時間軸
とある友達が会うたびに「忙しい、時間がない」という。私は「そんなに忙しい中誘って来てくれてありがとう」と思う。私は週休3日なので…(ダラダラしているわけではなく、家のことをしたり資格の勉強やアート教室の買い出しなどしている)何をするにもゆとりや余裕がある状態をキープしている。だから、私はこの子の言葉が理解できないでいる。忙しいなら無理しなくても良いと思っているし、そんな事を会っている時に言われたこちら側はどう反応したら良いのか分からないという感覚。でも、本当に忙しく仕事して時間がない人は多いと思う。私がきっと特殊でこの生活じゃないと自分が苦しくなるから好んでやっているだけだと思っている。
自分の時間軸と相手の時間軸は違う。感じ方は人それぞれで、良し悪しはその人の気持ち次第。
これもまた、とある美術展での話。
その人の作品を私は16年前に観て感動した。インパクトが当時の私にはあり過ぎて、その後も強烈に惹かれるものを感じ好きな作家なのだが…その時と同じくらいの規模で現在展示されている。これは!絶対に見逃せない!と思いつつも、SNSでの展示風景は消費される作品のように流れてくる。そんな事を思いながら観に行った。結果、少し残念だった。期待し過ぎたからなのかもしれない。当時の私は釘付けでその作品から離れられないでいた。それくらいの迫力と生命力が溢れていた。その時の作品以外も同じように感じていたのに…今回はなんだかそこまでのめり込む、動けなくなる感覚はなかった。あの時とは感覚が違って、私の中で何かハマる要素が少なかったのか?それとも、やはりSNSで見たから来た!という人の消費の仕方を痛感したから?時間という流れが観ている人たちと違い、私はじっくり観る事が出来なかった。人が多かったわけではないしゆっくり観れる空間だった。美術館などでは写真撮影OKのものが多くなってきている。それは間違いなく以前よりも多くの人が知るきっかけになる事だと思う。作品の消費のされ方について、色々と思っている人は私以外にもいるだろう。ある程度の知識があり、作品の写真を撮りSNSなどで感想を記述するのは良いと思う。(私もする事あるし)それまで興味がなかったのに映えのための作品写真投稿は、ビジュアルだけのものでしかない。作家の意思とは関係ないところで広まる知識がある気がする。
いつもなら撮影OKは存分に気に入ったものはしてしまうタイプだけど、今回は始めのところで数枚撮ったのみ。目に焼き付けよう!という気持ちもなく観てしまった。(感覚で覚えていたいと思ったりした。出来たかは分からないけど)
友達の話と美術展での話は全く違うけど、自分の時間というものは他人にどうこう言われても変わらないし分からない。あの時の感覚と今の感覚は同じだろうか?私はこの時間を仕事だとは思ってないしやる事とも感じていないけど、あの子はもしかしたらこういう時間もやる事に当てはめちゃうタイプなのかも?
ゆっくりな人を見ても、その人なりに時間がなく焦っているのかもしれない。自分の時間軸ではない使い方をしてみるのも面白いのかもしれない。
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