大きければいいってもんじゃない
何事も、「ちょうどよい」というのがあると思う。
そう思ったのは、ついさっき、旦那が見ていたテレビでやっていた、食べ物が異常に大きいお店特集を見たからだ。
ちょうど私が見たときは、餃子がとんでもなくデカイ店の特集だった。
「面白い」「印象に残る」という意味では、出される食べ物がやけに大きい、とか、昔ながらの定食屋で、量が多いのに異常に安い定食が提供されたり、それは確かに面白いし、店主が好んでやっているのだし、実際繁盛して長年続いているのだから、それはそれで素晴らしいことだ。
だけどこういう「巨大××」みたいなものを見るたびに、やっぱり、ちょうどいい大きさってあるよなぁ。と思ってしまう。
食べ物に関しては、わたしは女性にしては大食いなほうで、高校時代は片道40分のチャリ通学だったこともあり、朝行く前に朝ご飯、学校に着いたら早弁、昼は学校に売りに来るパンや焼きそばを食べ、放課後にケンタッキーに寄って何か食べ、帰宅してから晩ごはんを食べるという1日4食生活。
20代の間も結構大食いで、大学時代の彼氏と付き合うきっかけは、王将の山盛り定食にチャレンジして、わたしが完食したらご馳走してくれるとい賭けでごはんを食べに行ったことだった。
20代まではとにかく質より量で、とにかくいっぱい食べた。
そんなわたしだが、必要以上に大盛りすぎたり、それそのものが大きすぎたりすると萎えてしまう。美味しそうに見えず、食欲が減退するのだ。
そういえば大食いだった大学時代も、全部食べたら無料というカレー屋さんで大食いチャレンジをする先輩を応援がてら見に行ったことがあるが、やはりそのときも出された巨大カレーに私の食欲は失せた。
やはり何事も「ちょうどよさ」があると思う。
とはいえ感覚のものなので、人それぞれのちょうどよさ、があるのだと思うけれど、「大きければいい」「多ければいい」という極端に振ったものはいまいち食指が動かない。
お寿司も、やたらめったらシャリがデカかったり、ネタが必要以上に大きくて、シャリの存在感がなかったり、あれこれアレンジ寿司も見かけるが、ネタがちょっと大きいくらいだと「おっ、嬉しい」となるが、果てしなくデカイと、萎えてしまう。
先に出た餃子も、そりゃあお腹がすいたらいっぱい食べたいとは思うけれど、1つが限りなくデカイというのは、皮と餃子の餡のコンビで餃子が構成されているのに、餡ばっかり食べるはめになりそうであまり魅力を感じない。昔、餃子が好きすぎて、作っている最中に皮が足りなくなったけど、餡だけでも同じだと思って餡だけ丸めて焼いたら、美味しくない。そういうものだと思うのだ。
餃子とかお寿司とか、「もっと食べたーい」と思うのだが、それは、その「ちょうどいい大きさ」の餃子や寿司をパクパクたくさん食べたいのであって、総量が同じだからと言って、やみくもにデカイものを出されると、違う食べ物になってしまうような気がする。
完全に持論だが、寿司は寿司の、餃子は餃子の、ちょうどいい大きさってのがあるんだと思う。そのちょうどよさをキープしているから、寿司も餃子も人気のメニューなのかなぁと。
食べ物に限らず、やりすぎ感があると少し萎えるというか、頑張りすぎたり、数字を追いかけすぎたり、極論に走りすると、なんだか見ているほうが疲れてしまうのだ。
若いころはキワモノやトンガリも面白かったが、一周回って「ちょうどよさ」の良さにたどり着いたのかもしれない。
誰に決められたわけでもない、自分なりの「ちょうどよい」を見つけ、その心地よさを大事に生きていきたいと思う。
ブログチャレンジ13日目達成!
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