2番・・・ ⑨本編脱線中・・
数日後、Aさんの事務所に行った。
「おー、コブシさん!」
にこやかに出迎えてくれたAさん。
最初の対応の時と顔つきが違っていた。
(いやいや、気を付けなければ・・・)
まだ私の中では、何か騙されるんじゃないかと警戒していた。
近くのファミレスみたいなところで夕食をとることになった。
「いやホンマに感動したわ!」
Aさんはよっぽど嬉しかったのか何度も私に言った。
それからお互いの話を、どちらからともなく話した。
私がどうして車金融にまで手をださなくてはならなくなったか、昔、プロボクサーをしていたとか。
Aさんも、どうして金融屋になったかとか、今まで貸した客のとんでもない話など。
客の中には、あるヤクザの若頭にも貸していて、返済が滞り、とんでしまったとか。
Aさんは“オヤジ”と慕っている人物の影響で金融屋になったそうだ。
その“オヤジ”と呼ばれる人は、すごい力を持っていて、いくつもの街金を統括している人物だった。
「ワシ、客と食事に行くなんて初めてやわ!ホンマ、感動したよ!」
私もこれだけ言われたら、本当に言ってくれてるのかな?と、Aさんのことを信じはじめていた。
「あ、そうや!コブシさん、ボクサーやったんやし、ワシらの集まりにおいでよ!」
Aさんたち金融屋の人たちは、職業柄、修羅場に遭遇することもあるので、なにかあった時の為に、日本拳法の練習をしていた。
“オヤジ”が日本拳法の師範とのことだった。
「オヤジにも会わせたいし!」
「あ、は、はい・・・。」
展開が断れない状態になり、ついつい返事をしてしまった私。
なんだか、どんどんディープな世界に引きずり込まれていく怖さを感じた。
思えばボクサーを引退して5年。
やっとの思いでA級ボクサーに昇格し2連勝。
日本チャンピオンの背中が見え始めた矢先、致命傷となる怪我。
いろんな問題もあり、逃げるようにボクシング界から去ってしまった。
あんなに闘う事が好きだった私が、ボクシング関係の情報を一切遮断し、腑抜けのようになってしまった5年間。
「コブシさん、俺とやってみない?」
Aさんのそんな一言が忘れていた思いを甦らせてくれた。
(あ・・・俺、あれから握ってないなぁ・・・。)
自分の拳を見つめて思い出した。
そんなこんなで、思いがけずAさんと闘うことになった私。
数日後、再びAさんの事務所を訪れる。
なんか、金を借りること以外で金融屋に出入りしている自分が滑稽に思えてきた。
Aさんの車に同乗させてもらい、大阪郊外にある“オヤジ”の事務所に行った。
広大な敷地には、おびただしい台数の車があった。
その奥に、ポツンと明かりが灯っている事務所があった。
「おー、君がコブシくんか!話は聞いてるよ!」
高級そうなソファーに、どっかりと座っている恰幅のいい40代くらいの男。
任侠の方が好きそうな字の掛け軸。
さすが、幾つもの金融屋を束ねているだけあって、体から発するオーラが半端なかった。
「は、はじめまして・・・、今日は宜しくお願いします・・・。」
雰囲気に圧倒されている自分がいた。
「昔、プロのボクサーだったんだって?そら楽しみやなぁ~!」
まだこの時点では、オヤジの言う「そら楽しみやなぁ~」の意味はわからなかった。
「じゃあ、そろそろ行くか!」
話も早々に、Aさんの車に乗って練習が行われている近くの体育館に向かった。
体育館の中には、12,3人の目付きが鋭い男たちがいた。
ボクシングや空手など、格闘技をやっている人間の鋭さとは異質だった。
「ちわーーすっ!」
オヤジが体育館の中に入ると、ドスの効いた男たちの声が響き渡った。
そして、私もAさんに続いて入っていった。
皆、私を鋭い視線で射抜くように見ていた。
このての人たちが放つ空気感は独特だった。
最初は合同で、突きや蹴りをオヤジの掛け声とともに練習した。
皆、胴着を着ている中、私だけがジャージを着ていた。
しばらくすると、皆、動きを止め、防具が入った箱に群がった。
日本拳法は、存在自体は知っていたけれど、具体的な事はしらなかった。
剣道みたいな面と胴、そして10オンスくらいのグローブを着用して行うみたいだった。
どうやら、これがメインの目的らしい組手が、あちこちで始まった。
「じゃあ、コブシさん、やりますか!」
私もさっそくAさんとすることになった。
防具を着用して、軽く動いてみた。
顔面に着けた剣道の面のような防具。
思いのほか、重さが気になった。
Aさんと対峙する。
「はじめっ!」
周りの誰かのドスの効いた掛け声で始まった。
Aさんの戦闘スキルがどの程度なのか、ジャブを数発上下に散らして打ってみた。
少しフェイントを入れて打つと、おもしろいように入った。
どうやら、そんなにレベルは高くないようだ。
Aさんのパンチも、背が高いから迫力はあるけれど、いかんせんモーションが大きい。
ディフェンスが下手な私も、一応、元プロ。
ブランクがあるとはいえ、ほとんど被弾せずにすんだ。
最初はAさんの戦闘スキル、自分の状態も含めて様子見で、ディフェンスのみ。
次第に余裕がでてきた私は、Aさんのパンチに合わせてカウンターを打ち込んだ。
防具の上からとはいえ、何度も顔面を揺らされていくうちに、Aさんのスタミナが削られていった。
呼吸の乱れが激しくなり、肩を上下に揺らしていた。
それでも、自分の闘争本能に火がついた私は、手をゆるめることなくAさんにパンチを打ち込み続けた。
そして、私の得意の左のボディーで下に意識をさせての右の顔面へのアッパーが決まった瞬間。
Aさんはうめき声上げながら倒れこんでしまった。
気が付くと周りの男たちが手を止めて、こちらを最初の時よりもさらに殺気立った空気で射抜くように見ていた。
「さすが、元プロは違うなぁ。次はワシとやろうか。」
まるで、その言葉を合図にしたかのように、男たちは私とオヤジを大きく取り囲むように動きだした。
私は、オヤジの言った「そら楽しみやなぁ~。」の意味がようやく理解できた。
私が、踏んだらいけない尻尾を踏んだのか、最初からこういう展開が仕組まれていたのかはわからない。
ただ、これからオヤジと闘わなければならないという事は動かしようのない事実だった。
プロボクサーだった頃、観衆で埋め尽くされた後楽園ホールのリング。
リングの中に入ると、鉄の扉をガシャーンと閉められ、「もう逃げられない。やるしかない!」と腹が決まった。
『選ばれし者の恍惚と不安二つ我あり『』
私の好きな言葉。
誰の言葉か知らないけれど、リングに上がる人間の気持ちを如実に表している。
今の私は正に、『恍惚と不安二つ我あり』という気持ちに包まれた。
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