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「人生100年時代」とは言え。
「人生戦略」と言われても。
100歳まで生きたいか。
世界で長寿化が急激に進み、先進国では2007年生まれの2人に1人が100歳を超えて生きる「人生100年時代」が到来すると予測し、これまでとは異なる新しい人生設計の必要性が説かれていますが、「100歳まで生きたいか?」と問われたら、「無理してまで生きたいとは思わない」ですね。
いわゆる「健康寿命」が伴っていないと、ただ生かされているだけの状態で100歳もしくはそれ以上、寿命を延ばしても自分が「幸せ」と思えないような。
高齢になって、施設入所や入院の機会があると、その家族は「看取り・介護計画」なるものや「延命措置」について確認が行われる。
その時になって「本人の意向と自分たちの意向は一致しているのか?」、「当人の希望はどっちなんだろう?」といった、「前もって聞いておけば良かった」と思える事態は少なくない。
もしくは、「当人の意向」は事前に把握できていたとしても、家族・兄弟・親戚の間での考え方や意見が対立することも少なくなく。
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「終活」は大事ではあるけれど。
いざとなった時を想定して、「本人の希望」や「身辺整理情報」を整理しておく、身内内で共有するために「終活」が推奨されますが、かしこまって「終活」を提案は難しかったり、憚られるものではある。
「遺産を狙ってるんでしょ!」とか「縁起でもない」と相手の逆鱗に触れてしまう等、初っ端の段階で心証を害された場合、リベンジは相当に厳しいと言える。
なので、改まらずに雑談の延長のように、「会社の人なんだけど、御家族の方に癌が見つかったんだけど『告知するか・どうか』で凄く迷ってて、、」と言った、第三者の話をして「じゃあ、ウチだったらどうする?」と言った話の振り方が切り口としては、話易い。
自分の親には、「お墓どうする?」「延命措置どうする?」「癌だった場合、告知した方が良い?」「お葬式は誰を呼ぶ?」といった、「いざという時」の話は意識的にするようにしていました。
気を付けたいのが、同じ質問でも時間が経ったり周りの影響等で、答えが変わるものもあるので、時々再確認した方が良いかも。
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年齢を重ねると。
自分が人生を折り返す年齢に近付いていくると、周りでも「介護」や「訃報」、「病気」、「お墓」といった、人生後半戦を見据えたトピックが多くなるんですよね。。
若いころは「恋愛」「仕事」「キャリア」「習い事・旅行・趣味」と言った人生を謳歌するための話題が多かったのですが、自分だけの問題ではない、現実的な話や悩みが増えてくるのも「熟年の大人」になるが故の宿命かも知れません。。
そういった「現実的」・「切実」・「重い」トピックが増えてくる中で、「人生100年時代」と言われても、「いやぁ、、それどころじゃないんですよー、今、親の面倒をどうするのか考えなくちゃいけなくて」という事態が現実だったりして。
大人になってからの学び直し、「リスキニング」も推奨されてはいますが、積極的にできるのは、健康で元気、ある程度の自由が利く(経済的・時間的・精神的・肉体的)人な気がする。
頭では必要性を感じていても、実際にやるとなるとパワーがいるので、実践・完遂するには相当なモチベーションの維持も含めてハードルが高いような。
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つまりは。
時間が経てば経つほど、自分も年を取っていきますし、周りも同じく年を取る。
ギリギリの段階でバタバタしたり、やっつけ仕事対応にならない為にも、気が付いた時に、後回し・先延ばしせず、行うようにする。
「思っていたんだけど」「気になってはいたんだけど」「頭では分かってたけど」といった、後手後手は「その思いは」本当だったとしても、周りからは悲しいかな、「言い訳」にしか聞こえない。
「何を言ったか」ではなく、「何をやったか」が大事。
大切な人のエンディングを意識した時に、自分が後悔しない為にも「双方が納得できるプロセス」で物事が進められるよう、気が付いた時に行うように。
「人生100年時代」とは言え、自分にもいつ何が起こるか分からないので、何が起こっても良いように「終わり方」は自分なりのイメージは持つ・周りにアナウンスしていくことも大事だと思います。
今日も読んで頂きありがとうございました☺