おもてなしの心とダイバーシティ
こんにちは、まえゆかです。
毎日5分、書こうと思っていたけれど昨日は寝ちゃいました。残念。
一泊二日の京都旅から帰ってきました。
京都旅、といってもメジャーどころの観光地はほとんど行かず、食い倒れ旅と称した方がしっくりくる旅でした。
その中でも、私の中でのメインイベントは木乃婦の再訪。
今回もとっても素敵な時間を堪能させていただきました。
振り返れば毎回初秋に訪れているので、次は春頃の違う四季の味覚を楽しめみたいなと思ったり。
行くたびに「また来たい」と思うお店に出会えたことは、ここ数年の私の人生の中でTOP5に入る幸運だったと思います。
木乃婦との出会い
木乃婦の高橋拓児さんとの出会いは、佐渡島庸平さんが主宰するオンラインサロン「コルクラボ」の定例会。
和食文化の伝統を重んじつつも革新的な取り組みをされるアクティブさに、たぶん誰もが圧倒されたと思う。
何かコルクラボとしてコラボができないか。
その議論の時にたまたまチャンスが舞い降りたのでした。本当に、ラッキーだったと思う。
その時のことは、とっても素敵にドキュメンタリーにまとめていただいているので、お時間あればぜひご覧ください。
この時の企画を実施する前に1回、企画の1年後に1回、さらに1年後の今回。
計4回訪問させていただき、だんだんと居心地の良さが増してきています。
高級店なので、常連になれるほどではないけれど、1年に一回の楽しみとして私の中に定着しつつあります。
懐石料理は、若い世代にはなかなか馴染みがなくて、ハードルを高く感じられるかもしれないけれど、みんな一度来ればその魅力を理解してもらえる自信があるから、毎回初めての友達をお連れする。
すると、勝手に自分の株が上がるのでありがたい。笑
動画の説明を少し
動画を見ていない方向けに簡単に当時の企画を説明すると、
私の友人は手に障害があって、箸を持つのがあまり得意ではない。
でも、私たちは美味しいものを食べるのが好きで、懐石料理を食べてみたいと思ったのが発端。
箸が上手に使えないと、行くのに躊躇してしまうってお話をしたのでした。
そもそも懐石はおもてなしの心があるので、お客様の食べたいもの、ありたい姿が最優先。
小さいお子さんが来たとしてもお断りすることはないとのこと。
西洋料理のようにドレスコードもなければ、マナーをとやかく言うこともないから気軽に来てください、というのが最初のリアクションだったかなと記憶してます。
でも、私たちはワガママなので。笑
せっかく行くなら、お店の雰囲気も全力で味わいたくて、京懐石をフォークで食べるのはなんとなく嫌だった。
フォークで食べるなら、フレンチかイタリアンに行きたい。
懐石の雰囲気を壊さずに、懐石料理を楽しめないか。
その企画ができたら、障害のあるなしに関わらず、なんとなく敷居が高いと思っている若者にも魅力が伝わるのでは?と提案したことがきっかけで、高橋拓児さんが私たちが楽しめるコースを作ってくれたのでした。
このドキュメンタリーは編集の都合上、私のアイディアのようなまとまり方になっていますが、企画で使ったお箸は全て拓児さんのアイディアです。
手に障害のある彼女には普通の箸より使いやすくて、箸に慣れてる私たちにはちょっと不慣れな箸。
左利きの方も子供もいた食事会は、自然と違いがとけあって、みんなが料理の美味しさを味わう同志になる空間でした。
あの雰囲気がとっても温かくて、その場限りの企画ではなく、何度も再訪するきっかけになったのでした。
日本には”おもてなし”という土壌があるはず
仕事でダイバーシティに携わりだして、様々な企業の取り組み事例を学んでいる。
なんとなくだけど、
外資系企業 = ダイバーシティ推進
日本企業 = ダイバーシティ後進
こんなイメージがついている気がする。
これ自体がステレオタイプになりつつあると思うのだけど、特に、JTC(Japanese Traditional Company)と呼ばれる伝統的な日本企業は男尊女卑的で年功序列で‥といった、ダイバーシティと無縁のイメージがつきつつある。
日本の名だたる大企業がダイバーシティと無縁なら、日本はダイバーシティ後進国なのだろうか?
私は、日本には”おもてなし”の心があると信じてる。
京都で出会ったおもてなしの文化には、ダイバーシティに繋がる考えがたくさんあった。
何も排除せず、気持ちよく居られる空間を提供するというマインドが、おもてなしの心にはある。
和室はハード面のバリアがあるかもしれない。
でも、ソフト面のバリアはあんまり感じないのだ。
別の意味で、京都には身分や土地柄による人を排除する文化もあるのかもしれないけれど、”おもてなし”として提供される文化においては、客人を排除するマインドはないようなきがしている。
なのになぜ、日本の企業ではダイバーシティが進んでないのだろうか。
ふと考えてみると、ダイバーシティが課題になるのは、学校と企業(職場)なのだ。
どちらも、戦後の高度経済成長の中で効率重視で拡大していたことがベースにありそうだ。
一斉教育、一斉指導。
マニュアル文化。
この中では、一人一人は違わないほうが効率がいい。
できるだけトラブルを起こさずに、できるだけ同じように振る舞ってほしい。
だから、多様性とは真反対に進んでいたと思う。
でも、もう、それで稼げる時代は終わってしまった。
物が溢れ、資源を大事にしないといけない時代。
ゴミさえも出さないように考えないといけない時代に、私たちは何を作るのか。
足りないものがないからこそ、あるもの以上の価値が必要な時代に、私たちは何の価値を創り出すのか。
既存のものを何個もコピーしても、在庫になるばかり。
効率よりも、たぶんきっと、希少性とか独自性とか、カスタマイズに近しいオリジナルなものが求められる時代になってきているのだ。
私たちには新しいアイディアが絶対的に必要で、今はないものを生み出す必要がある。
それにいち早く気づいた企業が、違いに目を向けていると思うのだ。
”違い”を排除せずに、ヒントにする。
”違い”を活かすことで、価値を見つけ出している。
とりわけ人の移動が多かった欧米諸国の方が、島国の日本よりも違いに触れる場面が多かったのかもしれない。
だから日本よりも先にダイバーシティが推進されていったのかもしれない。
でも、日本にもベースはあるはずなのだ。
様々な人を受け入れて、気持ちよく過ごしてもらう”おもてなし”の心が。
なんでも間でも、西洋文化をマネしなくっても、きっと日本の文化にフィットするダイバーシティの考え方があるはず。
なかなかダイバーシティが広がっていかない今、日本風のダイバーシティの広まり方を考えてみるのが良いのかもしれない。
今一度、伝統の中にあるおもてなしを見直したら、新たなダイバーシティの気づきがあるのではないだろうか。
なんとなくそんな気がしてる。
京都では、コーヒーと日本茶と紅茶を楽しんだのでした。
どれも、自然と京都になじんでる。
どれもが日本の文化ではないのに。
そのどこかに、ダイバーシティのヒントがあるような気がしたのでした。
おしまい。
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