村上春樹の新刊タイトルは「街とその不確かな壁」。南のたまりの先にあるのは?
村上春樹の6年ぶりの新作タイトルが発表され、ファンが騒然としています。
というのも、過去にほぼ同じタイトルの中編『街と、その不確かな壁』を文芸誌に発表しており、その中編をベースにした長編『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』との関連も予想されるからです。
過去の中編『街と、その不確かな壁』は1980年に『文学界』で発表されたものの、著者自身その仕上がりに納得していないと語っており、書籍化されていないどころか作品全集にも掲載されておらず、いまでは入手が困難な状態。「幻の作品」といわれるのはそのためです。
『街とその不確かな壁』というタイトルは、過去作から「、」が外されているだけですが、このようにタイトルを少し変えて別バージョンの作品をつくるというのは過去にも例があります。『めくらやなぎと眠る女』という作品があるかと思えば、それを短くしてディテールを少し変えたバージョンの『めくらやなぎと、眠る女』があったり、『ねじまき鳥と火曜日の女たち』という作品があるかと思えば、それを発展させた『ねじまき鳥クロニクル』があったりします。
つまり今回の新作も、過去の作品に再挑戦して改稿したものなのでは?という見方がファンの間で強まっているのです。しかも過去の作品というのは、「幻の作品」であり、著者自身納得のいく出来ではない作品だというものだから、どのような改変が行われるのかいろいろと妄想が膨らんでいるというわけです。
『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)は村上春樹の4作目の長編小説で、その前に書いたのが長編でいえば『羊をめぐる冒険』(1982年)、短編だと『蛍・納屋を焼く・その他短編』(1984年)で、『世界の終り~』のあとに書いたのが『ノルウェイの森』(1987年)です。
注目すべきは、『街と、その不確かな壁』と『世界の終り~』で、結末が異なることです。『街と、その不確かな~』では、僕と、もうひとりの自己である影は、外の世界へとつながる「南のたまり」へ飛び込み脱出します。しかし『世界の終り~』のラストで主人公は、「南のたまり」に飛び込まず、壁のなかの「世界の終わり」の世界にとどまることを決断します。この結末について村上春樹は次のように述べています。
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とにかく後半は全部書き直した。とくに最後の部分は5回か6回は書き直した。今だから言えることだけれど、僕と影が最後にどうなるかという結末の付け方は書き直すたびにがらっと違っていた。
僕がひとりで「森」に残るという選択肢は、苦しみに苦しんだ末にやっとでてきたものだった。もちろん今ではこれ以外の結末のありえないと確信しているけれど。
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なぜ、村上春樹は『世界の終り~』で、ラストの変更という重大な改変を行ったのか。そして、今回の新作ではどのような結末になっているのでしょうか。
『世界の終り~』から10年後の95年に刊行された『ねじまき鳥クロニクル第三部』で主人公は、井戸の底で「壁抜け」をして別の世界とつながり、妻を取り戻します。
「たまり」に飛び込まずに自分の精神世界にとどまった『世界の終り~』とは対照的なラストです。
ねじまき鳥の第三部刊行直後の河合隼雄との対談で村上春樹は、「以前はデタッチメント(関わりのなさ)というものが自分にとって大事だったが、徐々にそれだけでは足りないと思うようになった。いまは井戸を掘って掘って、そこでまったくつながるはずのない壁を超えてつながるというコミットメントのありように非常に惹かれる」といったことを語っています。
さらにその27年後、村上春樹は世界とどのように向き合い、小説の言葉をどのように表すのでしょうか。
もう、楽しみすぎて、パン屋を襲撃に行く勢いです。