「美味しいとこだけもらえばいい」という下心が透けて見える人について考えてみた
とても腹が立つことがあった。
そのことを、人に話したり、じっくり考えて
「何がいちばん腹立たしかったのか?」
を分析してみたら
その相手の
「美味しいとこだけもらえばよいや」
という下心が透けて見えてしまったことが自分的にショックだったと気づいた。人をみる目がまだまだはいな。自分の目が節穴だったなぁとうんざりもした。
しかもきっと、その下心を持つ人に自覚はない。残念だけど。
だいたい、文句ばかり言って何もしない人は、そういう面がある気がする。
そういうことをする多くのひとが自覚もないだろうし、無意識に下心を持つ人にそんなことを指摘したら、逆ギレ必至で100倍返しを喰らい、自分の首を絞めることになるのでおすすめはしない。
無意識なので「感謝してる」とか口では言っていて、本人はそのつもりなのだろうが、うわべだけの発言なんかバレバレだ。普段の行動をみれば、本音がどうかなんて見る人が見ればすぐわかる。
そこのあなた、バレてるよ。
1.「美味しいとこどり」したい人の心理
そういう人は「美味しい部分」が出来上がるまでの行程のなかに、いろんな人の手や助けが入って、今がある。ということに想いを馳せることをしないのだろう。
思いを馳せないし、見ようともしないから、感謝もできないし謝罪もできない。
結果、「ありがとう」や「ごめんなさい」が言えない上に逆ギレという、かなり残念なかんじにになってしまう。
本人が見ようとせず、無意識で気づいてないので直しようもない。指摘されると逆ギレするのでさらに手が付けられない。
プロセスに目がいかないから、「成功してるひと」の成功してる上澄みだけすくえば、自分も似たような成功が得られるだろうと勘違いしてしまうのかなと思う。
さらに重症になると、「すごい人」は努力をせずに元からすごい人だと思っちゃって、さらに自分は何もしたくないから「すごい人エキス」にあやかろうとその人をチヤホヤしたり群がったりする人までいる。
何かがヒットすればそれに群がるし、「これさえやれば安心」なものにすがるのだろう。
2.それ、危険だと思います
これは結構危険なことだと思う。なぜならその下心が見えている人に「簡単に操作」されてしまうからだ。
たとえば、この下心につけいる人に足元をすくわれやすくなる。「○○するだけで稼げる!」みたいなのに食いものにされたり。
たとえば今回のコロナ騒ぎでも、たくさんそんなことが起こっている。まいにち感染者数を発表して今日ふをあおれば人はパニックになる。
パニックになることで「得をする」人がいるのかもしれないとか、なぜこんな無意味な「感染者数」だけ発表して「先週の火曜より増えました」みたいな意味不明なことしか言わないのか、とか
どのくらい重症になるとか、若い人はだいたい大丈夫、とか、人が安心して行動できるための指標を出してる報道を見たことがない。
自粛してない人を捕まえて晒しものにするテレビ、それを見て営業している店に嫌がらせの貼り紙をする人。
その表面だけ見て流される。流される人はもちろん「テレビを鵜呑み」にしちゃう人。
政治家さんも「おいしいとこどり」が下心にあるんじゃないか。パニックにしておけば、他のことに関心がいかないから、政治のあれこれもやりやすいよね。
このパニックで、得をする人がいるってこと。
3.運を味方につける人の特徴
だから、無意識に「美味しいとこ取りマインド」で生きてる人は、振り回されやすい上に、運もつかみにくいんじゃないかな、と思う。
運を味方につけているように見える人は、普段の生活からきちんと下地を作っている。
良いとこばかりに光が当たるけど、影の努力や苦労は見えにくい。
しっかり見ている人は見ているけど、「おいしいとこどり」の人には見えない。そこまでのプロセスに思いを馳せないから。
当然そのプロセスに自分が入って苦労もしたくないし、ヤジは飛ばすし文句をつけて行動せず、上澄みの美味しいとこだけ拾いたいと考えてるのだろうから、まあ結果は違って当然よね。
割と周りの人って、それぞれの人の普段の行いを見てると思う。
普段から信用されている人は、もし何か困ったときにも助け舟が出たり、協力者が現れたりするものだ。
逆に口先だけの人、文句ばかりで行動しない人、そういう人には手を差し伸べたくないし、「それみたことか」と思われるのがオチ。
まあ、真面目に生きていても人に嫌われることは多々あるからあまり気にしても仕方ないが、
自分はなるべく、自分にも他人にも誠実に生きていたいなと思う。
4.結局、自分はどう生きたいかにたどり着く
ここのところ、そんなことばかり考えてるのでSNSでも困ったさんの記事をシェアしたら、アパレル勤務で接客のプロ、販売専門誌に寄稿したり、接客の書籍も執筆している友人がコメントをくれた。
これだけ偉そうなことを言ってるわたしだって、そりゃ美味しいとこだけチュウチュウできたらラクだよなぁって思う。だってもともとズボラだし。
でも、自分の生き方で、どちらを選ぶか?と問われてしまうと、わたしは上澄みチュウチュウな生き方はしたくないし、人生の与えられた時間を使ってせっかくだからチャレンジしたい。そのぶん泣きたくなるような失望や失敗があっても、結局やりたいんだよね。
上澄みをいただいて、そこそこで生きるより,自分がどこまでやれるか試して成長したい。
そんな自分が面倒くさいし疲れるけど、やっぱりそっちを選んでしまう。因果なもんだ。
ちなみにこちらは、コメントをくれた友人、通称「みこっち」の著書。
接客愛が溢れていて、誠実な人柄がお客さんのリピートと売り上げにつながっているんだなぁと勉強になるので激烈におすすめしておく。
こうやって、泣きたいような日々も、いろんな人に支えられてなんとかやっている。
だからわたしもブログ記事を読んでくださっている見えない相手にも、自分の身の回りにいるみえる相手にも、自分なりにできることはやっていくし、逆に今回みたいなことがあったら、対策を講じながら自分なりに進んで行こうと思う。
そして、またまた書いている間に思考整理がされてしまった。
今回わたしは、そういうプロセスを見ない人に対して「プロセスを見ていない!」と怒っていたわけだと気づいた。
そりゃ無理な話だね。ちゃんちゃん。
今日もお読みくださりありがとうございました!
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