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絶対的存在感を取り戻す旅8

わたしにとって儀式やアヤワスカやサボテンはそれそのものが何かをしてくれる薬や魔法のようなものではなく…


その体験を通して、自分が何を感じ何を思いどう行動するのか、そしてそれを通して自分を見つめ自分を感じ自分が何者なのか思い出すそんなプロセスの一部。


それは儀式やアヤワスカやサボテンの力を借りた方がプロセスが加速するというだけで、普通の日常生活の中の毎日の出来事も同じ。その体験を通して、自分が何を感じ何を思いどう行動するのか、そしてそれを通して自分を見つめ自分を感じ自分が何者なのか思い出すそんなプロセス…


だから効く効かない、繋がる繋がれない、何かを見る見ない、メッセージを受け取る受け取らない、そんなことよりもその瞬間自分はどう感じ何を思いどう行動するのか…結局はこれに尽きる。


何回アヤワスカを飲んでも毎回体験が違う。その時に一番適切な形で体験するので、どんな形であれそれを通じて自分と向き合っていたら、わたしの場合必ず何かに気付きそれを理解し、最後は喜びに変わる。


1日目よく分からなくても2日目に繋がっている。だから1日目は1日目の体験を。2日目は2日目の体験を。アヤワスカだけでなく場所も人も行動も…その瞬間しゅんかんの自分を感じるだけ。ただその繰返し…


今回サボテンの儀式では特にわたしの物語は生まれなかったけど、主催者ハビエルが彼の人生を通して何かをわたしたちと分かち合ってくれた。それが何か言葉では表せないけど、自分は確かに何かを受け取ったのは分かった。


わたしはいつもこうだ。儀式初日は今回の目的をしっかりと胸に抱き、知らない物語を初めて読んだり観たりする感覚で、ただそこにいる。


アヤワスカを飲んだ時に宣言した目的は手放して忘れてしまう。そして自分の物語を思い出す前の暗闇で自分がなぜここにいるのかを忘れ、苦しみに耐えかねて後悔する。


わたしはずっと自分を見つめている。それが何なのかただ知りたくて。見つめれば見つめるほどそれが何か分かり始め、後は自動的に物語に飲み込まれていく。


そして物語は最後に忘れていた目的の答えを教えてくれる。そこで全てを思い出して喜びに包まれた頃、焚き火の炎や夜空の満天の星やインディオの歌に包まれ自分を忘れる。

アヤワスカが解けた後、自分は儀式の前に知らなかった物語を知っている自分に気付く。


新しい自分でまた3次元生活に戻る。新しい自分はどう感じ、何を考え、どう行動するのか。


儀式も日常も同じこと。ただその繰返し…


続く

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