのだ。
すこし不思議な感じだったが、おにぎりだけだったので美味しかった。
くれたのがイケメンだからではないが、分けてくれる行為が嬉しい。
そしたら !!!
彼らの荷物をずっと運んで移動していた、シノダさんが突然現れた。
どこから来たのかしら。
下の方の駐車場に車があるらしく、途中リタイアするかも知れないメンバーを拾って行こうと寄ったのだったが、リタイアはなし。
そう、ここは険しい『遍路ころがし』なのだ。
しかし、この深い山の中に駐車場があることに驚いた。ちゃんと車道があるのね・・・
そして、女神の手が差し伸べられるのだ✨
気さくなシノダさんは、昨日からコバンザメのように付いて歩く私の存在を知っていて、ザックを彼らと同様に運んでくれると言うのだ‼️‼️
これはズルにならないと思うので、感謝感激雨あられで、シノダさんのお言葉に甘えて運んでもらうことにした。
あまりの肩の痛さに、空海から少しばかりの肩休憩を頂いたのだ。⭐️
シノダさん、コバンザメにまで優しくしてもらい本当にありがとうございます!
それからと言うもの、難所の遍路ころがしは天国となっていた。
『浄蓮庵の一本杉』で見た弘法大師の姿は、この3週間で見た中で最も迫力があった。
こんな山奥の高い場所に、大きな像を作る人間も大したものだと思う。
一人の脱落者もなく遍路ころがしを無事に通過して、930ⅿの山麓にある焼山寺の参道入口に着いた。
そこにはなんと、
桜が咲いていたのだ‼️
ゴールの感動と、見事な桜にW感激をした彼らは歓声を上げる。
嬉しいときは嬉しいと感情表現することはとても大切で、内から湧きでるものだと分かる。
皆々がとびっきりの笑顔で桜をバックに写真を撮っている。ここの遍路ころがしが難関だと事前に説明を受けていたのだろうか、と今思うのである。
それで、無事に歩けた喜びとで🌸桜がより美しく、そして愛おしく感じたのかもしれない。
❤️
夫婦で参加していたイケメンのミュートンは、妻と抱き合ったあとにKissをしているじゃないか!
なんて素敵なんだろう。
今、まさにそう言う気分なのだ。ストレートに表現する国民性 🇧🇷
彼らは桜の下で.ひとしきり写真を撮っていた。
長い参道を通って杉の巨木に囲まれた焼山寺のお堂に向かうと、連休と重なってか参拝客が多くいた。
売店らしき場所に一時期しかしてない質素なうどん(200円)もあった。そのうどんは、冗談にも美味しいと言えないものだった。
本音は、あり得ない不味さ。
私は焼山寺の宿坊で泊まるのでここで終わりだが、ブラジルチームは2時間ほど下った『なべいわ荘』に泊まる。
又お別れである。
駐車場でシノダさんが運んでくれた荷物をもらい、せめてもの感謝の気持ちとしてペットボトルのお茶を買って渡した。
ただのお茶なのに、有難そうに受け取ってくれた。
人間性というのは、ふとした時に感じるもので、それは声質だったり話し方の間だったりするのだが、何かシノダさんにはフレンドリーで温かいうどんの様なものを感じるのだった。
宿を予約する際、彼らの泊まる『なべいわ荘』に何度も電話をしたのだが繋がらず、迷った末にこの焼山寺の宿坊にしたのだが、正解だ。
ココの宿坊に泊まれて、本当にラッキーだった !!
本堂とは少し離れた場所にある棟が宿坊で、そこからのロケーションが素晴らしいの一言に尽きる。日本むかし話に出て来そうな景色で、日常とは全く別の空間。市原悦子そっくりの宿の女将さんは居なかった。
💧水も空気も澄み切って、心が静かに整う感覚。
なにがそう感じさせるのかは、正直分からない。
これは、自分の脚でここに辿りついたから感じるものだったのか。車で遍路に来た人たちが、この焼山寺に来たら私と同じ感動があるのだろうか。感動の度合いなるものを知らない訳だ。
宿坊の玄関戸を開けた先には長い渡り廊下があり、その両面がすべて襖になっていてその中が部屋だ。
その部屋の中は各々襖で仕切られているのだ。襖一枚だけなので、お互いの会話が筒抜け。
分かり易く説明すると、襖をすべて無くすと大広間みたいになるのだ。
まるで昔の長屋の仕組みと似ている。
見渡す限りとても古い造りだと見て取れるのだが、どこも小奇麗で掃除が行き届いているのが直ぐに分かる。
それぞれの部屋の中まで運ばれてくる夕ご飯も素朴で美味しかった。
これを、優しい味と言うのだろう。
お櫃に入ったご飯を、その夜は4杯食べたのだ。
お膳を運んできてくれた若いお姉さんに美味しかったと告げると「お粗末さまでした」と一言。そのときの僅かな所作までも品を感じるのだ。
そうそう、私の泊まる部屋をご紹介。
予約した際に相部屋を告げられていたとおり、承知して部屋に案内された。
その部屋は真ん中にはコタツがあり先客がいた。部屋に入って、その先客とぎこちない挨拶を交わす。
「福岡県から来ました、甘味です」
関東から区切り打ちで来ていた女性は、70歳の登山家。
※区切り打ちとは、何回かに分けて参拝すること
四月末だが寒いので、浴衣とその上に羽織る半纏が揃えて置いてある。
なんだか、小説の世界に入った気分。
他人と同じ部屋で一晩を過ごすなんていつだったかと記憶を辿っていたが、フェリーの大部屋もその類に含まれるのなら最近のことだった。何をさておき、洗濯をする。宿坊の洗濯機は二層式なので、玄関を出たり入ったりしていた。
外は寒いので半纏を着たのだった。
それの半纏を目にした同室のTさんが「そんなんまで持ってきたの?」と、大真面目な顔つきで言うので笑いが出た。
こんな笑いが、疲れを癒す ^ ^浴衣と一緒に並べてあると説明する。
こんなものまで持ってくる人は皆無だ。
話し口調から「東京ですか?」と訊くと、間髪入れずに「東京な訳ないじゃないよ、この話し方は茨城だよ!」と言われるも、私にとって関東の言葉は似て聞こえるのだ。
コタツに入り、Tさんが今まで登った山の話を聞いていた。
エベレスト、キリマンジャロ、🇹🇼台湾や🇰🇷韓国の山々・・・キリマンジャロって何処ですか❓と、訊くとアフリカだった。
本当に知らなかった。
「この歳になったら先が短いから、色々したいのよ」と女性が言うので、素直に頷いていいのか迷った。
こういう言い回しに時々遭遇する度、今までは条件反射のように否定してきたのだが、やはりそれが正しいのだろか。
そもそも、正しいとか間違えとかないのだろう。相手は否定してもらうことを内心では待っているのかと、考えるのである。
しかし70歳にしてもなお山に登るのは、心身ともに健康な証拠だ。素晴らしい。
エベレストは途中の4.000ⅿくらいまで登ったそうで、出発前に高所で体を慣らすことができる、三浦雄一郎主催の低酸素室で2度の訓練を受けたという。実際に登ると、メンバーの1人がパタッと倒れて命の危険にさらされたときは本当に驚いたと茨木弁の口調は、どういう訳かより真実味が直球で伝わる。
また別の人は目が見えなくなっていたらしく、下山すると少しずつ視力は回復したそうだが目のことは想定外だったから驚いたと言う。やはり標高が上がるにつれ、人の体は正常ではなくなるのだな。それらを体験してもなお、山に魅了されて登っているのがすごい。
お互い、ザックが重くて死にそうなことを話し合う。やはり、皆ザックは重いのだ。
何を省いても軽石だけは外せないという私に、「軽石がそんなに大切なの?」と、ひょっとこひみたいな不思議な顔をしているのが、妙に可笑しかった。
そして数秒、笑いが止まらない。軽石は私にとっては、お風呂の友なのだ。
翌朝に体重計でザックを量ると、私のが7.4㎏でTさんのは7㎏だった。Tさんの小柄な体で、7㎏も相当にきついはずだ。
夕ご飯のあとにも少し話した後にTさんが疲れたから寝るというので、電気を点けたままでも良いか伺った。
その日中にSNSに投稿していた私に「そんな文章を書く仕事でもしているの?」と訊くので、「まぁ」と答えた。いろいろ説明すると長くなるので、ごめんねTさん。本当は仕事じゃないの。 趣味だよー
明日は午後から雨予報☂️
私が参考にしているblogでは、12番まで来た『へんろころがし』よりも、ココから13番に行く道の方が険しかったと書いてある!
ザック痛対策は何も出来てないが、どうにかなると思いたい。
いや、どうにかするのだ。
こうして徳島に来て、不思議な感覚が続いている。
この世に居ながらにして、まるでぽっかり穴の空いた所に落ち込んだような不思議な時間の流れ方。とびっきりの非日常。
初めての景色、初めての体験、一期一会の人たちとの出会い、約束したのにすっぽかす外人さん達。(もう約束はしない!)偶然ではなく、起こりうることは全て必然。
知足安分。
この大自然の中で、欲張る必要があるのかと頭をよぎる。
動物はお腹がいっぱいになったら隣に獲物がいても狩りをしない。人は使いきれない程のお金やモノを手にしても、まだ足りないのか。
欲張るべきは、他にある。
夕ご飯のときに茶柱が立っていたので『カシャッ』。これを他人に言ってはいけないと言うのは、迷信だろうか。
こうして難所を歩き終えても元気な自分がいる。
会話が筒抜けの隣の部屋では、昨日一緒の宿だった広島のご夫婦がストレッチをしていた。
「ちゃんとせにゃ、明日が痛いんじゃ」
聞き耳を立てた訳ではないが丸聞こえで、痛い、痛い、と二人の様子が見えてくるようだった。時々痛さゆえに夫婦で大笑いしていて、仲の良さまでも伝わってくるではないか。
人も、景色も、ご飯も、みんな優しく、いつか又訪れたい場所だ。焼山寺の宿坊は季節限定だが、間違いなくおススメの宿である⭐️⭐️⭐️
あ~気持ちがいい!まだ3日しか過ぎてないけど。
Tさんが、歯磨きもせずに隣で寝ているのが気になる。大丈夫かな。
本日、36.258歩