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空と海と、7日目

2019年5月2日
二十番札所
二十一番札所
二十二番札所

不安レベルmaxで、2つの山越えが始まった。
それは、鶴と龍。
自慢でもなんでもなく、激しい方向音痴のため変なルートに迷い込むんではないかと不安。
未だ小爆弾は大人しいのに、肩の痛さと足のマメでグッタリしている。
小爆弾というのは👉自分の左脚のことで、リハビリの最中に遍路に出てきたのである。
そもそも5年前から原因不明で股関節に水が溜まり痛みを発症していた。その後、整形外科や整骨院、治療院と数々と通ったのだが完治に至らず、2019年2月のマラソンの練習時に痛めて、歩行困難になっていた。
なぜ、そんな足で遍路なんかするの?と、疑問に思われるだろが、それは追々。

昨夜の遅い時間に、ビキニ娘からmessengerが届いていた。 『今日私達は神戸にいます、そしてあなたはどんな寺院ですか?』と。

昨日の夕方に『今日はどこを周りましたか?』と私が送った、返信だったのだ。

朝から潰れたマメが痛む。

この1週間、歩いて歩いて・迷って又歩いて、豆が育った 🌱

今から上ろうとする鶴林寺と太龍寺のルートがはっきり分かっていない。何せコピーした地図が見当たらない。

山には『〇〇道』等とルートがいくつかあるのは知っているが、それを把握していない。

そのルートは現在どうなっているのか、通れるのか通れないのかさっぱり分からないまま、朝食後に宿の方に昨日の道の駅まで送ってもらっていた。

ここは送迎サービスがあるから、利用客が多いのが分かる。

なるようになるの❓足が痛くなると心も不安なる。心と体は繋がっているのだ。

実は昨日、食堂にいた3人の男性に後ろを付いて行かせて欲しいと申し出たのだが、自分たちも別々に歩くのだとつれない反応。

脚をひきずっているオバさんなんかと一緒に登れねーよ、なんて言われた訳ではない。

不安な表情のオバさんを縁もゆかりもない人たちが助ける義務もなく、自分のペースで歩きたいのは至極当然。

頼る自分が悪いのだ。

☀️宿の車で、昨日迎えに来てもらった道の駅まで送ってもらう。
緊張したのか、トイレに寄った。

そもそも地図のコピーも持たずに上ろうとする無謀者なのだ。
フツーに考えて、信じれない。

少し歩き始めると、今朝宿の食堂で見かけた父娘がいたので「一緒に上らせて下さい!」と図々しくお願いした。

相手の気持ちも考えずに申し出たのだが、OKしてもらえた。

遠慮なんてなく、とにかく必死だった。

それからは、北海道から来た父娘の森さんと、鶴と龍の険しい山を目指した。

どうして遍路に来たんですか❓と唐突な問いかけに、GW10連休が決まって遍路を思いついたそうだが、、実は父の愛が詰まっていることを後に知るのだ。

娘のDちゃんは、遍路後の嵐のコンサートに行くことを楽しみにしている様子。何も下調べをしなかった彼女は、宿のフツーのご飯に驚いたという。

遍路なので修行僧が食べる実に質素な食事をイメージしていたらしく、それでも父親に付いて来たので、この子は立派だと思った。傍から見ると、やはり父と娘が一緒の行動するのは微笑ましい⭐️

その中に割って入る、私の図々しさと逞しさもある意味微笑ましい⭐︎

鶴林寺への道も、なかなかキツイ。

途中、宿の男性陣の一人を追い越した。

付いて歩かせてください **‼︎** と言ったのに、こうして追い越せていることが嘘のようだ。**

やるじゃないか、と心の中で💪ガッツポーズ。


時々、山登りやランニングを何が好きでやるのか分からないと言われるが、言う側の気持ちも理解できる。

どんな人でも、やっている最中はきつくてへたばりそうなのだ。だが、その後の達成感が継続させる理由なんだと思う

ミイラ取りがミイラになる事もあって、外野から文句を言っている人が実際に体験するとのめり込むケースがある。本当に分からないものだ。

上って上って上って何度も息を切らせ、20番の鶴林寺に着いたのが8時45分。

山門には、いつもの怖い仁王像ではなく『鶴』というのが何とも愛らしい。

今思うのだが『鶴の恩返し』でも知られる鶴や、幸せの象徴でイベントなどで飛ばされるピースな鳩は、人に寄り添ったイメージとし根付いてないだろうか。
確かに伝書鳩は一時期の大切な伝言手段であった訳で人間社会に貢献している。鶴が反物で恩返ししたのは、日本特有の自己犠牲を表現しているのだろう。

生ゴミを荒らす極悪人のように見えるがカラスも、生きることに必死なのだ。
それで、まさかと思い烏の寺があるのかと検索したら、あった…京都に。
(寄り道でしたー)

参拝を済ませると、次は下って下って下って行くと廃校になった学校でトイレが提供されていたので拝借する。

歩き遍路にとって、こうしたトイレの提供は本当にありがたい。
普段の生活では、店舗のトイレを拝借すれば済むのだが自然の中では何もかも違うのだ。

こんな場所に学校があるっことは、ここに通っていた学生は遍路道みたいな難関な道を毎日歩いて登校していたのか❓
まさか。

もしそうだとしたら、めっちゃ筋肉が付くではないか。

それとも学校周辺に家があったとか。そうなると、日用品の購入は車で一括購入するのか。

昔はネットなんかないし、そもそもこんな山奥まで配達が可能なのだろうか。

配達は、ポツンと一軒家みたいな場所は離島のように追加料金が発生するのかと気になる。

山の中にある廃校を見て、頭の中は巡る。

  めーぐるーめーぐるー ♯♭
  時代はーめーぐる ー ♫

その後いくつかの橋を越えた。
お遍路さんは橋の上では杖を突いてはいけないことにとなっている。
その下でお大師様が眠っているので、起こしてしまうからとの伝えからだ。

再び上って、上って、上って、何度も息を整えてようやく西の高野と呼ばれる21番・太龍寺に着いたのが12時前。

サラッと書くけど、相当きつかった。

一日に2つの山越えなんてあり得ないことだけど、有り得たのだった。汗と、喉の渇きと、そして何より上れた嬉しさで娘のDちゃんとハイタッチをした。

   やったーーー‼️

日本を何周かしてらしいお爺さんに、またあった。

本当に私たちは頑張って上ったのだ。

上りは少し進むと息が切れる。休むとその分後が長くなる。一歩一歩進んだら必ず辿りつく。

継続は力なり。それと同じだ。

小学校の低学年で学習したようなことだが、大人になっても教えを請うのだ。

大人なんて単なる子供の時の延長に過ぎず、それは特別な場所に居るのではないと、今大人になっているから分かるのだ。

上ったあとは決まって、清々しい。

普段の生活で、これと似たようなことは他に何があるのだろ。ランニングを終えた時も毎回気持ちがいいが、それよりも数段上を行く。

おそらくロケーションだ。

上がった者だけが見る、ご褒美の景色なのだ! 登山をする人の気持ちがこの時だけは理解できる。人間が素に戻り、リセットされるような気持になるのだ。

太龍寺でお遍路バージョンのコカ・コーラを飲んだ。
それはそれは、美味しかった😃
普段飲まないコーラが、どうしてこんなに美味しいんだろう。

ここ太龍寺を歩いて登らない人は、西日本最長のロープウェイに乗ると10分で山頂につく。遠く淡路島や岩下志麻も眺めることが出来るのが魅力らしい。それも見てみたい。
いや、流石に岩下志麻は見えない💦

納経所の前には、『四国遍路を世界遺産に』と記す派手な幟があり、それは今までのお寺で何度かみたものだ。

世界遺産か…

行ったこともない聞いたことのない場所が次々と世界遺産登録していく中、逆に四国が登録になってないのが変だと思う。

1400㎞の道のりを世界遺産にするのは、何かと不可能なんだろう。

太龍寺のベンチに座っていた私たち3人は、宿で準備してもらったおにぎり🍙を食べ暫し休憩。
そこで森さん達の杖の先が違っていたのに気付いた。2人は同じ道を同じ距離だけ歩いているのに、父の杖の先が小さい『えのき茸』みたいに花開いている。一方のDちゃんはつるつるなのだ。私の杖の先は、ほんの少しだけえのき茸になっている。

力の入れ具合でこれほど変わってくるかと思いきや、Dちゃんはそのえのき茸が気持ち悪いと削り落していたのだ。

その拘りが、いかにもヤングで笑いが出る。

自分のブロックしたFacebookから新たに申請する方法が分からず、ヤングのDちゃんが何度も試みてくれて、北海道の森さん父娘と無事に『友達』になれたのだった。こんなときiPhoneでよかったと思う。

ヤングはiPhoneが多いからね。


龍の手ぬぐいが売っているとのことで、納経所に並べてあったのを購入。
300円。

家から持ってきた手ぬぐいを道中どこかで紛失したので、再び菅笠の内に入れてUV対策に使うのだ。

紫外線をこんなに浴びるのは人生で初めてだった。女の敵はSST(しわ・しみ・たるみ)で、その大敵が紫外線なのだ。

腹ごしらえを終えると、天井に龍の画があるので探した。

納経所の右側、持仏寺の大廊下の天井に、あった!

割りと薄いがしっかり龍だと分かる。さっき購入した手ぬぐいと同じ画なのだ。

この画は、高知県安芸市出身の画家・竹村松嶺氏の描いたものだ。名前に龍が付く人は、見ると感動があると思う。たぶん、きっと。

ここ徳島の難所と言えば、『一に焼山・二にお鶴・三に太龍』と呼ばれる。『1に勉強、2に勉強、34がなくて、5に勉強』と聞いたことがある。

        🐲

その鶴と龍を制覇できた喜びをバネにして、これから私たち三人はもうひと頑張りして、22番・平等寺に向かってひたすら下りるのだった。

山を下りる時は、上る時よりも注意がいるし大変のだ。滑り落ちないように杖を2つ持ち、地面を探るように歩を進める。下りは杖が2本ある方がいい。

竹林に入ると、人の背を超えるほど育ったタケノコがあった。このままタケノコから『竹』になるのだろう。

上りは娘のDちゃんが先頭で、下りは父が先頭になり私はずっと2人に挟んでもらっていたのだ。

この父娘がいたので、難所を乗り越えられた。

もちろん、一人でもなんとか上って来たとは思う。
自分ひとりだったら、少なくともこんなに早く上がることは出来なかったし、何より分かち合う感動がなかった。

人は人から元気や勇気をもらう訳で、その予期せぬ出会いは風が吹くようにやってくるのだと思った。

私とDちゃんがサイ(動物)やジャンバーの話で大笑いしている姿を、父は一歩先で涼しく笑っている。

遍路中にこんなに笑うと思わなかった、と私が言う。深い山の中で、こんなにハッピーな空気が流れる。

暫く歩いていると、前を歩いていたDちゃんが私の方に近付いて来て「3月で、仕事を辞めたんです」とポツリ。
学生ではないと聞いていたが、あ、そうだったのかとさして驚くこともなかった。
女性だけの職場の人間関係が大変だったと言う。世知辛いこの世を生きていくには、仙人のような暮らしをしない限りは、必ず人と関わっていく。
仕事の半分が人間関係だ。そして女はジェラシーの塊みたいなものだ。いや、細胞の半分は、ジェラシーで出来ていると思っ方がいい。
はい、自分も含め…
独特な女性だけの職場に疲れていたDちゃん、それでよかったね!と思った。
「これからは、ただの事務職にしようと思って・・・」と言うDちゃんに、ただの事務職は時給が安いよ、と余計なことを伝えたのだった。

そっか、Dちゃんはそれでここに来ているんだ。

合点がいった!

娘の目がおかしかったと、以前父親が何回か言ったのを私は軽く聞き流していたのだが、大切な我が子を何とか救いたいとの思いがあり、この遍路に導いたのかも知れない。いや、きっとそうなのだ。

何かを吹っ切るきっかけになったら良いとの、親心だと察するのだった♡

親の気持ち子知らず。いずれこの遍路がどれだけ価値のあるものだったかを、Dちゃんは知る時がくるだろう。

シングルの私に森父は、この先パートナーがいた方がいいと助言して来た。経済面に限らず心の支えとして、らしい。
反論する訳じゃないが、中高年の夫婦が必ずしも心の支えになってるか疑問に思う。
結婚とは、本当に難しい。
相手との距離を保たないと崩れる。空気みたいな存在は、いつしか感謝を忘れ崩壊するのだ。


「好きな人って、本当にいないんだよねー」と、私は娘のDちゃんに言って、Dちゃんは好きな人がいるか尋ねた。

「いないから今ここに居る」と言われた。

そうなのね。嵐に恋する乙女は、私が想像するより逞しい。

私たち3人は、傍からみると親子に見えるんだろうねと話した。Dちゃんママごめんなさいね。

あとで気付いたのだが、ロープウェイ側から下りなっかたので、舎心ヶ嶽(しゃしんがたけ)に寄れなかったのだ。そこは深い谷を望む岩上に坐す大師像が見られるとのこと。
無事に下りたということで、今回は良しとしよう。
今回とは、次回があるのか?

二十二番札所
平等寺に到着したのが、17時6分。
隣の民宿に泊まる北海道の父娘とはここでお別れ。深く関わった人とも、こうして道の途中で別れるのが遍路だ。
父娘と同じ宿が取れなかったので、ここで紹介してもらった少し離れた宿に予約していた。
今日泊まる宿の人が軽トラで、平等寺まで迎えにきてくれた。
その宿は正真正銘の民家であり、今までの宿泊施設とはかけ離れている。部屋の中も他人の部屋をそっくり借りるような雰囲気だった。布団にしても、何人がここで寝たのかと思わせる感じなのだ。

夕ご飯も友人宅で出されるような家ごはんで、民宿も本当に各々違う。
食事の時に一緒に泊まる客に先達(せんだつ)さんが居て、その人の話し方がなんとも鼻についたのだった。

※先達とは、遍路をする人を導く指導者
最低でも、4巡していることが条件の大先輩のこと

その先達さんは、🍺お酒が入っていたからそうなのか定かでないが、居丈高にものを言う。
しかも、顔つきまで💢
何だろう、この人・・・
相当に偉そぶっている!若い人なら、ムカつくジジイと表現するな。

ここではどんな肩書があろうと『お遍路さん』の呼称だけで良いと思うし、それ以上でもそれ以下でもないと私は思っている。
ザックのショルダーベルトが痛いことを話すと、何をそんなに入れてるんだねと偉そうな先達に言われて、重いものの筆頭格でレインウェアーをあげると、、「そんなの簡単なものでいいんだよ」と、きた。
はい、『指導者』だから、指導されているんでしょうか。表情にしても声にしても、少なくとも私はそう感じてしまう。ものすごく不愉快💢💢
隣に座っている妻かお付きの人か分からない女性が、また何とも嘘っぽい笑みを浮かべている。
テーブルには4人が座っており、もう一人の客が先達だと分かってなのか、媚びをうる話し方で接しているではないか。
こいつが一番悪い‼️

先達の一言一言に「へぇ~」と、それはまるで初めてナマコを食べたときに感動みたいに頷いては、そして一々驚いた反応をする。
は⁉️
にわかに信じがたいこの光景。
何だろう、このイカ様っぽい空気は。と思い、そそくさと部屋に戻って行った私はしっかりご飯を2杯食べていた。
🍚🍚

明日は、薬王寺まで短めの21㎞だ。
いよいよ踵(かかと)にもマメが出来て、今夜はその部分をごっそりカッターでこそぎ取ったのでズキズキが止まらない。

消毒液がピンク色の『ミ』にダイレクトに沁みる。
脈を打つ感じが伝わる。
そろそろ肉が固まってきた小指のマメとバトンタッチをして、踵に泣かされる予感は悲しいが的中する。
宿のご主人がドア越しに、明日の送りはないと言ってきた。
送迎は、基本迎えと送りじゃないの⁉️

方向音痴の自分は、少しの不満と踵のズキズキを抱いて寝るのだった。
本日、47.461歩

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