空と海と、13日目
2019年5月8日
二十七番札所
今日は遍路のことで、劇的に違うことがあるが、後に分かる。
いつもの鳥のさえずりを聞きながら、二十七番・神峯寺(こうのみねじ)に向かった。次の宿に無料でキャリーサービスをしている情報を得ていた。
泊まりたかった人気宿の『遊庵』はここから約36㎞ほどあり、その前に27番の山に打ち戻ってくるのが約4時間かかるとか3時間で足りるとか、足の速さによって違うようだ。
上りは息が切れまくってきついし、下りは足や膝にダメージが大きい。
要は、どっちもキツイ。
◉3時間以上の山の歩き + 約36km
こりゃ、どう考えても私には無理だった。
標高400mの神峯山の頂上付近にあるこの寺は、駐車場からでもかなり坂が続くので参拝の高齢者には負担が大きい。遍路ころがしをクリアしたからって、27番なめるなよ!と、鳥たちが山の声なき声を伝えてくるようだった。
27番で、再びGさん登場。
昨日は善根宿(無料)に行くと、布団とシャワーまで用意してくれていて最高だったらしい。
と言うことは、普段は布団がないのかなぁこの人。ここ27番を上がるときも無料で荷物を預かる場所があると、前日の朝に私が教えていたのだ。
70歳の体に15㎏のザックを背負っているこの人も、相当に頑張っているのだ。歩くだけでもきついのに、5㎏の米袋が3つ背中にぶら下がっている状態である。考えられない重さだ・・・
荷物もちゃんと預かってもらえて天国だ、と顔がほころんでいる。良かったね、Gさん。
**旅は道連れ世は情け。 **
野宿をする人は宿の場所を気にすることなく、自分で歩く距離を調整が出来ていいと思っていた。しかし彼らの苦労は並大抵ではない。先ず、寝袋や食事に関するものが加わるので荷物が格段に重くなる。それと、寝ることが出来る安全な場所を確保しないといけない。確保したとしても、そこにお風呂はなくシャワーでもあれば万々歳だろう。
都合よく近くに温泉施設があれば別だが、なかなか難しいところだ。
そして何より、食べ物を調達する必要がある。
コンビニ等があるかどうか前もって調べて置かないと、空腹で一夜を過ごすこともあり得る。命をつなぐ程度のものは常備していたとしても、毎日の食料まで持ち歩くとなると、とんでもない重さになるので現地で調達すると思われる。
それに比べて自分はどうだろう。
民宿だと温かいご飯とお風呂は当然のように準備してもらえているし、素泊まりの宿にしても寝る場所とお風呂はある。もちろん、それらは出費を伴っているが。
**野宿で1.400㎞歩き通す人は、やはり超人だと思う。 **
27番を打ち終えて寄り道をする。
唐浜(とうのはま)駅で、12時6分の土佐くろしお鉄道ごめんなはり線『普通 しんたろう1号』に乗って、昨日通ってきた奈半利に移動。そう、戻る形になる。
駅ではトレッキングシューズを脱いで、ビーサンに履き替えるとマメの部分が楽だ。
風に当たったマメたちが、少しでも乾燥されるのがいい。
**その時、お坊さんが現れた **‼️
顔に出さなかったけど、本当に驚いた。行動を見抜かれてるようで。
私がこのくらいの時間にこの駅に来ると思ったと言う。『モネの庭』のことや、これからの道順を尋ねていたのだ。
歩き遍路なので、乗り物には乗らないのだ。送迎の車は別だ。あれは、また元の場所に送り返してくれるので、歩きの継続になる訳だ。
そのお坊さんと何を話したか、はっきりとは覚えてないが、昨日の続きのような感じで、宇宙の中の出来事は全部決まっている的な、、、
はい、アナタと運命を感じません!しかし、怖くてそんなこと言えなかった。
こんな時、いい加減にしてください!とビシャ!と言う人がいるのだろうか。
この時だけを、くくり抜けたら良いと思ったのだ。
変な感じだが、歯のないお坊さんに見送られて私は電車に乗って、昨日歩いて来た道を逆方向に向かうのだった。
奈半利の駅前から、シャトルバスに乗って北川村にある『モネの庭』に行く。
●奈半利駅前のお店
人工的なモネの庭にわざわざ行こうという気になれなかったが、気分転換には格好の場所だと思ったのだ。
しばし遍路を忘れる時間。
そこはモネの愛したフランス・シヴェルニーにある庭を再現したもの。
彼は創作以外の時間を庭仕事に充てたらしく、可愛いおじいちゃんだったんだと画家以外の姿を想像してみる。その庭は割と広い敷地で、四季を通して表情が変わるので他の季節に来ても飽きないかもしれないが、私はこれが最初で最後だろう。
期待値を下げて行ったせいか、まあまあ良かった。庭の管理は想像以上に大変だと思う。
なんでも期待するから、裏切られたような気になるんだ。
代表格が、結婚。
幸せと結婚はsetではない。少子化に拍車をかける発言だった?
お昼は、お洒落なハヤシライスを食べたのだが、眠くて眠くて満腹になると余計に眠さが増した。
不安になった。
この先、続けられるのだろうか。
足の豆の休息にはなったが、身体の疲れは取れてない。
休憩しても眠い。その疲労と睡眠不足が重なって、またもや大失態をするのだった。
27番神峯寺を往復クタクタの4時間+36㎞の歩きはどう見積もっても無理だった訳だ・・・
それを数日前から悩んでいた。それなら36㎞も歩かずに手前の宿にすれば簡単なことだが、これ又泊まりたい宿がない・高い・要注意の宿等々で生き詰まっていたのだ。どこかで、何かを妥協しないと進めない。
悶々としていた。
それにもって足のマメは生々しいまま元気だった。心打ちを宿の人に相談すると「どうしても『遊庵』に泊まりたいなら電車を使えばいいと思うよ、そんなに自分の足跡を残したいの?」との言葉で決心がついた。
この日は、27番を打ったあとは、休養日にして電車を使おう⚡️⚡️
歩きを通すか、ここで一部だけ電車を使うかで、後者を選んだことに後悔していない。
そう、私は唐浜~野市までの区間は歩かずに電車に乗ったのだ。
**毎日更新しているSNSに、そのことはあえて書かなかった。当日は極端に歩数が少ないので気付いた人が居るかもしれないけど、歩きを断念したことを書くことで今後の自分の士気が下がるのを案じたからだ。この区間だけは自ら選択したものだった。 **
モネの庭では足が楽なのもあり気分転換を終えて、奈半利から電車に乗って野市に着くまで寝ていた。電車の揺れは、睡眠導入剤と同じだ。
あの揺れは、赤ちゃんの揺りかごみたくウトウトする。
精彩を欠いていただろうお遍路さんを見て、電車に乗った人は何を思っただろうか。
そして降りる準備をしていると、
ない❗️ない❗️
肌身離さず持っていた金剛杖がない。あ、モネの庭に忘れてしまった。
それにしても杖をよく忘れるのである。普段杖なんて持たないから、忘れるんだと言うのは言い訳にならない。私にとって杖は同行二人(どうぎょうににん)の意味よりも、山を下りるときの必需品。
※同行二人とは、遍路はいつもお大師様と一緒、二人旅と言う意味
どうしよう・・・眉間にしわを寄せて3分ほど迷っていたかもしれない。
戻って、取りに行く??
あれがないと、この先は続行不可能か?
杖を忘れたことを、昨晩泊まった宿に電話をすると例のお坊さんが出た。
仕方ないので、そのまま続けるようにと言われる。
先ずは取りに行かずに済んだことに安堵するも、このところマイナス発言が増えたし、疲労が溜まってきたら忘れ物も出てくると、森さんが言っていたことを思い出していた。
杖を持たず28番大日寺を打って宿に着いた。
予約時に電話で料金を確認すると、「素泊まり4.500円で、夕食と朝食は妻のお接待です」と、男性の声。電話口の方がご主人で、ご飯を作るのがその妻。食事が全てお接待なんていったいどんな方なんだろう、とその時から気になった。
ご飯のお接待なんて聞いたことがなかったし、仮にその食事が本当に質素なものであったにせよ、凄くない❓と、頭を駆け巡ったのだ。
どうしてお接待なのか⁉️
遍路の神様みたいな小さなお婆ちゃんが生きていることに日々感謝して、自分の宿に泊まる客にまで感謝している姿を想像したてみた。経営が成り立つのかと考えた。
そして、理屈ではなくこの宿に泊まろうとしていたのだった。なぜか。
玄関口で初めてみた奥さんには意表を突かれ、生き生きとエネルギッシュな方だった。
そしてラッキーなことに、この人気宿に今日は私一人。旦那さんはたまたま不在でお会いできなかったが、奥さんの話をたくさん聞くことが出来た。
今年の3月から再び民宿をやっていた。
その前の1年4ヶ月ほどは宿の名前は同じでも、経営者が違っていたのだった。
奥さんが話すには、以前7年民宿を営んできて夫が70歳になったのをきっかけに、宿を他人にお譲りしたそうだ。その後を人生の完成期間だと捉えて、本当の断捨離生活に入ったという。
服も、家具も、不動産も全て断捨離した。
そして、その間1年4ヶ月はご夫婦で車旅をしていた。寝るのは車の中で、着替えは少しで洗濯して干せば乾くので問題なかった。
バスタオルなんか洗ったら2人で必死になって絞るの。それを干したら、パリッパリッになって何とも言えないほど気持ちがいいの!奥さんの表情から、その気持ちよさがこちらにも十分に伝わる。
寒いときは窓に氷が張って寒いわーと思うけどね、それを太陽の当たる方に向けると、ほんの1分で窓の氷が溶けていくの。そしてポカポカ暖かくなるの。本当に太陽の力ってすごいのよ‼️と奥さんは目を大きくして話す。
70歳というターニングポイントで、ご主人のスーツや奥さんのブランドものも全て捨てたと言う。私が今はメルカリで売れると話すと、そんなことが分からないしクリーニングに出すのが面倒だと。
子供に欲しいものがあれば家具でも何でも持って行ってちょうだいと言ったけど、何も要らないとのことで、ただ唯一奥さんは踵の高いフェラガモの靴だけは残してるいらしい。踵が高いから履けないのでもし削ったら履けるかも知れないと、10足残したままだと笑っているけど、本当はそんなことしないと本人が一番知っているのだ。
きっとお洒落で粋な方だったんだ。
その名残は話を聞いていても感じるし、夕ご飯に使われた食器が一つ一つとても良いもので、それに劣らず料理がステキだ。
北大路魯山人を思い出した。料理人の彼は、それに合う食器がないと陶芸家になるのだ。
テーブルについて出された揚げたての鯵のフライは、めちゃくちゃ美味しかった ! 揚げ物を出来たてで食べさせてくれる、当然のようで実は当然ではない気遣い。
ここに1週間滞在して、料理だけでも食べさせてもらいたいと思った。品数が多い訳ではないが、センスのいい料理上手な友人宅で頂くご飯、というイメージ。
陶器のお皿が目を引く。
「この食器は、私一人だからですか?」と訊いたが、そうでなく皆に使うと言う。遍路宿で、こんな凝った食器を使うところは他にないと思う。食器と、ご飯と、奥さんの会話と3拍子揃ったおもてなしだった。
「欲しいものが何もないの!」と彼女の言葉に、どうしてこんなにも生きるエネルギーを感じているのだろうか。それが少し不思議だった。
この人は本当の断捨離をしていた。ミニマリストの域まで達しているのかも。
「断捨離したら気持ちよかったでしょ?」と知ったかのように私が訊くと、その通りだと頷く。『一日一捨』なんて造語を作り、それを掲げている自分であるが、断捨離は勇気と勢いがなく完全には実行出来ずにいたのだ。
今は世界を席巻しているコンマリ(近藤麻理恵)さんの『ときめき』だけではモノが捨てられず、もう一つ踏ん切りがつかなかったが帰ったら本当に断捨離をしようと誓った。
自分のモノの半分は不用品だ、帰ったら捨てよう。
苦労して育ってないにもかかわらず、何をするにもモッタイナイと思ってばかり。破れてない服を捨てるのがもったいないと、戦後の人間みたいのことを本当に考えるのだ。
もしかしたら使うかもしれない、着るかもしれない、🦆🦆カモカモが頭の中を支配して風通しの悪い脳みそを作り上げている。
使わないモノを入れている空間が、モッタイナイ!と再び反省。
😮
奥さんの話は続く。
愛媛県出身だけど縁あって高知で民宿をしているそうで、一時期は民宿を他人に渡していたが続けられないとのことで、今年の3月から再びスタートさせていたのだ。
その宿の名刺が、とっても可愛かった。
それは、宿の名前の上に
『そう、また始めたの』
と書かれていた。
肝心かなめの食事のお接待のことになるが…
奥さんが現在70歳で、10年後の80歳まで続けるにはどうしたらいいか考えた結果、以前のような会席風の料理の提供をやめて簡単なご飯をお接待にしようと思ったそうだ。
いやいや、その『簡単なご飯』は、素晴らしく美味しいものでした。私のなかの簡単なご飯は、作り置きのおにぎりとおかずだったのだ。
「これからは人生を完成させる時期なのよ」と、彼女が言う!
その生き方のモデルにしているのが、津端修一・英子夫妻だった。共に90歳で亡くなられた建築家のご夫婦で、自分たちが灰になるまでをしっかり予定に入れて生活をする話を少し聞いた。本も見せてもらった。
高齢になって自分のことを自分でする人を見ると尊敬してしまう。🇫🇷フランスでは高齢になっても頼らず一人で淡々と生きている人が多いという。同じ世代の人の助けを借りることはあっても。生活のすべてを自分ですることは、高齢になると少しずつ出来ないことは増えると思う。しかし生活そのものが、実は運動でありリハビリであったりする。
以前にも書いたが、生きることの延長が死だから死は特別なことではないと言うこと。自分の始末を考えることはフツーなんだと思った。
人間、こうして物欲を捨てたら他のエネルギーが入って来るのかも知れない。
きっと何かが入るスペースが出来るのだ。両手にモノを掴んだままだと何も掴めない。片手のモノを放して初めて新たなモノを掴める。それは物質的なモノではなく他のモノなのだ。年を取るにつれ欲張りになるか無欲になるかの二つに分かれると言われるが、それは何だろう・・・
ここに来るまではここの『妻』は昔話に登場するお婆ちゃん像だった。正反対で拍子抜けするや否や、私はこの人の体験談を吸い込まれるように聞いていた。
人間力みたいなもの。
話し方、笑顔、間の取り方、そしてとっても美味しい料理が偽物ではないので、ストレートに届いていた。
そうか!私はこの宿に来てこの人の話が聞きたかったんだ、きっと。
引き寄せられているものの理由が分かった。
ガツガツしてない人は何かが違う。
ガツガツしてばかりの私は、話しを聞いていて思うことが多くあった。
明日の宿はまだ決まっていない。
**どうする? **
本日、28.521歩