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#つらつら
絶望しない大人にはならない
できることなら人生において絶望なんて味わいたくないし、できることなら人生において問題なんて抱えたくないな、と思う。
けれども悲しいかな絶望的な瞬間はやってくるし、なぜか不思議かな、大きかれ小さかれ問題はいつだって抱えている。
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「きっと絶望とは、ありえたかもしれない希望のことをいうのだと思います」
——これは、坂元裕二さんの著書『初恋と不倫』の中に出てくるセリフだ。
もしかしたら誰かが
「なぜ書くのか」についての備忘録
もともと、自分のことは「書くタイプ」ではないよなあ、と思っていた。
私が「書くタイプ」と聞いて思い浮かべるのは、小学生の頃に作文コンクールで賞を取りまくっていたような、まるで書くために生まれてきたかのように天性的天才的文才を持つ人だとか、映画や音楽のレビューを書かせたらピカイチで、ある特定の分野においては誰にも負けないような熱い情熱を持っている人だとか、世の中に対して何かれっきとした課題意識があ
オセロをひっくり返してくれる人
先週、友人と立ち飲み屋さんで飲んでいたら、隣にいた知らないおじさんたちに絡まれた。最後お店を出るときに「今日の記念に1枚写真を撮ろう!」と言われ、私と友人と、絡んできたおじさんたちと、はたまたそのおじさんたちと絡んでいたさらに隣の人たちと、なぜか写真を撮ることになった。
後日友人からその写真が送られてきて、その1枚を見て私は驚いた。友人はちゃんと「楽しくなさそうな顔」をしていて、私は「楽しくなさ
仲は「ふたり」では深まらない
いくら側にいる大切な人だったとしても、話しきれないことは数多にある。家族や恋人、どれだけ仲が良い友達であったとしても、それぞれの関係でしか話せないこと、それぞれの関係だからこそ話せないこと、は、たくさん、たくさんあると思っている。
特定の人と長く同じ時間を共にするということは、一見、お互いのことを深く知ることにつながると思いがちだ。けれど、お互いがお互いのことを「知った風」になってしまったり、あ
「本当のこと」を求めすぎない
「本当の気持ちはどこにあるの?」「本当に大切なことは何?」といったセリフを、今までの人生の中で何度聞いただろうか。
「真実の愛」「本当の自分」なんて言葉がこの世でしばしば使われるように、小説や映画の中でも、現実世界のあちらこちらでも、いつだって人は「本当」や「真実」を求めているよな、と思う。
私自身、自分の気持ちや何か行動するときの理由に対しては、ずっと「本当のこと」がどこかに存在するものだと
「おめでたい人」がそばにいること
私のルーティンワークのひとつに、自分が可愛いなと思う女の子のインスタやらTwitterやらを定期的に覗くそれがある。彼女たちの可愛い姿や頑張っている姿、努力して美しくなっていく姿を見ていると、「ああ今日も頑張ろう」という気分になれるのだ。
ただ同時に、悲しいかなちょっとした妬みのような気持ちが生じてしまうときもある。「いいな、こんなに可愛くて」「スタイルいいなあ」などと、自分には持ち得ないものを