ヨガをはじめるまでのハードルの高さを知る
ヨガを再開することにしてから、ヨガが話題に上がることが増えたのですがたくさんの気づきを与えてもらってます。
先日こんな記事を書きましたが
ヨガに関してもまさにそうで、今まで一度も体験したことのない人にとってはいくつものハードルがあるようですね。
・広告に使われている写真をみるとみんなスタイルがよく、かっこいいウエアを着ているから、そのような体型の人でないとやれないだろうと諦める。
・からだがかたいからよく目にするポーズなんて自分にはとれるはずがない
・からだがかたいから自分にはムリと全くヨガの世界を知ろうとしたことがない
・周りの人の目が気になる
・そもそも、どこでヨガを受ければいいのかどんな先生を選べばいいのか、どんなクラスを選べばいいのかわからないなどわからないことだらけ
・やってみようと思ったことはあるけど、何を着ればいいのか?どんなマットを選べばいいのか?わからないことだらけで断念した
etc…
確かに!そうだよねぇと思うことばかり
私がはじめた頃は選択肢がなかった。
会社の昼休みに先生が来てくれてたので、着替えは用意してたけどマットもあったし、クラスを選ぶとかなかったからね。
ヨガスタジオなんてほとんどなかったから、広告を目にすることもなかったので、何もイメージなんてなかった時代
だから余計な先入観なくスーッと入れたんだろうなぁ〜
私の場合、ママの病気が見つかって不安の日々を送っていたからその不安を手放すためのツールとしてすごく支えになっていたから、すごくヨガの時間が大切だったのです。
昨日は、2回目のライブを開催したのですがその様子を記事にしていたら気づいたことがありました。
今までライブというものに興味がなかったのですが、なんでだろうと思ったら、お酒が飲めない、タバコの匂いが苦手というところからバーやライブハウスというものに対して、自分の中にはないものとしてみてたからなのかなぁと
これって単なる私の思い込みで、行動もせず、体験もしようとしてきてなかったのですが、ヨガをしたことがない人がイメージすることとかとリンクするなぁ〜と
自分で制限をかけていただけなんですよね。
これって、すごくもったえないこと
お店のスタッフの若い子たちの中にコーヒーが苦手という子が多いので、飲みやすいコーヒーをその場でドリップして淹れてあげるとコーヒーって美味しいんですね!と新たな世界を知った顔をするので、その姿を見ると嬉しくなります。
コンビニやファミレスのマシンで出すコーヒーとかしか知らないと、コーヒーに対するイメージがついてしまってて、他のものを試してみようとならないんですよね。
そうそう、ヨガを深めていくとからだの可動域が広がると自分自身の視点も広がったり、難しいポーズができるようになるとそれは自分でできない、ムリと自分で制限をかけていたからだということに気づけるようになることがあります。
マヤ暦では、「白い鏡」という期間なのですが、課題の中に思い込みや制限を外すとか枠を取っ払うとかが入っているのです。
なんだかいろんなことがリンクしてておもしろいなぁ〜