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あの頃腐女子だった女の子に教えてあげたい、30の女はコピ本作ってミリしらでピクスクイベントに出たよ!!という話


おもむろに書きます。
忘れないうちに形に残しておきたいと思ったので。

おはなしは、
Windows94ぐらいで、ぜんぜん箱型で、ネットも有線でつながってて、ぐらいの時代から。
(わからないひとはこのあたりで回れ右がいいかも)

ある界隈では、個人サイトとか、お絵かき掲示板とか、○○同盟とか、そういうのが流行っていた。
そんな時代に同人活動、みたいなのをかじっていて。

ペーパーつくったり、友達がサークル参加するコミケ行ったり、
(たぶんその子はコスプレしてた。手作りの衣装着させてもらったけど、異常な似合わなさで笑ったっけ。)

○○も本作りなよー教えるよーって言われた

絵は好きだったけど、全然ド下手で人様に見せられるようなものじゃなかったし。
ぎりぎり文字は書いてだけど。


二次創作。
夢見がちに主人公となんかうまいことになるお話。

小説載せる個人サイト立ち上げたこともあったけど、カウンタ伸びなくて早々に放置した。
微々たるお小遣いじゃ同人誌買うのもためらわれるのに、本作ることができるわけもなく。
そもそもが個人サイトでカウンタほぼ伸びないぐらい需要ないのに、それをお金かけて本にするなんてもってのほかで。
友達にみてみてするぐらいがわたしの才能にあってる・・・って思うことにしてた。

そういうのの一方で、学校ではそういうことやってることは隠して、わりと明るめの同級生とつるむ。
一方で同人仲間の他のクラスの友達とも仲良くしていて、どういう経緯かばれたらしく中3の終わりぐらいにおたく指定されて、仲良くしてたのにハブられた。
クラスで急にひとりぼっちになって、あれは相当にこたえた記憶がある。

高校になって、同人な友達と学校が別になったこともあって、そういうことからは距離をとり「普通の女子高生」としてふるまってきた。


あれは黒歴史。
もっとあかるい普通の子たちと仲良くしておけばよかった。そっちの方がきっと楽しかったし、友達ももっといたかもしれない。
もっときらきらな青春が、あったかもしれない。

蓋をして、もうそんな世界に踏み入れないって思っていた。


15歳⇒30歳

この間にある云十年。
やり残してるなあとか思ったこともないし、そんなこと思い出すこともなかった云十年。
なのになにかの引力みたいに、この界隈に戻ってきていたわたし。

最初とてもとても抵抗があった。
踏み入れたのは自分からで、誰かに誘われたわけでもない。


きっかけはささい。


それはおととしの冬。
中学生の時に初読して、その後も事あるごとに読み返してきた人生のバイブルというべき作品、十二国記。
その新刊がそれこそ十云年ぶりに出た。
ざーっと勢いで読んで、得も言われぬ感動に包まれて、一人では抱えておけなくて、だれかにおすすめしたくて、だけど、本の表紙はイラストだし、そういうの好きだって隠してしばらく生きてきたから、主に関わってる人たちにはおおおっぴらに言えなくて…え、どうするよ、これ。この感情。誰かにいいたい。そしてもっと言えば、他の人たちの感想を知りたい。世の人たちはどう読んだ?このキャラかっこよすぎない?共有したいよー!!!ってなっておもむろにTwitter登録。

そこは同人の、二次創作の世界。


タイムラインには美麗なイラストが次々に並び、原作には書かれていない物語の続きや行間を読んだ文字が踊る。

もちろん、見る専のつもりだった。
その世界できらきらしているアカウントたちを見ているだけで幸せ~~と思っていた。

「・・・私もここできらきらしたいかも」
「いいね、もらえるかも」

おもむろにペンを、いやiPadをたちあげて、ぐるぐるになりながら書き上げた。
そしたら神文字書きさんにくらべたらわずかなものだけどいいね、もらえた。

やば、うれしい。


こんなシチュエーションも書いてみようとか、このカプにえちえちさせたいとか欲が出て(え
抵抗感はどこへやら?という感じ。


そんなのがなんやかんやあって現在はその十二国記とは別ジャンルに沼って、もっと言うと小説ではなく短歌をおもにとびださせるアカウントに居住している。

5・7・5・7・7に言葉をあてはめるだけ。
なのに奥が深い。
ぱっと作ろうと思えば作れるけど、それほんとそれでいいのか確かなものがなくて。
同じ31文字なのに他の方の作品と自分の作品に、うまく言えないけど明確に違うものがある。
圧倒的なセンスに頭があがらない、って打ちひしがれることもしばしば。

勉強したい!と思って短歌に関する書籍をあさったりしてコンテンツだけじゃなく短歌そのものにものめりこんでいってたときに、そこへきてそのジャンルでの短歌オンリーイベがあるときた。
フォローしてる短歌垢さんたちも続々と参加表明していた。
わたしもやってみたいかも、と欲が出た。

なんというか、なにかを残したい!という前向きなきもち。
ここ、手に取ってもらえるかな、需要あるかな、とかって周りの目を伺うきもちじゃないのがポイント。

沼深いジャンルで短歌で、個人的にビビッときた切り口で短歌集作ればいいじゃんとなった。

イベントまでの準備期間は2か月弱ぐらいあったしどうせやるなら、と印刷所出すつもりだった。
印刷所のサイト、半日かけて読み込んで、締め切りも入稿方法も確認して段取りはOK。
けど、結局イベント2週間前の印刷所締め切りまでに原稿がまとまらなくって、印刷所さまは断念し、急きょコピ本に移行。

会社のプリンタで(そのために休日にこそこそと出勤した)の小冊子印刷設定して、
ウィーンと出てきたもの。
それを中綴じホチキスでがっちゃんこして。
全体で30Pの短歌集。

手にもって表紙を眺める。
ページをめくる。
お気に入りの一首を読む。


うわーーーーん。
高揚感。
高揚感がやばかった。

あーーーーわたしが、
あの、あのとき作ることに手を伸ばせなかったわたしが、本をつくった。
と、実感。


(作った過程については、できれば別にまとめたい)
⇒まとめました


本の準備ができて、そしてイベント。
イベントミリしら女でしたが、とにもかくにも出店はできた。

それでなんと!
本も手に取っていただいた!!
うれしすぎるうううう。

1冊のみならず、ほぼ用意していた数分、お招きしていいただいて…!!
ありがとうございます。ありがとうございます。

(ミリしらでイベントに参加した過程も、できれば別にまとめたい)


ネットの回線がおっそくて…なんて時代じゃない今。
本の作り方も、ピクスクのサクカの作り方もなんでもグー○ル先生とその中の先生たちが教えてくれるので、とりあえずやってみよう!でぜんぜん大丈夫だった。


あのときの自分に、正面きって顔向けできるような人生でなんかない。
道はまっすぐに、すーっときれいに未来に向かって伸びているんだろうと、社会をしらない15の私はどこかで思っていた。
そこからの比較がすごいこれまで。
遠回り、迷い道。先々で壁にぶつかる。
振り落とされないように、気持ちでふんばっている。

でも、今回のことも遠回りのいい例。
でも遠回りしなかったらたぶんこの大きな感動はなかったんじゃないか、と思う。

それは、ちいさなしこりを解消する行為。

思えば、の話です。
思わぬところで沼って、沼っている感覚はめっちゃあったが、まあいいやと思ってそのままずぶずぶ深みにはまっていっただけ。
そうなるように行動していたなんてミリでも思ってなかった。

けれど、しこりはしこりだったらしいし、
結果それを解消できたことだった。
私の人生では、そういうことになるらしい。

本を作ってから後、
仕事が急に忙しくなったり、
会社で新しい知識を身に着ける機会ができたり、
急に告白されたり(かといってリア充になってわけでもないですが)、
今後やりたいことに目をむけるきっかけができたり、
いろいろと私のなかでモノゴトが動き出すきっかけになった感じがある。

引っ掛かり事があるとそれが忌ものみたいに働いて、
モノゴトがうまく回らない。
それを払うと、急に円滑に回るようになる。
あると思う。

個人的には本をつくったことはそれだったと思うことにした。
(いやいやそもそも、そんな時期だったのかもしれんじゃん、って話はないものとする!)

ただ目の前の選択肢をこっちがよさそう!って追いかけていただけ。
よさそう、って思ったことをシンプルに選択しただけ。

15の私は、
自分の動機よりも周りの目が気になって、
もちろん金銭的なハードルもあったけど
そういうシンプルなことができなかった。
友達にどう思われるかが気になって
好きなことから自分を遠ざけていた。

そうじゃない姿が30の私の中に持てているのかもしれない。
その意味ではすこしまともな大人かも。

急にまじめになった!!
でもそういうことです!!
遠回り万歳!!
いまさらなことも全然いいんじゃない!!


おたくであることも特に隠さないで
オープンにおた活していこうかなと思うところ。

本もまたつくりたい・・・
一回作ったら、たのしさを知ってしまったし、今度は印刷所さんも作ってみたいとか思ってしまった。


結びがぜんぜんまとまらないけど、
わたしは元気におたくです。


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