見出し画像

満足度ランキング1位の「大塚国際美術館」は、本当にすごいのか?【アラフィフ女のソロ活ガイド】

満足度ランキング1位の美術館

「行ってよかった美術館ランキング1位」
の美術館をご存じだろうか?

とんでもなく辺鄙な徳島県鳴門市にある、大塚国際美術館だ。

ポカリスエットやボンカレー、リポビタンD、オロナインなど、誰もが知っている商品ラインナップを持つ大塚製薬のお膝元、この鳴門市で、鳴門の砂浜の砂を使った陶板に、1000点以上の世界の名画を焼き付け、複製したものを展示している変わった美術館だ。

全てが堂々とレプリカ。

けれど作品すべて、もちろん著作者の許諾を取っていて
ピカソの子孫とか、ゴーギャンの子孫とかも細かく仕上がりをチェックしているいわば「お墨付き」の作品ぞろいだ。

日本人が本気を出した傑作美術館


絵画は画材の性質で、年月を経るにつれて劣化や退色がある。
けれど陶器は何百年も色があせず、当時のままの色を保てるという特性を生かして、名画の本物を写真に撮り、「いまの姿」を後世に残そうという本気のプロジェクトだ。


写真を撮ると言っても色味や光の加減があるし、それぞれの美術館に出向いて慎重に撮影をする。それを焼き付け、色や質感のチェックをし、ときには油彩の凸凹を再現するために筆を入れ、さらにまた焼き付け、、を繰り返す。

日本は本気を出すと
信じられないような執念で
とんでもないものを生み出す。

この大塚国際美術館も、そんな執念を感じる。
日本の職人魂をなめてはいけないのだ。

そして、ここに集められた名画の「本物」を自分の足ですべて鑑賞しようと思えば、人生のほとんどを名画を探す旅に出なくてはならない。

ヨーロッパ在住ならまだしも、わたしたちは日本に住んでいて、観光するにしても絵ばかり見て歩くというのはあまり考えられない。

ということは、この美術館にさえ来れば、世界中の名画を堪能し、名画を通じて「世界一周」することができるのだ。


コスパと効率が大好物のわたしは、このコスパ感に惹かれて
ぜひ訪れたいと思っていた。


さらにすごそうだ、と興味を引いたのが


この美術館のレプリカはすべて
「実物大」である。

学生時代に、美術の教科書で名画を見た記憶はあるが
実際にその名画を見たときに、
一番驚くのはその「サイズ感」である。

今まで教科書の隅っこでしか見たことがなかった絵が、
いざ実物大になると、口をポカーンと開けないと見られないくらいの大きさでビックリしたことがある。


デカさの違いだけで、迫力が数十倍になる。


さらにこの美術館は、絵だけではなく
礼拝堂の天井画や、洞窟の壁画まで、「原寸大」でリアルに再現している。


もうここまでくると、歴史的価値よりも、
大塚美術館スタッフの職人魂に頭が下がる。


ぜひ訪れたいと思っていた時に
たまたま四国をひとり旅するチャンス(というか思い付き)があり
待望の大塚国際美術館訪問、となったわけである。

今回の旅は、大塚国際美術館メインで、
美術館にまる1日使うつもりでいた。

なんでもこの美術館、辺鄙な場所なだけに巨大で、
推奨ルートをまっすぐ歩いただけでも4kmの道のりがあるという。

ならば私のように西洋美術が好きで、
気に入ったものをじっくり見たいという人には、1日でも足りるか分からないと思ったからだ。

そんな大塚国際美術館を体験したわたしの感想である。
思いのままに感情をダダ漏れさせて書いていくので、個人差はあれど、この美術館に興味のある方は参考になれば幸いだ。その代わりネタバレもあるので、ご注意を。

入ってすぐに圧倒される


朝いちばんから訪れるつもりで、前日に鳴門入りしていたわたしは、ドキドキしながら開館直後の午前10時前に憧れの大塚国際美術館前に降り立った。

美術館の入り口には世界の国旗が並び、さながら「国連」のようだ。

画像12


ここで合流した友人のアナウンスで気づいたが、閉館するときにはきちんと国旗をきれいにポールに巻き付けて、旗を降ろす。それだけでもかなりの労力があろうに、それだけですごい。

入り口から長いエスカレーターを上り、巨大美術館の旅がスタートだ。

と、思った瞬間に目の前に現れたのは
わたしが高校生の頃から、歴史の資料集で見て一度は見てみたいと思っていた、ヴァチカン市国にあるシスティーナ礼拝堂の壁画、ミケランジェロの「最後の審判」だった。

画像12

しかも内部そのまま同じスケールで再現されている。

いきなりシスティーナ礼拝堂が目の前に「ある」のだ。

あまりにもあっさりと夢が叶ってしまって
拍子抜けしながら足を踏み入れる。

礼拝堂だけあって、天井が高く、天井を見上げると、マスクの中の口がぽかーんと開いてしまう。というか、天井が高すぎて、天井画をじっくり見るには首が痛すぎて長いこと観られない。

それよりなにより、ここで観たかったのは正面の壁画「最後の審判」だ。

画像12


キリスト教の教えはザックリとしか知らないが、
人が死ぬと、いままでの行いをもとに最後の審判というのがあって、
いい行いをした人は天国へ、そうでない人は地獄へ行くということになっていて、それを絵で表したものだ。

この絵が描かれたような16世紀ごろはまだ識字率も低いし、国教がキリスト教ということもあって宗教画が多く書かれた時代。絵は「見ればわかる」ので庶民に受け入れられやすいこともあったのだろう、中世までは絵と言えばほとんどが宗教画だ。

その中でもこのシスティーナ礼拝堂の「最後の審判」は、とんでもない迫力だ。死んだらここに行くのか、、、という想像ができるくらいの躍動感で、この礼拝堂で礼拝をするなら、わたしも本気を出して、ぜひ天国にお願いしますと祈ると思う。

さすがミケランジェロさん、と「さん付け」で呼んでしまう感じでやはり圧倒的に「上手い」。なんか、文句のつける場所がない抜け目のなさというか、お茶目さはないのだが、うまい。

そしてこの礼拝堂の脇に、なぜか現代っぽい絵画が飾られていて、そこで記念写真を撮っている人がいる。「?」と思ったら、なんとアーティストの米津玄師が描いた「レモンの絵」だった。

画像12


なんでもNHK紅白歌合戦で、米津玄師が大ヒット曲「Lemon」をこの大塚国際美術館のシスティーナ礼拝堂で歌ったらしく、それで来館者も爆上がりしたらしい。米津さまさまである。

そんなことを思って、いきなり入り口から圧倒された大塚国際美術館だが、この後も休みなく、ひっきりなしに圧をかけてくる。

礼拝堂に洞窟に、まさかの遺跡巡り

わたしの予想では、システィーナ礼拝堂は「最後の目玉」と勝手に想像していたのだが、最初にいきなり大玉を出してきたことに圧倒された。最初にこれ出しちゃって、ネタ切れしちゃわないか他人事ながら心配にもなった。

が、心配ご無用、これから圧をかけ続けられるのである。

システィーナ礼拝堂は出入り口のすぐそばにあるので、長い長い旅路を考えると、いろいろ見て、最後に〆のシスティーナもできると考え、あまり長居せずに次の順路へと向かった。

すると今度は、ギリシャの画家、エル・グレコによる宗教画の祭壇衝立が現れた。これまたでかくて、2階建てくらいの高さはある。12メートルらしい。しかもこれ、現存しないというのだ。

画像12



16世紀ごろにあったはずだが、ナポレオン戦争で破壊されてしまったらしい。それを歴史家などが考証し、推定復元としてこの大塚国際美術館で初めて復元展示されたというのだ。

ちょっとまじでやる気ありすぎ。レプリカどころか、世界中のどこに行っても見られないものがあったじゃないのよ。

大コーフンしながら、洞窟の展示に向かう。
トルコをひとり旅したときに訪れた、カッパドキアの洞窟壁画が再現されていた。宗教弾圧され隠遁生活を送っていたキリスト教の信者が、洞窟に礼拝堂を作り、宗教画を描いたとされる。

画像12


これは30年ほど前のひとり旅で実際に観たはずだが、再現っぷりがすごくて驚いた。さすがにその場の洞窟ならではのじめっとした空気感までは再現できないにせよ、石灰岩の洞窟内に描かれた絵のかすれ具合や地面の凸凹まで、すべて陶板で再現されており、やはりここでも完成度の高さと、スタッフの根性に圧倒された。「やったるでオーラ」がすごいのである。

画像12

こうして入館直後から「原寸大の部屋展示」が続く。ほんとにネタ切れしちゃうんじゃないの、と心配になるくらい、バンバン本気を見せてくる。

だが、進むにつれ、ネタ切れどころかこれはほんの序章だったことに気づく。

アレキサンダー王も墓も壺もドンとこい

環境展示、という礼拝堂や洞窟の再現ですでに圧倒されながら、年代別の系統展示に移る。

まずは古代だ。古代は絵画としてはまだ成熟してないし、あんまり興味が・・・と思ったが、まだ序章なのでやはり真面目に見てしまう。歴史の勉強をやろうと思ったときに、ついつい原始時代ばかりやってしまうのと同じだ。

だがそんな古代でも「あ、歴史の資料集で見たやつ」ってのがいきなり登場する。「アレキサンダー大王の戦い」のモザイク画だ。これも原寸大なので、写真でちょこっと見たことあるな、程度の印象だったものが思ったより大きいので思わず立ち止まってじっくり見てしまう。

画像12

アレキサンダー大王がどうかより、この資料を見ながら世界史を勉強した学生時代を思い出してしまう。あれは、こんなに大きい絵だったんだ。と、昔と今が交錯しながらモザイク画(のレプリカ)の前に立ち尽くす。

古代の復元は壺もあって、なんでも紀元前530年ごろの英雄が将棋をさしているという絵の壺。なんでこれを?と思うが、選定は当時の東大の副学長がされているらしい。歴史的価値があるのだろう。ありがたく拝む。

さらになんだか飛び込んでいる男の絵があったが、それはお墓の蓋に描かれた絵だという。ここまでくると私は価値が分からず、解説を読んでふうむとうなる程度。まだ絵画の技法も確立されていない2500年くらい前に描いたなら上手いじゃん、とか、絵心ないくせにかなり上から目線で見てしまい、失礼な感じで古代を味わった。


中世のピエタ攻めにどんよりする

歴史の勉強でやけに真面目に原始時代を学んでしまうかの如く、あまり興味がないのに古代をじっくり見てしまい、なかなか中世にたどり着けなかった。たぶん礼拝堂と古代だけでも1時間以上経っていたかと思う。すでに小腹が減り始めていた。

しかし、美術館は閉館が早い。大塚国際美術館も、わたしが訪れた日は17時閉館。お昼前に多少は進んでおかないと、1日かけても回り切れない可能性がある。

どちらかというと世界の名画と呼ばれる作品は、現代に近い18世紀以降のものがほとんどだ。それ以前のものは、宗教画だったり王様の肖像画だったりで、美術の本よりも、歴史の資料集で見ていたものがほとんどだ。

だがそれでもいざその資料集で見た作品を原寸大で見ると、「あ、教科書で見たやつ」と足を止めてしまう。やはり教科書に載るくらい有名なものは、人の目を引く何かを持っているのだろう。

それで、宗教画だ。

中世はとにかく絵=宗教画だ。

権力者がお金を出して、画家に描かせるので、もしかしたら他にも庶民的な絵があったのかもしれないが、現代まで残っているのは宗教画オンリー。西洋美術なので当然キリスト教の絵画。

その時期にたくさん描かれた「ピエタ」という絵がある。
「ピエタ」とは、イエス・キリストが十字架にかけられ、磔にあって亡くなった後に聖母マリアが息子を抱いて嘆く図のことだ。

その「ピエタ」がこれでもかというほど集められて、中世のコーナーは「ピエタ攻め」だった。要は力尽きたキリストを見続けるのである。わたしはよくいる日本人と同じく、特定の宗教を信仰しているわけでないので、この「ピエタ攻め」は結構お腹いっぱいになってしまった。

ごめんなさい。最後の方は「はいはいピエタね」って通り過ぎた絵も多い。だって、その一つ一つはものすごく価値があるのだろうけど、とんでもない量なんだもの。

まだまだ先であろう西洋美術の絵画まで体力を取っておかねばならない。

やっとたどり着いたルネサンスで、「最後の晩餐」にビビる


ピエタ攻めと、宗教画攻めに遭いながら、やっとルネサンス初期にたどり着いた。やっと、ラファエロとか、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチあたりが出てくる時代だ。


やはり歴史の資料で見たことがあるラファエロの「アテネの学堂」は、ヴァチカン宮殿の署名の間に飾られていることもあり、とんでもなく大きい。

この絵には古代ギリシャの賢人たちがオールスターで登場する。
メインキャストはプラトン、アリストテレス。

画像12

いまハマっている漫画で「チ。」というのがあるのだが、この地球の美しさに惹かれた者たちが、キリスト教的には禁忌な地動説を研究していくリレーストーリーで、この中に古代ギリシャの時代に地動説を唱えている、アリスタルコス学者の名が出てくる。

画像10

なんでそんな時代に、テレビもねえ、ラジオもねえ、電車もそれほど、どころか全く走ってねえ、の古代に太陽が中心だという説が考えつくのか謎だが、とにかく古代ギリシャの学者は「頭がいい」という印象が焼き付いた。非常にバカっぽい感想で申し訳ないが、本心だ。

少し話がそれたが、そんな古代ギリシャの賢人たちを描いた絵画を筆頭に、ミケランジェロ、ラファエロなど、宗教画ではあるのだけれど、ラファエロのような優しさ、美しさを備えた絵画や、ミケランジェロのように躍動感があり、肉体美を描いた絵画などバリエーションが増えてきていて楽しくなってくる。

おお、やっとなんかいい感じ。とまたバカっぽい感想を持ちながら順路を進んでいくと、「最後の晩餐」の部屋に入った。

義務教育をまともに終えた人なら、名前は知らずともきっと全員見たことがあるであろう、レオナルド・ダ・ヴィンチ巨匠の「最後の晩餐」

キリストを密告した裏切り者ユダの存在を知りながら、翌日の死刑を前にキリストが使徒たちを集めて晩餐するシーンを描いた名画。

この部屋は、全面がこの絵だ。この絵に合わせて部屋を作った感じ。

この「最後の晩餐」の部屋が面白いのは、同じ絵が「2枚」あることだ。

これと

画像12


反対側の壁にこれ。

画像13

一部屋に2枚、同じ絵がある。けど微妙に違う。

これは「修復前」と「修復後」の同じ絵だ。
オリジナルであればどちらかしか観られないはずだが、レプリカをうまく利用して、修復前後の比較ができるように展示してある。

そして面白いのが「修復前」とされている絵画は、実は色が剥げたり劣化するたびに、チョチョイと適当に(かどうかは不明だが)上書きして数百年経ったため、ほとんどが後世の描き足しで、どうも一番最初の絵とずいぶん変わってしまっているということが近年判明したそうで。

大規模修復の際に、どうせなら「描かれた当時の状態に近づける」をテーマにしようということで、時代考証や最新の技術を使って21年かけて「元の姿に戻すための修復」をされたようなのだ。

そのことについて詳しくはこちらのサイトが詳しいので、リンクを貼っておく。

このサイトによると、オリジナルの「最後の晩餐」作品は定員25名の入れ替え制で、1回15分しか観られないそうだ。

けれどここ、大塚国際美術館では、修復前後の絵2枚を、広々として、快適な室内で、しかも椅子にすわって好きなだけ眺めることができる。

もはや、オリジナルを超えているんじゃないかという企画、展示方法に、すっかりここの美術館のファンになっていた。

しかし、ここはまだ中盤にも至っていない。次に進むのだ。
けっこう足も疲れてきたけど、美術鑑賞はルネサンス以降のこれからが本番だ。ひーひー。

モナリザ、ヴィーナス、裸婦まみれ

すっかりこの美術館の規模に圧倒されながら順路を進むと、
今度はひょっこり「モナ・リザ」が現れた。

画像12

今までどでかい規模の美術品を観てきたので
いきなりポスターサイズのモナリザに、ちょっと拍子抜けだ。

ルーブル美術館は行ったことないのだが、常に人だかりで厳重なガラス張りがされていて、オリジナルを観るのは結構大変だそうなのだが、ここのモナ・リザは見放題だ。さすがに触るのはだめだが、至近距離まで近づける。

しかも館内の展示品はほとんど撮影オッケーなので、モナリザと2ショットも撮れる。なんでもありなサービス精神がたまらない。

画像14

これもレプリカである、ということと劣化しない陶器で出来ている、
というのが大きな理由だろう。オリジナルの油彩だと、やはり劣化が激しいので厳重に管理するしかない。

やや拍子抜けの「モナ・リザ」を見た後は、ボッティチェリの「ヴィーナス」だったり、ラファエロの宗教画だったり、中世以前の「ガチガチのキリスト教画」から少しゆるんで、聖母子像の絵画でも、ラファエロのようにふっくらやわらかいタッチだったり、あと何より大きな変化は「裸婦いっぱい」なところである。

画像15

裸の女性を描くなんてとんでもない!な時代から、ここぞとばかりにみんなが裸婦を描き始める。時代の変化って、こうやって観ると面白い。

そしてこの美術館は「裸婦ばっかの部屋」みたいなのがあり、裸婦攻めにもあうことができる(笑)

とても美しいが、ちょっと飽きる。

なので、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」やラファエロの「聖母子像」などを楽しんで、次なるバロック期の展示に向かった。

画像16

フェルメール、レンブラント「光の時代」

バロック展示に入ると、宗教色がかなり薄れて、風景画だったり、肖像画が増えてきた。もうぐったりしたイエス・キリストがお腹いっぱいだったので、なんだか助かった。

この時代の展示で、想像よりも良かったのはレンブラントの「夜警」。

画像17


これもかなり大きな作品で、「光と影の魔術師」と呼ばれたレンブラントの「光」が良くわかるよう、かなり暗い部屋に展示され、絵にスポットが当てられていて、より絵の中の「光」を感じることができた。

うわぁぁあ。とため息が出る感じだ。

画像18

描かれている人は市民隊の人たちで、何がどうってわけでもないのだが、
今まで時系列で美術作品を観てきて、光と影を巧みに使った表現方法というのは、このレンブラントあたりからなのだ、という歴史的転換ポイントとしての認識になる。

電気などなかったこの時代、差し込む光は今よりもずっと貴重で美しいものだっただろう。それを見事に絵画で表現しているのは、まじですごい。まじですごい。しか言えない自分が情けないけど、すごいのだ。

光と影の画家と言えばもう一人、フェルメールがあがるだろう。 

画像21


フェルメールがここまでもてはやされたのは、ここ10年~20年くらいのような気がするが、いまや誰でも知ってる「真珠の耳飾りの少女」なども、今までの時代からすると革新的だとわかる。

画像19

宗教画でも、権力者でもない庶民の少女を描くこともそうだし、光を意識した絵画技法もそうだし、この時代に流行った手法なのだろうが、この作品が特に取り上げられ後世まで残ったというのは、やはり名画と呼ばれるものは、何か万人を惹きつけるものがあるのだろうな、と予想する。

もひとつ、「ラス・メニーナス」もこの時代の名画だ。

画像20

これはスペインの宮廷画家のベラスケスの作品で、王女マルガリータを中心に描いた作品だが、後ろの方には肯定フェリペ4世とその妻アンナの肖像画が描かれ、ついでに左の方に自分も登場させていて、いろんな謎かけというか、いろんな読み方ができる絵として名画認定されている。

名画を観ていて思うのだが、けっこうな頻度で「頼まれた絵の中に自分も描いちゃう」という画家がいるのだが、勝手にそんなことして怒られないのかな、とも思う。もしわたしが画家で、クライアントから絵を頼まれたら「自分も描いちゃえ」とはならないと思うのだが、そこはユーモアとして認められていたのかなと思うと、クスっと笑える。

ひと休みは「モネの池」テラスで

順路的に、フェルメールを見た後には美術館内のカフェに行けるようになっている。このカフェは外にテラスがあり、そこにはモネの「大睡蓮」連作が展示されていて、その外側はモネの「睡蓮」の池をイメージさせる池が作られている。

画像22


画像23

訪れたのが五月晴れの日だったこともあり、テラスの風が気持ちいい。藤の花をはじめ、色とりどりの花も咲き乱れて目が楽しい。さらに山の上に作られた美術館なので、眼下には鳴門の青い海が広がって開放感バツグンだ。

画像24

もし近くに住んでいたら年パス(あるか不明だけど)買って、天気のいい日は毎週来たいくらい気持ちの良いカフェだ。海風に吹かれながら、ひとやすみ。最高である。

やっと本格的な近代画。モネ、ルノワール、印象派が炸裂

モネの池のテラスがものすごく気持ちよかったが、まだまだ先が長いことを知っていた私は早めに席を立った。もう午後2時半を過ぎていたと思う。5時の閉館までに、近代、現代を見切らなければならない。ちょっとほんとに本気出し過ぎな大塚美術館さん、ふだん歩かないわたしをとことん歩かせる。

近代画はかなり自由な意匠で描かれているものが多い。ドラクロワの「民衆を率いる自由の女神」など、時代を表すものも多い。権力者が描かせた中で、これも想像よりもすごいと思った作品が、おそらくみんな歴史の資料集で見たことがあるであろう「ナポレオン一世の戴冠式」である。


画像25

ナポレオン一世に思い入れはないのだが、とにかくこの絵がめちゃくちゃ大きい。高さ6メートル、幅9メートルだ。ここでは、この作品のサイズに合わせて部屋を作っているので、ナポレオン専用部屋だ。大きな絵画の真正面には椅子が置かれていて、ゆったり観ることができる。先を急がねばと思いつつ、思わず椅子にすわってその空間を味わった。

テレビもない、ラジオもない時代に、こんな大きくて迫力のある絵を見せられて、その中心にいる人物が権力者だとしたら、あまり教育を受けていない民衆は「この人すげえ人だ」と思ってしまうであろう。そのくらい宣伝効果バツグンな絵なのだ。しかもナポレオン一世が戴冠されているのでなく、その妻ジョセフィーヌに自分が戴冠している絵だ。もう俺、王だけんね!と絵が既成事実を作ってしまっている。ナポレオンを自分を見せるのがうまかったんだろうな。

ナポレオンに圧巻されたあとは、やっとこさ印象派。
モネは「睡蓮」が有名だが、わたしはボストン美術館に行ったときに観た「ラ・ジャポネーゼ」が結構好きだ。

画像26

日本びいきだったモネが妻に着物を羽織らせ、かわいらしくポーズを決める彼女を描いた作品。モネは、この妻のことが好きでたまらないんだろうなーという可愛さなのだ。だが妻はこの絵が描かれた3年後に亡くなってしまったそうだ。

あとはマネの「草上の昼食」。これはなぜ有名なのか個人的にわからなかったのだが、ここで説明を読んでわかった。

あんまり興味ないのでちゃんと見ていなかったが、この絵、洋服を着た紳士の横に、屋外なのに丸裸の女がこともなげに座っている。今だったら即警察沙汰だ。そういわれてみればけっこうクレイジーな絵。

で、この絵、マネはサロンに出展したらしいのだけどもちろん落選し、その落選した絵ばかりを集めた絵画展に出したら、「女がすっ裸じゃねぇか」と議論を生んだ話題作らしい。いわゆる炎上商法ってやつだろうか。ちょっとマネが好きになった。

もうあとは大御所ルノワールさん、ムーラン・ド・ラ・ギャレットをはじめ、さまざまな名作は「喫茶ルノワール」にいけばポスターが飾ってある(笑)

かくいうわたしも、初めて西洋美術に興味を持ったきっかけはルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」だった。

画像27

田舎娘だったわたしは、木漏れ日の中で楽し気に談笑する、華やかでにぎやかな婦人や紳士に憧れを抱いた。わぁ、きれい。田舎娘だったわたしがいい気分になれる絵だ。いまも自宅のベランダバラ園には「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」という名前のバラを育てている。ピンクと黄色の混じった、クシュクシュした花で、めちゃくちゃ可愛い。

画像28

そのほかにもドガの踊り子やロートレックのムーラン・ルージュなど、これでもかと名画が目白押しだ。
 

画像29


画像30

ここに時間を取られると思ったが、意外や意外、このあたりの印象派作品は、美術館の企画展などで本物を見たことがあるせいか、大きさも普通サイズだったせいか、そこまで時間がかからなかった。

油彩に関していえば、やはり本物を見たことがある作品の場合、陶板で足りないなと思うのは「油彩のデコボコ感」である。印象派作品は特に、油絵の具をベッタベタにしているので、凸凹がないとちょっとあっさりして見えるし、やはり印象派は名画すぎていろんな施設にポスターが飾られているので「ポスター感」が若干出てしまう。

ゴッホの「ひまわり」全7作を揃えちゃった件

時間がかかると思われた印象派を意外と早めに抜けたな、と思いきや、また待ち受けていたこの美術館のオリジナル企画に足を取られる。

それは、ゴッホの名作「ひまわり」全7作を揃えちゃった展、である。

わたしもゴッホについてはあまり詳しくなかったのだが、息子と名探偵コナンの映画を観ていた時に「業火の向日葵」というゴッホのひまわりにまつわるストーリーがあり、それでゴッホの「ひまわり」が全部で7作あると知った。

もちろんすべて高値がつけられ、世界各地の美術館に所蔵されているのだが、ひとつだけ「幻のひまわり」があるという。

なんでも2作目の「ひまわり」は、日本人文豪である武者小路実篤が買い付けたのだが、第二次世界大戦で燃えてしまい、いまこの世に現存していないという。そこでこの大塚美術館が意地と根性で復刻させたのだが、その手掛かりは、手帳だか何かに挟まれていた2作目のひまわりの写真だったとのこと。写真技術も低い時代のものなので、時代考証と、ほかのひまわりとタッチを揃えたりとかなり慎重に復刻したと思われるその「幻のひまわり」を加えて、ゴッホのひまわり7作揃えちゃいましたコーナーができた。

画像31

もう本当にただの美術館ではない。気合が入りすぎている。

ゴッホの「ひまわり」よりも、この美術館の姿勢に圧倒される。

わたしはこういう「やるなら思いっきりやったるで」な姿勢が大好きである。とにかくこの美術館をよいものにしよう、面白く見てもらえるようにしよう、ここでしかできないことをしよう、というアイデアが詰まった美術館だ。この美術館を作った人たちの愛が降り注いでいる。

ゴッホに関しては油彩の中でも凸凹がかなり激しいので、ゴッホの絵には多少油彩の筆跡が加えられていた。これも原作に忠実にやったのだろう。画家でもない職人が、ゴッホの絵に忠実に筆を挿すのだ。気合でしかない。

ゴッホは「ひまわり」以外にも、たくさんある自画像を時系列で並べてあったり、「星月夜」や「糸杉」など、ちょっと狂ってきちゃったかな?なタッチの絵も時代別に並べてくれているので、「あ、おれヤバいかも」ってなったあたりの絵はちょっと変だったり、全部一度に見られるからわかることもあるんだなと思った。




ゴッホは有名なので本物が観られる企画展もあったと思うが、期間限定だし、ここのゴッホは逃げないでいつでも時系列でみることができる。

ひーひー言いながらゴッホを堪能したら、
今度はムンクの「叫び」が登場した。

画像32

すでにスマホの絵文字になっているくらい有名な「叫び」だが
改めてよーーーく見ると、マジでやばい絵だ。

添えられている言葉は

「黒く青いフィヨルドと町の上には、血まみれの下のような形の炎がかかっていた。友人は先を行き、私は恐ろしさにふるえながら、あとに残った。そのとき、自然をかけぬけるような大きな、終わることのない叫びを聞いた」

もう絶望しかない感じである。

さあもうすぐ現代よ、と気を抜いていたら、
クリムトの「接吻」があった。

画像33

意地でも名画攻めである。

クリムトの「接吻」は、さほど好きではないが、
なぜか足を止めてしまう魅力がある。

ちょっと変わったモザイク風だし、
なんだかオシャレ。そしてキレイでカッコイイ。
絵画というより、モダンなデザイナーのはしり、みたいな印象だ。
ここでも疲れた足を休めるべく、置いてあった椅子でしばし鑑賞。

ほんとに盛りだくさんだ。

広大な芝生の先にあった「本館」

盛りだくさんの近代を経て、順路を追って、さあ現代。
階段を上ってたどりついたのは「本館はこちら」というアナウンスだった。


ちょ、待てよ。

今までのわたしはどこにいたんだ?

どうやら私が今までいたのは「別館」だったらしい。

そして別館から本館へ行く途中には
広々とした芝生が広がり、やはり眼下には鳴門の青い海。
この芝生だけで一日中遊べそうな気持ちよさだ。

画像34

画像35


だがこのときすでに時間は4時を過ぎている。まずい、急がねば。と
名残惜しく本館の現代作品を観に行った。

現代美術は、よくわからないものも多いが、シャガールやピカソなど比較的最近の画家が入っているので気が抜けない。

足早に本館に急ごうとしたそのロビーには、
ロビー全面に展示されたピカソの「ゲルニカ」があった。

画像36

ここで止まらないわけにいかないじゃないか。

しかも大きな窓からは、さきほどの芝生と海が見える景色。
ロビーには原寸大のゲルニカ。
その正面には、ゆったりした椅子がある。

座るに決まっている。

ピカソの生まれ故郷、スペインのゲルニカという町が無差別爆撃に遭ったという知らせを聞いたピカソが、抗議の意をこめて1か月で描きあげ、パリの万博に展示された力作だ。

初めてこの絵を見たのは小学生の頃、美術の教科書だったと思うが、
正直、「変な絵」という感想だけで、特に心を動かされなかった。

大人になってさまざまなことを経験してから観ると、同じ絵でも見え方が違うのが美術の面白いところだ。

戦争への抗議をこめて描かれたこの「ゲルニカ」は、見ているだけで壮絶な犠牲者の叫びのようながものが聞こえてくるような気がする。シンプルにモノクロで描かれているのが、なおさら迫力を増している気がする。

また帰りに観ようと思い、現代展示のコーナーへ。
ピカソの名画がずらりと並び、わたしの好きなシャガールの絵も並ぶ。

画像37


やれやれ、やっと見切った、と思ってたら、企画展みたいなのもあり、「家族の肖像がしばり」とか「食事の風景しばり」とかでまた名画が並んでいる。

画像38

もう疲れたし、流し見でいいかと気を抜いていたら

ゴーギャンの「私たちは何処から来たのか?われわれは何者であるのか?われわれは何処へ行かんとしているのか?」がドーンと出てくる。

画像39

これもかなりの大きさがあり、しっかり見ておきたかったので、また椅子に腰かけてしばし堪能。

新婚旅行でタヒチに行ったときにもゴーギャンの子孫がやってる美術館みたいなのに行ったが、そのときの思い出もよみがえっていい時間だった。

さて、やっとすべての展示を見終わって、時計を見ると4時半。
閉館30分前だ。

この30分を何に使おうと考えて、今日一番印象深かった場所に行くことにした

スクロヴェーニ礼拝堂で奇跡の出会いと、お茶目なエピソード


最初の礼拝堂特集の展示で観ていて、一番印象的だったのが、「スクロヴェーニ礼拝堂」だった。

画像40

実はわたしはこの礼拝堂のことは知らなかったのだが、ここの展示を見て、正直、自分が観たかったシスティーナ礼拝堂よりも素敵だなと思ったので、この礼拝堂を閉館までじっくり堪能しようと思った。

ちょうど閉館間際で誰もいない礼拝堂。
ひとりでじっくりと見まわせる。

すると後ろから誰かの話し声がした。
後ろを振り向くと、友人だった。
この美術館は4回目ということで、途中から合流してはいたものの、
別々に見学していたのだが、誰ぞや知らぬ男性と話しながら入ってくる。

聞けばその男性は、この大塚国際美術館の創設スタッフさん(現・オーミ陶板の課長さん)だった。大塚オーミ陶板という会社の方で、友人が見学をしているときに案内をしてくださり、いろんな裏話を聞きながら見て回っていたのだという。

そして友人がその方に「この美術館で一番観ておいた方がいいものは何ですか?」と質問したところ、ダントツでこのスクロヴェーニ礼拝堂だったそうなのだ。

ビンゴじゃないか。わたしってセンスある。と思ってしまった。

そして友人が、ぜひ私にも見せてあげてほしいといって、その課長さんが現地の礼拝堂で撮影している写真など、建設時の写真をたくさん見せてもらい、たくさんの工程を経て作られた美術館ができるまでを見せてもらうことができた。

そして最後の締めに、スクロヴェーニ礼拝堂だ。

北イタリアのパドヴァという町にあるこの礼拝堂は、高利貸しのスクロヴェーニさんが私財を投じて作った礼拝堂らしい。

そこに絵を付けたのが宗教画家のジョット。

美しいブルーの天井、横の壁画は、イエス・キリストの生涯、のみならず、そこからさかのぼって聖母マリアの生涯、のみならず、そこからさらにさかのぼってマリアのお母さんのアンナの生涯、まで時系列に描かれている。

画像41

その時系列のお話を、課長さんが面白おかしく、オチをつけ、ときには謎かけで説明してくれる。ははぁ、ほほうとテンポよくお話が入ってくる。

正面には最後の審判の絵が描かれている。この最後の審判の絵が面白いんです!と課長さんが力説する。確かに美しいが、何が面白いのかと思ったら、この礼拝堂自体が、とんでもない理由で建設されていたことが分かった。

イエス・キリストにごまをするための礼拝堂だった

この礼拝堂を建設したスクロヴェーニさんのお父さんは高利貸しで一儲けし、ひと財産築いたらしい。

だが当時、高利貸しというのは宗教的、人道的に「ナシ」な職業で、
最後の審判にかけられたら間違いなく「地獄行き」確定な職業だったらしい。

人間、死んだ後のことは分からないが、やっぱりどっちかといえば、いや、ぜひとも天国に行きたい。死んだ後のことは分からないが、なんとなく、死んでからのほうが人生長い気がするし。最後の審判で描かれている地獄は、とにかくどんよりしていて最悪そうだし、なんとか行かないで済む方法はないものか。

で、思いついたのが、高利貸しで稼いだお金で立派な礼拝堂を建てて、
「うちだけ例外で天国にお願いします」作戦だというのだ。

その証拠にこの礼拝堂の最後の審判で、天国側に半分足を突っ込んで、事務員みたいな人に交渉している人が描かれている。それがまさにこのスクロヴェーニさんらしい。(真ん中下よりやや左の3人がそうらしい)

画像42

絵にしてしまえばこっちのもの、とばかりに、「ほぼ確で天国」の位置に描いてある。これだけ有名な画家を起用し、キリストさまの生涯のみならず、マリア様、そしてマリア様のお母さままで描いてありますので、そこんとこよろしく、ぜひうちだけは特別に天国へお願いします。というお願いマッスル的な礼拝堂だ。課長さんのお話を聞いて、ものすごく俗っぽくて人間臭い礼拝堂だとわかり、大好きになった。

うわべだけのきれいごとは大嫌いなわたしである。
人間は俗世間の生き物なんだから、神聖でありたいと願いつつも、俗っぽくて当たり前なのだ。その俗っぽさの権化みたいな礼拝堂が、うっかり美術的価値を認められて有名になっちゃった、ってのが面白すぎて、ほんとうに大正解なラスト30分を過ごすことができた。

この課長さんと、もっともっとお話ししたかったが、さすがに閉館で電気が消され、シャッターが閉まり始めるとそういうわけにもいかず、退散となったが、わたしが横浜から来たことを伝えると、神奈川県にも大塚オーミ陶板性のものがたくさんあるよ、とサンプルを見せてくれた。

もっとお話し聞きたかったです!

ありがとうございます!

なんと横浜駅西口の通路に敷かれている「歩きたばこダメよ」のサインなどは、ここの陶板を使用しているらしい。強度が高く、色も劣化しないということで、さまざまなシーンで使われているらしい。

総括・辺鄙なところでも最高の体験ができる

かなりの覚悟をして、たっぷり時間を取って訪れたが、それでも時間が足りない!という感じだった。

初めてだったので観るだけで精いっぱい、お腹いっぱいになるが、友人は4回目の訪問なので、好きな絵画だけ見て回るのだそうだ。1回では物足りないというか、確かにもう一度余裕をもって、好きな絵をじっくり見に来たいと思った。

もしあなたが西洋美術が好きなら、訪れて損はない。というか、世界の美術が一か所で観られるというメリットを超えて、この美術館でしか観られないものがたくさんある。

満足度ランキング1位は大納得、ほんとうにおすすめの美術館だ。

なんと15000字近い大作になってしまったが、最後まで読んでいただいた方に感謝。

パート分けすると面倒かなと思ったので、一気にアップする。
読みにくそうなら章ごとに分けようと思っている。

これでもまだ魅力を伝え切れないが、とりあえずこれで筆をおく。

大塚国際美術館、最高!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?