第三十二話 シノノメナギの恋煩い
真っ暗。隣に寝ていたはずの常田がいない。見渡す限り暗い。
なぜかわたしの格好はキャミワンピ。モコモコのパジャマを着ていたのに。
「梛《なぎ》……」
声がした。……この声は。
「母さん」
死んだはずの母さん。時たま見る悪夢の始まりだ、胸が苦しくなった。手を当てるともちろん胸はないけれど。
「そんな格好しちゃって。相手の男はそれで興奮するのか、変わったやつね」
……相変わらず口が悪い人だ。あなたもセンスのない服を着ている。でも色っぽさが滲み出てるし、本当の女だから胸や丸みがあるのは羨ましい。それがあっていろんな男を誘惑してきた。
でも人間的には羨ましくない。
「まさかあんたが男に抱かれるとは。女で産めばよかったかしら。あんたが子が産めない体だからいつかは捨てられるさ」
うるさいっ!
「私は産める体だから愛された。でも何人か堕しちまったけど、本当はあんたには何人か弟か妹いたんだよ……」
覚えてるよ。ばあちゃんに赤ん坊堕すからお金ちょうだいって言ってるのを聞いたことがあった。
違うときは生みたいんだけど男に捨てられて育てる金欲しさに来た時もあったけど結局は死産したとばあちゃんから聞いた。バチが当たったんだとかあの時の怖い形相のばあちゃんはいまだにお化けよりも怖かったと覚えてる。
言い返したいけど声が出ない。
「どうやら今いろんな男に言い寄られてるようだね、良い男選ばないとやるだけやって体壊れて捨てられる。年もとると頭から服は被されて酷いことされてとられるものだけとられて捨てられる。あんたも私みたいになるからね、きっと」
違う、そんなことはない!
「あんたの父さんも違うところで家族作ったけど男として使えなかった。そこがあんたに影響したんだろうか……はぁ」
声を出したいのに出ない、もっと喉が苦しくなる……んぐっ。喉も乾いてきた。母さんが笑う。悔しい、苦しい、つらい!
「うあっ!!!」
声がようやく出たと思ったら現実……いつもの声とは違う地声……男だと我に帰ってしまう。手が震える。体も震える。
「梛、どないしたん?」
常田が照明をつけた。私は今の状態を見られたくなかったからすぐに彼を抱きしめ、手探りで照明のリモコンで明かりを消した。
「見ないで……私を」
「ちょ、どないしたん? なんかうなされとったで」
起きてたの? 常田。それにわたしの男の声を聞かれてた?
「見ないで……お願い」
今の顔は見られたくない。本当の東雲梛、男の自分を。
「わかった。大丈夫やでー、梛ぃ」
やさしく頭を撫でてくれた。背中をトントン、ゆっくりゆっくり。
「梛、大好きや。体震えとるわ……怖い夢でも見たんやな。僕がおるで安心してや」
常田……。あなたのその声に癒されてわたしは少しほっとした。気付いたら眠ってた。
また目を覚ますと常田がすやすや寝てて、私はさっと起きて顔を洗いスキンケアをしてウイッグを被り、メイクをした。
女の子の東雲梛で常田を朝食を作りながら待つ。せっかく幸せな日々を過ごしているのに、幸せを感じているときに母さんが夢に出てくるの?
「おはよ、梛」
常田。眠い目を擦ってやってきた。ちょっと頬が赤くなってる。
「おはよ、その頬のは……どうしたの?」
「あー、今な。起きたら一瞬目の前真っ暗になってな、ベッドから落ちたんや」
「ちょっと! 冷やさないと!」
わたしは冷蔵庫から氷を出してビニール袋に詰めて赤くなったところに充てた。
「ごめん、わたしが夜中にうなされてて……抱きしめてくれたから寝れなかったかしら」
「ちゃうちゃう。梛のせいやない。僕の目がエラー起こしただけや。たまにある」
「たまにあるって?!」
「まぁなんとかなるやろ。てか焦げ臭い」
!!! 目玉焼き!!! わたしは慌ててコンロの電源を消した。ああ、焦げちゃったけど常田が心配。一瞬暗くなったって……そんなこと今まであったかしら。
「そんな心配せんでもええって」
「心配する!」
すると常田がわたしの頬を撫でた。
「梛が目の前におった、それだけでホッとする」
朝からその笑顔っ! もぉおおおお。相変わらずキザな事言うんだから。
「それよりも梛が心配。僕にできることあったら言ってくれや」
自分のことを心配してよ……馬鹿。できることあったらって? そりゃわたしも常田が目の前にいたら、それだけでいい。
そうすればどんな悪夢を見ても平気な気がする。
続く
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