見出し画像

入り口と出口〜農業編〜

野菜食べてますか?徳島に戻ったときに一番驚いたのは野菜が美味しくて、みずみずしいこと。そして何より手に入りやすい価格。大根を切ると水が溢れるようだし、人参は新鮮すぎて包丁を入れたところからパーンと割れる。

そんな経験したことがありますか?

14年前のこと。徳島大学市民ファーマー育成講座で、野菜づくりの勉強をしてきた。農業に興味があったというよりも、上の子どもがアトピー発症し、喫緊に解決せせばならぬ事情があったのが理由。就農は現実的ではなく、日常的にできることは、週に1回の押しかけ見習い農業。子どもと圃場に行くものだから、コンテナいっぱい持ちれないくらいの野菜をもらって帰っていた。帰り道にママ友に家にも傘子地蔵のように、ドアノブにかけて家までの道を帰っていた。

卒業後も毎週土曜に講師の先生のご自宅の横の圃場に卒業生が押しかけ(のちに米田クラブという団体になる)土作りから育苗、収穫までを体験させてもらった。老若男女、さまざまなな理由で農業に足を踏み入れた青葉マークたち20人くらい。

師匠、米田先生はもともと農業指導員として長年勤め、引退後に農業大学で1,000人を越える社会人向けの指導を行ってきた方。栽培から収穫、その先の販売も考えなければ持続可能にならないから、と独自の人脈と営業力で駅ビルの地下や、イベント会場などに軽トラ山盛りの野菜を持って行って売るように。2007年2月には特定非営利活動法人として団体設立に至る。

特定非営利活動法人とくしま農大アグリ

徳島県立農業大学校とくしまアグリテクノスクールを活用した生産技術教育の充実と農産物生産直売活動等への支援,地域リーダーの育成支援や農業に関する調査・研究,徳島県立農業大学校とくしまアグリテクノスクールと諸機関・諸団体との連携を推進するとともに,併せて地域の農業関係者等の交流に寄与することを目的とする。また,これらを実現するため,農業大学校関係者等の活動を支援する。

数年ぶりに圃場に皆んなの顔を見に行ったつもりが、思わず復帰宣言してしまった。10年余り経つと、初期のメンバーは2人のみ。見学のつもりで来たから、ズボンも靴もそれ仕様ではなく、案の定ビショビショである。

いつもじゃない景色と人と

畑は楽しかった。久しぶりに足を踏み入れた圃場の感触、野菜を収穫する瞬間の鎌を入れたブロッコリーの弾けるような水々しい香り。たわわに実った柑橘類の木を下から見上げたときの力強い枝から抜ける大空の色。

画像1

10年前の私の目的は
→安全な野菜を子どもに食べさせたい

10年経った今、
→安全な野菜で健康な身体作り(自分と家族、自分の周りのみんな)
→農業と消費者を繋ぎたい
→多様な人たちとの繋がりを作る

リアルを知るには現場が一番だ!っていうけど、なかなか時間に制限がある中では難しいけど、居場所がある戻る場所があるというのは、ありがたい。

どこで売ってるのか

(現在は徳島びっくり日曜市に出店:場所は3-2)

画像2

多様な人たちとつながることはメリットしかない

名刺を持って初めましてという関係じゃない圃場。長靴ないデェ、手袋これ使いぃ。一つのテーマであーでもないこーでもない、言いながら。
話題の回転が早くて、ついていけないけど。ブロッコリーはいつまで収穫か、来年植えるトウモロコシのタネの話。スイカはどうだったっけ、大根は干した方がいいよね、とか。

体も使い、頭も使い、手も動かしてドロドロになって。独身のときほど、自由がなくて、決まった時間には迎えに行かなければならず、それでも繋がりたいと異業種交流会なんて行ってみたものの、続かない。まず人見知りだし、口数が少ない。壁際の地蔵のようになるので極力避けて通ってきた多様な人たちとつながることが、10年越しに、土の上からのご縁で再開してる。名刺を渡すなんてことはないけれど、仕事の話がぽとって溢れたら、あれ?繋がってる?なんてことは日常茶飯事な徳島県である。ある意味、距離は近い。

出口を作って入り口に立つ

入り口と出口の話、米田先生がいつもいう言葉。栽培する人、収穫する人、その先まで考えないと儲かる農業はできないから、売り場も考える。自分で探すし、交渉するし、工夫もする。ヒントやチャンスはお客さんとの話の中にいっぱいあるから、畑にも行くし、売りにも行く。片手が落ちるとつづ行かないから、と。こんな先輩がいるので若輩者が弱音吐いてる場合じゃないなあ。

野菜たべない徳島県

面白いリンクをみつけました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?