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歌集『金魚を逃がす』より 3

読書記録の続きです。
今回で終わりにします。

p63
星空へ突き落とされそうシャンプーを泡立てている自分の指に

星空に突き落とされそう、とはまた不思議な言葉。ロマンチックで暴力的だ。星空なら突き落とされてみたい気がする。
下の句はいきなり現実的になる。シャンプーを泡立てる指の感覚なら誰でも知っている。
髪を洗って、とても気持ちがいい、という場面であるのだろうが、下の句表現のリアルさと上の句とのあまりのギャップに、私は別世界へ引っ張られる。

自分の指がもうひとりの自分の頭を押して星空に突き落とす感覚を感じる。
細い髪に触れ、頭の硬さを指は知る。
そっとやさしくそれを、押す。
もうひとりの自分が星空に突き落とされる。
ちっとも怖くない。浮かんでいる。
星たちと一緒に浮遊する。
きっと、私は私をどこにだって突き落とせる。

p84
病室の花瓶の水を替えるとき金魚逃してしまった気がして

花瓶の水に金魚はいない。でも、もしいたとしたら、いま、流してしまったかもしれない。小さすぎてわからない。排水溝に落ちて、そして…もう二度と戻らない。

連作の他の歌を読んでも、やはりこの歌は『喪失』を詠んだ歌だと思う。
自分の意思に反して失われていくものがある。病室、だからここでは健康に関わる何かかもしれない。
気づかないまま失ってしまったものの鮮やかさに私たちは苦しむ。眼を閉じてもちらちらと紅くひかる。

この歌が入った連作のタイトルは『金魚を逃がす』である。歌集のタイトルと同じである。
私は救われた気がする。金魚は、主体が逃してあげたのだ。狭い花瓶中から、自由に泳ぎ回れるどこかへ。
連作のタイトルが能動的になることによって、ひとつの喪失は意味を変える。

自分の個人的な喪失を思う。流してしまったかもしれない金魚を思う。その「喪失」を心から受け入れることだけが、金魚も自分自身をも救えるのかもしれない。


p101
「木蓮」とつぶやく吾は「ん」の音の刹那に白く息を止めたり

短歌は絵画に似ていると思うが、この歌は、まるでスローモーションのショートムービーのようだ。
白い息は寒い季節を思わせる。
春に咲き始める木蓮を、冬に言う。
それは未来であり、希望のことばと思う。
「ん」を発語する刹那に「白く」息を止める。「白い」息ではなく。
「ん」と言うとき、息は自然と止まるのかもしれないが、あえてその瞬間に焦点を当てていることが、また「白く」とすることが、そこにかすかな意思を感じさせる。「木蓮」のつぶやきに込める、未来への無意識の意識のような、かすかな。

冬の寒さの中に「木蓮」とつぶやく声が聞こえてくる。ここにないはずの木蓮の香りが漂う。白い息は体温の温かさを思わせる。

様々な感覚が一首の中に立ち上ってくる歌で、胸に残った。

⭐︎

鈴木さんの歌には一首の中にドラマがあるので、本当に長々と妄想に耽ってしまいました。書いているうちに、気づくこともあり、勉強になりました。

きりがないのでこの辺にしておきます。
お読みいただき、ありがとうございました。


小川 ゆか

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