残酷な世界、それでも未来へ
こんにちは、まえゆかです。
毎日5分、継続中。
雑記ばっかり書いていると、パラスポーツ好きでフォローしてくれた人が離れていきそうですが、まぁ仕方ない。
パラスポーツのこともちゃんと書きます。
ドラフト会議を初めて観た
10月に異動したのですが、昨年末から9月末まで、オイシックス新潟アルビレックスベースボールクラブの運営面に携わっていた。
もともと、高校時代は野球部マネージャー、大学も1年で授業との両立ができなくてやめちゃったけど体育会の準硬式野球部のマネージャー。
社会人になった後も、高校の同期の運営する草野球チームのマネージャーをやっていたので、それなりに野球好き。
でも一番好きなのは高校野球なので、あんまりプロには詳しくない。
大学時代に青木宣親選手をテレビで観てからヤクルトのにわかファンになったけれど、あんまりプロには詳しくならなかった。
社会人になってからは、地元と思ってDeNAを応援していたけれど、やっぱりこれもにわかファン。
好きな選手以外の選手のことは覚えられないので、もちろん、ドラフト会議なんて全くの無関心。
そんなに近い距離でもないけれど
私自身は、東京にいるし、時短勤務でもあるし、携わっていたといってもあんまり現場には行ってない。
たぶん、選手で私の顔を認識してくれているのは数名。
どちらかというと元NPB選手の方が、食事面の改善とかで色々と意見を聞いていたので認識はされているかもしれない。
それでも、やっぱり関わっていると情が湧くというか。
週末に関東でビジターがあれば、夫を連れて普通に観戦に行ってたし。
にわかファンよりちょっと踏み込んだファンだったと思う。コアファンにはなりきれてないけど。
そして、ちょっとだけ裏側を観ているからこそ、選手たちがプロに行きたいのだと強く思っていることも、ちょっとだけだけど、知っている。
だからこそ、ハラハラしながらドラフト会議を観た。
他の選手の名前が呼ばれるたびに「あぁ・・・呼ばれなかった」とがっかりした。
一日にこんなにたくさんのがっかりを経験したのは、初めてじゃないだろうか。
小さながっかりが、最後には山盛りになっていた。
最終的に、名前を呼ばれたのは、下川選手。ヤクルトの育成の3巡目だった。
アスリートの運命は、残酷で、厳しい。
パラスポーツをみていても思うけれど、スポーツの世界って本当に厳しい。
私には到底、耐えられない。
本人がどんなに頑張っても、そこは競争の世界。
絶対的な1位というものがなくて、ゴールがなくて。
比較対象に別の優位点があれば、2位にも3位にもなってしまうし、決められた土俵の上に乗れなければ、彼らの努力はファンには見えない。
パラスポーツの現場にいた時にも、残酷だと思う場面がたくさんあった。
特に印象に残っているのは、クラス分け。
クラス分けのルールが一定期間で変わるのだ。
各競技のクラス分け委員会が真剣に議論した結果なので、変わった内容に対しての不満はないけれど、それは絶対的な基準ではない。
あるクラスに人が集中すれば、分散するためのラインが引かれることもある。
今までは、このクラスで金メダリストだった人が、基準がかわったことでパラリンピックに出ることすらできなくなる、なんてことがザラにある。
パラリンピックはこの障がいの人と定められたものもあるので、各競技がそれに当てはめたクラス分けのルールに一斉に変えたのが東京パラリンピックの前だった。
それで、車いすバスケの4点台の選手の何人かは、「車いすバスケの選手」でもなくなってしまった。
とてもとても、残酷だと思った。
本人の努力ではどうしようもないところで、運命に左右されることがあるのが、スポーツの世界。
オイシックス新潟の選手だって、本来ならシーズン中に取ってもらえるような実力の選手もいたと思う。
でも、NPBを経験してない選手はドラフトを通過しないと入れない。
それは、高校生も大学生も、社会人もおんなじなんだけど。
でも、二軍というフィールドで一緒に戦っているのに、他のチームの二軍選手は一軍へのチャンスがいつでも会って、オイシックスとくふうの選手はドラフトの時までチャンスがないのは、なんだかなーと思うのだ。
でも、それがスポーツの世界。
彼らには決める権利のないところで、ルールが決まる。
そこに合わせて、自分の実力を積み上げるしかない。
チーム側も、それに合わせて選手が活躍できる環境をできる限り用意するしかない。でも、財力にも左右される。
いろんな競技で、ルールが変わる。
用具のレギュレーションも変わる。
それにいち早く適応した人が、評価される土壌なのだ。
努力は無駄じゃないと思わせてあげたい
NBAのNO.1プレーヤーだったとしても、縄文時代だったらあんまり活躍してなかったはず。
今、この世界にあるルールに、一番適しているってだけ。
だからといって、彼らの努力は無駄じゃない。
たまたまその評価軸に合わないタイミングだっただけだと私は思う。
スポーツの世界で活躍する人たちに、絶望しないでもらいたい。
努力はきっと無駄じゃない。
今は、評価されてないだけ。
目指しているところで、評価されてないだけ。
努力自体は無駄じゃない。
そうやって、私が思いたい。
選手たちにそうやって思ってもらいたいのだ。
じゃあ、そう思えるように、私たちって何ができるんだろうか。
スポーツを支える人として、野球でもパラスポーツでも、プロでもアマチュアでも。
一生懸命に取り組む彼らに、私たちは勝手に思いを乗せて、ちゃっかり感動を味わわせてもらってる。
その分の恩恵を、彼らに返す方法が、私はわからない。
ドラフトで名前は呼ばれなかった選手もいるけど、祈るくらいに思いをはせて、がっかりしちゃったけど夢を見た。
その夢を観させてくれたのは、彼らなのだ。
だから、彼らの努力の時間は無駄じゃなかったと思うのだ。
彼らの努力と夢が、私にも夢をみさせてくれたってことは、残念だけど、一円にもならない。
お金が入ればいいとはきっと思ってないけど、プロに行きたくて行けなかったという結果の彼らに、それでもやってきて良かったと思ってもらえるような形って、何かあるんだろうかと考えた。
そんなもの、必要とされてないかもしれないけど。
がっかりした気持ちも含めて、彼らに夢をみさせてもらって、また次の夢のことを考えて、楽しませてもらったと思う。
また来年、目指すのであれば応援したいし、育成で呼ばれた下川選手のことも応援したい。
がっかりしたけど、選手には、がっかりしてほしくない。
ドラフト会議、選手のおかげて私は楽しんだ。
まとまらない。
でも、目指していた目標に到達できなかったアスリートに対しても、たくさんの感謝があるよと言うことをとりあえず書いておきたくて、思うがままに書きました。