第五話 シノノメナギの恋煩い
「あなたー」
「おう」
門男のところに小柄の女性が駆けてきた。近くに住んでいるのであろう。スリッパである。見た感じ50前後。そしてわたしよりも背が低い。
「あなた、老眼鏡忘れている」
「ああ、助かった」
「今日は希美が帰ってくるから。莉乃ちゃんつれて」
「おう、そうだったか」
門男が少し声のトーンが上がった。
希美、莉乃……。
娘と孫の名前?
そうか、彼はおじいちゃんか……。そして小柄な可愛らしい奥さん。
「おはようございます」
奥さんから声をかけられる。
「あ、おはようございます……」
別に門男とは付き合ってないけど、奥さんに声をかけられて何動揺しているのよ。わたし。
「今日は喫茶店でボーッとせずにまっすぐ帰ってきてよ」
「はい、わかりましたっ」
「わたしは準備しなきゃ、忙しい……」
わたしは見てしまった。門男が目尻にたくさんのシワができているのを。
「あのさ」
「は、はいっ」
声が上擦ってしまった。
「ちょっとさ、絵本を選びたいのだが……」
少し照れ臭そう。
「はい、カウンターにあとで来てください」
「わかった」
「新聞読まれてからでも良いので」
すると門男はハッとする。
彼はわたしに新聞を読むだけで図書館に来ている男、と思われているのだろうって思ったかもしれない。
絵本、何を選ぼうかな。好きな人の大切な人へのための絵本。
仕事の傍ら、門男さんへの絵本選びも頭の片隅に置いておく。
あの低い声で寝る前に絵本を読んでもらって入眠できる世界線が裏ましすぎるんだよっ。
わたしは親に絵本を読んでもらった記憶は……ない。自分が自主的に読んだことはすごく覚えている。
特に好きなのは現代小説。高校の頃から大人な小説……いわゆる官能小説が好きだった。
普通の恋愛小説じゃもう物足りない。文字で性描写を描くなんてすごいとは思う。セックスのときは実況するなんて相当の経験と体験がないと無理だ。そうでなきゃ変態の願望……?
これをあーしてこうなってわたしはこうなった、相手はこうなって、あれがどうなってなにがどう濡れたとか。
吐息が、とか、吐息って……呼吸は意識したことない。
「こういうの読むのは欲求不満だからじゃ無いの」
とか言われてもおかしく無い。でも自分で体験したことのないことができるのが本の中の世界である。
絵本のことを考えていたのに卑猥なことを考えているわたしって。
あ、丸メガネの短髪男がやってきた。ジロウ。
見た目がお笑い芸人のコンビ、シソンヌのじろうさんに似てるから勝手に名付けた。
他のカウンター空いているのにわたしのところにわざわざくる。
夏姐さん曰く、わたしのことが好きだから並んでるんじゃないのかっていうけど……そうなのの?
彼はわたしと読む小説の嗜好が似ている。小説五冊。これを貸し出し期間二週間で読み切るのか。おしゃれな丸メガネでも支障がない仕事?
普段はどんな眼鏡をかけているのか。いや仕事の時はコンタクトかもしれない。
わたしは多分メガネに弱いかもしれない。眼鏡フェチだ。門男もよく考えれば眼鏡だ。
ジロウはデザインの凝った丸メガネ。指輪はしていない。結婚していないのだろうか。している男でも指輪をしていないこともある、気を付けろ。でも結婚してるしてないかわからない時までわたしの妄想は激しくなる。
あと一番気になってるのは指、爪の綺麗さ。清潔さが漂う。肌も綺麗だ。
男の人の割にはしっかりしていると思う。
「はい、5冊ですね……ご返却は二週間後でよろしくお願いします」
「はい」
と短い会話の中で彼はわたしの顔を見ているのを知っている。
……目が合った。
微笑まれた。
ジロウ、わたしのこと好きなの? なわけないか。
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