あん時の自分を助けなきゃ ~あるボクサーの哀歌~ ②

めったに鳴らない電話。


「はい、中井です。・・え、あ、はい、ちょっとお待ち下さい。」


君子が怪訝そうな顔をしながら、受話器を勇二に手渡してきた。


「山本さんって方から。」


「山本?」


勇二の知っている山本といえば1人しかいなかった。


「お電話変わりました。」


「おー勇二!久しぶりやな!元気にしてたか?」


山本会長からだった。


勇二がボクシングを始めた原点。


山本ジムの会長だった。


何年振りだろうか?


勇二は14歳で山本ジムに入会し、18歳まで練習していた。


そして、19歳で上京し、東京のジムでプロになった。


本当は山本ジムからデビューするのが筋だったと思う。


けれど、勇二はどうしてもボクシングの聖地後楽園ホールで自分の人生を懸けて勝負してみたかった。


だから、勇二は山本会長に少し負い目があった。


しかし、山本会長は、そんな勇二のワガママにも嫌な顔一つせず、心から応援してくれた。


現役中もたまに連絡を取り合っていた。


しかし、7年前の“過去”の出来事以来、連絡を断っていた。


そうか・・山本会長とは7年振りか。


月日が経つのは早いものだと、勇二はしみじみ思った。


「勇二、清の事、覚えてるか?」


「清?・・山中清の事ですか?」


“山中清”


勇二とは3歳違いで、確か勇二が高校3年生の時に15歳で山本ジムに入会してきた。


最初は、剃りこみが頭頂部に届くほど入っていて、生意気な奴だった。


ケンカに自信があったらしく、態度もふてぶてしかった。


初めてのスパーリングは勇二とだった。


お前なんか楽勝だよ!と言わんばかりの清。


そんな清の態度にムカついていた勇二は、清を鼻血が止まらなくなるくらいタコ殴りにしてやった。


だいたい、スパーしていて、鼻血があまりにも出てくると呼吸も苦しくなり、なにより心が折られてしまう。


だから、初心者の人間がスパーで鼻血が出てくると、すぐ背を向けて止められてしまう。


でも、清は違った。


どんなに白いTシャツの赤い面積が増えようと、心が折れることのない真っ直ぐな目をして勇二に向かってきた。


最初のスパーでコテンパンにやられると、ジムに来なくなる奴がほとんどだった。


勇二は少しやり過ぎたかな?と思っていた。


だから、清もきっと辞めてしまうだろうと思っていた。


翌日。


「ちわーーすっ!お願いしまーーーすっ!」


最初のふてぶてしかった態度はどこへやら、礼儀正しくなった清がジムにやって来た。


会長と勇二は、そんな勇二を見て、顔を見合わせて笑い合った。


その後も、どんなに勇二に殴られても食らいついてきた。


そんな清の根性を勇二も認めていた。


清は可愛い奴で、あんなにやられていても、勇二の事を兄貴!兄貴!と呼んでくれていた。


だから、勇二が山本ジムからではなく、東京でプロになると言った時は、寂しそうな顔をして、だけど気合い十分にこう言った。


「僕は山本会長のところでプロになるっす!」


そんなやり取りを最後に、清とは疎遠になっていた。


たった1年しか一緒に練習してなかったけれど、清の事は弟のように思っていた。


「清がどうかしたんですか?」


「・・清な、苦労の末、つい2ヶ月前に東洋チャンピオンになったんや。」


「え!そうなんですか!スゴいじゃないっすか!」


勇二は、あの“過去”からボクシングの情報を一切遮断していた。


あの清が東洋チャンピオンに・・・


地方ジムでチャンピオンになるというのは、至難の技。


練習相手の面でも、都会のジムだと、ジムがたくさんあるから他ジムに出稽古に行ったり来てもらったりできる。


同じジムの選手ばかりとスパーリングしていると、どんなタイプかもわかっているので、馴れ合いになってしまう。


東京のジムでプロだった勇二は、地方ジムの選手が後楽園ホールで破れる姿をイヤというほど見てきた。


そして、マッチメイクの点で、やはり地方ジムは不利な条件を飲まざるえなくなる。


だから、そんな環境で生き残る地方ジムの選手はとんでもなく強かった。


「・・でもな、今日の朝、清は・・・清は自殺したんじゃ・・。」


「え・・・・・」


勇二は言葉が出なかった。


どのボクサーにとってもチャンピオンになるのは夢である。


だけど皆がなれるわけではない。


全ボクサーの一握り。


ほんの一握りの人間しかなることはできない。


そのチャンピオンになったのに何故・・?


「明日の夕方通夜になると思う。・・勇二、来てやってくれるか?」


「はい、もちろん行きます。・・・会長、辛かったですね・・。」


「アイツ、やっと・・・やっとチャンピオンになって・・・」


会長は泣いていた。


清が自殺?・・何故?


勇二は清が死んだという現実が受け入れられなかった。


翌日、君子と2人で清の通夜に行った。


清の自宅は、周りに田んぼが広がっている田舎にあった。


庭に置かれたテレビ画面には、清が東洋タイトルを奪取した試合が流されていた。


最後に会ったのは勇二が東京に行く直前の18歳、清が15歳の頃。


あれから10年という歳月が流れていた。


モニターの中で闘っている清。


あんなにあどけなかったのに、精悍な顔つきになっていた。


最後は鮮やかなKOで勝利していた。


最後に拳合わせてみたかったな・・・


勇二は感傷に浸っていた。


「おおーーー!勇二!来てくれたんか!」


会長は勇二の手を両手で力強く握りしめ、嬉しそうに上下に揺さぶった。


「清の顔、見てやってくれ!」


会長に案内されて、清の自宅に上がった。


布団の上で横たわっている清の傍らで、ご両親は虚ろな表情で座っていた。


勇二がお悔やみの言葉を伝えると、力なく言葉を返してくれた。


横たわっている清。


最後に会った時から10年という歳月。


まだ、あどけなさが残っていた15歳の少年だった清。


様々な闘いを経て、精悍な男の顔になっていた。


清・・・こんな形で再会するなんて・・・


勇二は泣いていた。


首を吊って自殺したらしく、首の部分には白布が掛けられていた。


清!何やってんだよ!起きろよ!


あっ、兄貴!久しぶりっす!


揺さぶったら、あの頃のように清が言ってくれるような気がした。


本当に眠っているような安らかな顔。


通夜の帰り道。


タクシーの中で、会長が勇二に言った。


「勇二、清の初防衛戦を清の追悼試合にしようと思っとるんじゃ。勇二、お前、メインでリングに上がってくれへんか!」


後部座席に座っていた会長が、隣の勇二に言った。


会長の目は真剣だった。


「わかりました。自分みたいなんでよければ清の為にやります!」


勇二は即答していた。


「本当かっ!ありがとう勇二!清も喜ぶわ!」


会長は勇二の手を握りしめ、泣いて喜んでくれた。


答えてから助手席に座っていた君子が少し気になっていた。


下手したら命を落とす可能性だってある。


何の相談もなしに即答して、悪かったなと思った勇二。


「半年後。階級はお前が決めてくれ。その後に相手を探すから。」


あの“過去”以来、止まっていた勇二の人生の歯車が再び動きだした。


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