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アッシャー症候群とわたし

前回は、アッシャー症候群と網膜色素変性について一般的な知識というか、こんな病気なんだよっていう紹介をしました。

今日は、病気が判明した経緯とか、わたしが思ったこととか、そんなわたしサイドのお話をしようと思います。


病気がわかったきっかけと流れ

病気が判明する最大のきっかけは、当時勤めていた先で受けた健康診断の眼底検査でした。
まず、網脈絡膜萎縮の疑いあり要経過観察、と所見に書かれた年がありました。

この時思ったのは、…ていうか網脈絡膜って何?ってことで。調べたら、網脈絡膜の萎縮は強度近視の場合や加齢、遺伝性疾患などによって起こる、みたいなことが書いてありました。

近視は小学生からあって強度よりのぎりぎり中等度なのでそういうことかな?
でも病気の可能性もあるんだ。
ただ調べた感じ、病院行って薬!手術!って感じじゃないなぁ。というようなことを思った記憶があります。
命に関わらなさそうだし、病院行ったから治るってこともなさそうだし、と平たく言えば放置したわけです。

さて翌年同じ健診で受けた眼底検査の所見欄には、網膜色素変性の疑いあり、と書かれて返ってきました。 

おお、これはいよいよそういうことなのかな…とぼんやり思いつつ今度はもう焦点を網膜色素変性に合わせて色々検索してみたりするわけです。
網膜色素変性について調べると大抵、進行性の難病、現時点では治療は確立していない、いずれ失明する、みたいなそれはもうマイナスなことばっかり書いてあるんですが、その時のわたしは特別それらにショックを受けた、というわけでもなかったんですよね。

むしろ、症状として挙げられている夜盲視野狭窄という単語を見て、それまでの生活でなんでみんなは見えるんだろう?とか、なんでわたしこんなにぶつかるんだろう?って思っていたことが明確に説明されている…!だからこうだったってこと…?!みたいなスッキリ感だったんです。

いざ診断…!

翻ってちょうどその頃、結婚話が持ち上がりました。出会いから結婚までがわりとスピード感ある流れだったので、当時夫はわたしの健康診断の所見のことは全く知らない状態でした。
プロポーズされてから、実はこういう病気かもしれないから病院に行こうと思う、と返すという、人によっては後出しだよ、そんな病気なら結婚はなしと言われてもおかしくないやり口になってしまいました。

まぁ我が家の場合結果としては夫(まだ彼ですが)は婚約者として大学病院の初診に一緒についてきてくれることになり、あれやこれやの検査を受けて網膜色素変性ですね、と確定診断が下りました。
(紹介状を地元の主治医に出してもらう時点でおそらく確定ということは分かっての初診でしたが)

診断を受けて思ったこと

たぶんね、遺伝性で親に同じ症状があるとかでなければ、進行性の難病を告知されたらショックを受けたとか、受け入れられなかったとか、めっちゃ泣きました、みたいな人が多数じゃないかなと思います。

なんだけど、ここでもわたしはそのどれにも当てはまりませんでした。

ただひたすら納得…!そういうことかぁ!
夜みんなには見えてるらしい星がみんなほど見えてないとか
よくゴミ箱蹴飛ばしちゃうとか
部活の合宿所付近の夜道(大抵合宿所は田舎なので暗い)でみんなみたいに歩けないとか
そういうアレコレ、わたしが注意力散漫だとかそういう理由じゃなかったんだ!
できなくて当然(ていうのもなんか変だけども)だったんじゃん!
みたいなことを思ってたかな。

夫も(本心でどう思ったかはわかりませんが)そのうち治療方法もできるかもしれないし、命を取られるわけじゃないし、というタイプで、これは患者本人がショックを受けるタイプの場合は他人事だと思って!と腹が立ったり悲しくなるかもしれませんが、私にとっては妙に気遣われるよりずっと良かったので、その点でもこの人選んでよかったなと感じたのを覚えています。

この診断の日から今日まで13年くらい経つんですが、ものすごく正確に描写するなら、その間2回くらいだけ、ちょっと悲しくなった夜があったかなぁ。

しかし基本全て寝たら忘れる&思い悩んで寝られないとかありえない、というタイプなのでそんな日も普通に眠り、翌朝になれば昨日は何かホルモンバランスがアレだったかなって感じです笑

こうしてわたしは自他ともに網膜色素変性の人として暮らし始めたのでした。

アッシャー症候群と判明する

特に治療も何もないので、定期検査に行きデータを取るだけで日々は普通に過ぎて行き、こどもが生まれ(網膜色素変性がわかっていての出産に賛否あることは分かっていますし、いずれそんな内容のことも書くかもしれませんが今回は割愛しますね)、色変歴(←)10年になろうかという年、ネットでアッシャー症候群という病気を知りました。

ん?網膜色素変性と難聴?

実はわたし、小学生の時学校でした聴力検査に引っかかって紙をもらってきたことがあります。
その時は、かかりつけ医でも聴力検査をして確かに結果だけ見たら微妙なラインだけどこどもは緊張して検査がうまくできないことも多いし普通に会話とかできているなら様子見、的な診断だったかと思います。

そこから30年以上、ちょっと耳の遠い人として暮らしてきたんです。
学校の授業は特別不便なかったし、電話も大丈夫。
でも内緒話はずっと不得意。体温計聞き逃す。からのコロナでマスク&衝立生活はかなり聞き返しまくる、みたいな感じで、正直なところわたしの人生の中で愛想笑いと雰囲気でごまかしてきた場面は数知れず…

でも大人になってきちんと検査したこともなかったので、自分の聴力レベルは障害と言われるレベルなのかな?が分からなかったのですが、眼科受診の際に、あのー実は耳遠くて…アッシャー症候群ていう病気を知ったんですが…いや、違うかもしれないんですけどね…と切り出したところ、とにかく突発とかだと困るからと速攻で耳鼻科に回され検査を受けることになりました。

その日の検査で、中等度感音性難聴の診断が下りました。突発など他の病気の可能性はなさそうで、アッシャー症候群の可能性はゼロではないけれど、これは遺伝子検査しないとわからないし、遺伝子検査はしても結果が出ないことも多いです、と言われたんですが聞いたところ大した金額でもなかったので(正確な金額は忘れてしまいました)もし分かるなら、分からなくても研究に繋がるなら…ということで遺伝子検査をお願いしました。

途中一次試験では出ませんでしたと経過報告があり、信州大に送られたわたしの血液…採取してから1年ぐらいだったかな?結果が出ました、と言われてアッシャー症候群タイプⅡに分類される遺伝子がわかりました。

色変診断以来、網膜色素変性でちょっと耳も遠い人として10年ほど生きてきましたがここにきてアッシャー症候群の人、に方向転換です。

ちなみに、難聴と分かったときにわたしが何を思っていたかというと特に大した感想はなくあー、そうなんだ、わたしって結構ガチで聴こえてない人だったのか、くらいのものだったのですが笑、こと耳に関しては難聴と診断されてからの方が暮らしやすくなりました。

なぜかというと、それまでは普通なら聞こえてるんだろうし、それを何回も聞き返すのはちょっと恥ずかしいとか、申し訳ない気持ちがやっぱりあったんですよね。
けれど診断済み難聴という免罪符を手に入れたことで、仕方がないことだから聞き返してまーすという感じで、聞き返すときやそもそもの話し始めに難聴なんです(先生もそう言ってますし)と普通に伝えることができるようになったから。

現時点でわたしの難聴レベルは障害者手帳の級にあたらないレベルで、一方眼はかなり重度です。
ですが、現時点でわたしの眼は(特に日中ならば)人の助けを必要とする困りごとではないことがほとんどで、でも難聴は聞き取れなくて不便だなと思うことがままあるんですよね。
なので耳に関して若干暮らしやすくなったという点だけ見ても、きちんと診断を受けた意味は大きいものだったと思っています。

と、いうことで


今回は網膜色素変性とアッシャー症候群、その2つの診断を受けた流れとわたしの気持ちを綴ってみました。

書きたいことの1つなのですが、今回の記事でも分かるようにわたしは相当ポジティブで自己肯定感の高い人なので、わたしの抱いた感情は皆さんが想像するような難病診断時の感情ではないような気がしますが、ここでわたしがめちゃくちゃショックでずっと泣いてましたと言ったところでそれはガッツリ嘘なのでどうしようもありません笑

次の記事は、何書くか迷い中…!書きたいことたくさんあって。ですがとにかく、また次の記事でお会いできますように!
今回も読んでくださってありがとうございました。


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