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誰がカステラを切るか?それが問題だ。給湯室で起こった「カステラ事件」とは?

昨日書いた、「マウンティング女子」の記事で、
ふと思い出した25年前の話。

くだらなすぎて、思わず笑ってしまうような話なので、ぜひ皆さんにもププっと笑っていただければと思い、このエピソードを書いてみる。

期待に胸をふくらませて入社した会社で任されたのは「雑用」だった

大学を出て新卒で就職が決まり、これでわたしも社会人だ!と張り切って入った会社は、社員は当時で1500人、東証二部上場企業だった。わたしが入社して数年後に東証一部上場し、社員は3000人を超える大企業になる直前の話。

京都の大学から関東に就職することになり、脳内はウキウキ丸の内OLになった気分でいたが、配属先は神奈川の田舎。オフィスビルとはどうやっても呼べない、辺鄙な場所にポツンと建った、4階建ての自社社屋だった。

周りにオシャレなランチスポットなどなく、隣に韓国人が営む焼肉屋のランチがある程度。

思い描いていた華やかな会社員生活とだいぶ違うなぁと思いつつ、せっかく社会人になったのだから、仕事を頑張ろうと自分なりに燃えていた。

しかし配属された先での仕事は「特に決まっていない」だった。

当時、バブルがはじけて景気は最悪、就職だってどしゃぶり世代だったのだが、わたしが入社したのはソフトウエア開発の会社。

パソコンやインターネットが普及しはじめ、ITバブルの前兆のような感じで、不景気な世の中の割に景気がよく、新卒社員も大量採用していて、本部で一気に採用をした社員たちを、てきとーに各事業所に振り分けられていたようだ。

ソフト開発会社なので、採用されるほとんどの人員が開発者、つまりプログラマーとかSEとして採用されるのだが、わたしは文学部、ばりばりの文系で、コンピューターを触ったことさえない。そんなわたしが振り分けられたのは総務部。しかし総務部も人が足りていて、新たにわたしが入ったところで、やる仕事がない、という状態だった。

事業所の在籍人数は300人程度。開発チームは5グループで、それぞれに家長が降り、それぞれの案件を抱えている。

総務部にはすでに5人ほど人がいたので、300人程度の事務なんて、とりあえずまかなえてしまう。しかも、支部なので、支部内の人事異動もなければ、レイアウト変更もない。

なので私が入社したのは良いが、最初に言われたのが

「何やってもらおうかな」

だった。

要は、別にやることがないのに配属された人員だったのだ。

任された仕事は雑用。

とりあえず、電話を取って内線をつなぎ、あとは佐川急便からの荷物を受け取るのと、ランチする場所がない田舎なので、お弁当屋さんに注文するお弁当を各部署から取りまとめてファックスする。あとは社内回覧の仕分けとか、郵便物の仕分けとか。


ヒマでも給料がもらえて美味しいかもしれないけど、むなしさは募る

当時、Windows95が出たばかりで、贅沢にもわが社は一人一台のPC環境という恵まれた環境でパソコンを使うことが出来た。

小学生のころの夢が「パソコンでブラインドタッチするOL」だったので、ここで簡単に夢が叶ってしまったので、とにかくブラインドタッチができるようになろうと練習するために、同期の新入社員に私用メールを打ちまくっていた。あっという間にブラインドタッチを習得した。

そして、仕事が雑用しかないので、あっと言う間にやることがなくなる。当時はほおっておいても仕事がもらえるような状態で、総務課長も暇すぎて漫画を読んでいる、なんて牧歌的な状況だったので、わたしはわたしでネットサーフィンに夢中になり、おかげでネットには詳しくなった。

けれど、やっと仕事でいろいろなことを覚えて、自分の力を発揮できると思っていたのに、むなしさは募っていた。

今のようにコスト削減で人員をカツカツに絞る時代からすると、やることがないのに給料がもらえるとは贅沢な話だが、仕事をバリバリやるぞ!と期待に胸を膨らませて入社した先に、やることがない、というのは私にとって結構キツイ状況だった。

そして、人間、暇だとロクなことを考えない。

総務のお局、Mさんとの出会い

わたしの部署にいた2年ほど先輩の女性、Mさんは、とにかく自分の担当している課長の仕事は絶対に譲らない、という妙なプライドを持っていた。

確か開発チーム5グループのうち、3グループ程度の庶務をMさんが担当しており、あとの2グループをほかの人がやっていた。わたしは新入りなので無所属。なので、荷物の受け取りや代表電話を受ける程度しかやらせてもらえない。

別に秘書とか興味ないし、他人の面倒を見るのは好きではないので、どうでもよかったのだが、うっかりMさん担当の課長と会話を交わすと、ものすごい目でにらまれたり、嫌味を言われたりするのに辟易した。

昔から謎の派閥争いとかは嫌いなので、不条理なことを言われたら言い返していたら、「あなたは代表電話に出るのが仕事なのだから、わたしは電話に出ません」とよくわからない宣言をされ、わたしが電話に出ている間にかかってきた電話にわざとでない、という会社にとって不利益の極みみたいなこともやらかしていた。当然そんなことを見逃すわけはなく、上司に電話に出てくれないので困ると上申して解決したが、Mさんの私への敵対心が一段と増したのは言うまでもない。

そして起こった「カステラ事件」

当時、課長たちはよく出張をしていた。だいたいの場合、総務にも「みなさんでどうぞ」とお土産を買ってきてくれる。

そのなかで、Mさんの担当しているO課長は、長崎の関連会社によく出張していたのだが、出張のたびにカステラを買ってきてくれていた。

個包装のお土産は配るだけなので簡単なのだが、棒カステラのような「切り分け」が必要となるお土産を切り分けるのは総務の仕事だ。

わたしはそういう取り分けとか、配るのが好きではないし、そもそも甘いものやお菓子に興味がないので、基本は手を出さなかったのだが、ある日、その課長がカステラを買ってきてくれて、給湯室に置いてあった時があった。

そして、わたしの隣の同僚が、「3時だしお腹空いたから、あのカステラ切り分けちゃおうか」と私に言った。

そういえば確かに、いつもならいち早くMさんが切り分けて配るはずなのに、今日はなぜかそのそぶりがない。

どうせ配るには切り分けなくちゃいけないし、誰が切り分けても同じだし、もうおやつの時間だし、これを逃したら今日は定時になっちゃうし、で給湯室でその同僚と一緒にカステラを切り分けて、総務部のメンバーと、総務部と同じフロアにある営業部に配っていた。

するとあちらのほうからダッシュで駆け寄ってくる気配がする。

見るとそれは、例のMさんだった。

「それはO課長のお土産でしょ!?なんであなたたちが切り分けてるの??」

と憤怒の表情でわたしたちを問い詰める。

同僚の友人は、わたしより先輩で、Mさんとほぼ同期だったので、「3時だし、Mさんも忙しそうだから」と返したが、

「それは私の仕事ですっ!!!!」

と怒り狂ってわたしたちが持っていた配る用のカステラを奪い、自分で配り始めた。

カステラを切るにも「権限」が必要だとは驚いた。くだらなさすぎて、怒りを通して呆れてしまった。カステラの覇権争いということで、のちにわたしは「カステラ事件」として面白おかしくいろんな人に語り伝えることになる。

やりがいがないことをやると、人は小さなことにもこだわってしまうのだろうか。

このMさんも私が出会った「マウンティング女子」の気質を持っているので、何においてもそうなってしまうのだろうが、わたしはいくら楽ちんな仕事でも、こんなくだらないことに自分を使いたくないと思い、入社したてのこの会社を辞めようかとまで悩んだ。

しかし、それはさすがに勇気がなく、考えた挙句、同じフロアの営業部なら、こんなくだらない小競り合いに付き合うことなく、客先に出向いて営業ができると思い、営業部への異動を願い出た。

狭い世界の覇権争いがない営業部は楽しかった

営業部に異動を願い出たのは、それ以外には開発者しかいないことと、営業チームの面々が「直行直帰」をしていて、会社に寄らずに客先から自宅に帰れることを知って、これは楽しそうだと思ったからだ。

そんな短絡的な思考で、当時、ソフト開発知識もパソコンの知識もゼロだったのに、異動を願い出ると、なぜか「いいよ」と二つ返事で次年度からの営業部異動が決まった。

まあ、電話の取り合いで売上が上がらない部署に人がいるよりは、営業部員が一人増えたほうが、売り上げが上がるのだから、会社側からしたら渡りに船だったのかもしれない。

まだまだ男社会で、営業事務の女性はいたけど、直接客先に向かう営業職の女性はわたし一人で、結構目立っていたようだ。

ろくに知識もないまま、営業部に入ってしまったので、会議で出てくる用語が分からなくて困った。パソコン関連機器も販売していたのだが、ネットは使えてもパソコンの周辺機器などの知識はないので、「ハブって何?」とか「ハードディスクって何?」とか、お客さんから注文が入ってから、それを調べるような状態。

そんな感じなのに、地元企業の建設会社のオッチャンから、小さなネットワークを構築する業務を受注してしまい、先輩と2人であれこれ調べながら客先で設定をしたら、地元企業の社長がお礼にといってフグコースをご馳走してくれた。

飛び込みで営業先を見つけてこいと言われ、せっかくなら派手なギョーカイの客先が欲しいなと思ってレコード会社に飛び込みをしたら成約が取れて、ギョーカイ人の気分でレコード会社に出入りしたりと、なんやかんや頑張った分の成果が出て、ものすごく楽しかった。

カステラを誰が切るか?というどうでもいい争いよりも、目の前のお客さんの要望に応えることに一生懸命になって、喜んでもらえる方がよほど生産性があるし、わたしにはそれが向いていると思って、一生懸命やったら、喜ばれて他部署に紹介してくれたりと嬉しいことがたくさんあった。

不毛な小競り合いより、生産性のあることがしたい

結局この会社で営業を数年やって、営業の面白さを知ったのだが、やはりもう少し興味のある分野のモノを売りたいという気持ちになり、この会社からエンタメ関連の企業に転職した。そこでも企画提案からプロデュースまでいろいろやらせてもらえて、とても楽しかった。

そしてやはり、転職先の会社でも、社内にこもって作業している人は隣人との小競り合い、みたいな狭い世界で争っている傾向が見られた。

「どうしたら自分も周りも良くなるか」を考える

マウンティング女子の記事でも書いたが、人はやはり、どこかで認められたい生き物であると思う。でも、できるなら、その認められたいという気持ちが、他人の足を引っ張るとか、どうでもいいことの争いではなく、生産性のあるほうに持っていけたらいいのにな、と思う。

人生48年、いろんな人に会い、いろんな経験をしたが、総じて思うのは、「どうしたら自分が勝てるか」ではなく、「どうしたら自分も周りも良い方向に向かうか」ということを考えていくほうが、最終的に自分にもメリットが生まれるのではないか?と思っている。きれいごとに聞こえるかもしれないが、その途中で戦う必要が生まれることもあり、よくするための努力も必要だ。大変なときもあるが、なるべくそのベクトルで行動するように意識している。

今日もお読みくださりありがとうございました!

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