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改めてこんにちは。

皆様こんにちは。
こちらのアカウントでは"ふぁぼゆか"というクリエイター名でぽちぽち更新していたのですが、
心機一転!
リアル活動名でのアカウントにして更新していきたいと思います。

せっかくなので自己紹介をしたいと思います✨

1987年6月17日に生まれた近藤 悠叶(ゆか)と申します。
双子座に相応しく、小さい頃からよく喋るお転婆な女の子でした。

そしてよーく口が立つ笑。
さらになんかよくわからない強気と負けん気。

姉が1人と両親の4人家族で愛知県で育ち、音楽とのファーストコンタクトは
姉がピアノを習っていた時に母と付き添ってた時でした。

姉は総合音楽教室に通っていたので色んな楽器のレッスンがあったのですが、その時私の目の前に1人のヴァイオリンの先生が現れたのです。
長方形のヴァイオリンケースを持って。
(正確には横切った)

こういう形のケースです。

かっこいいーーー!!!🤩

と、幼い私は感じ、母にこう言ったそうです。

「あれほしい!!あれ持ちたい!!」
そう言って、きっと長続きしないだろうけどやらせてみるか…とヴァイオリンを与えてくれたのです。

そう、私は現在チェロ奏者ですが最初はヴァイオリンだったのです。

まあ落ち着きのないよく喋る子だったので忍耐力もなくそんなに練習せずにレッスン通っていたのですが楽しいという感情はずっとあって、

なによりも
長方形のケースを持つまでは辞められない🧐

と、しぶとく思ってました笑。
ヴァイオリンを持ったのは3歳くらいで小さいサイズの分数ヴァイオリンでした。
ちなみに分数ヴァイオリンのケースは三角形です。

こういう形のケースです。


そこから小学校にあがり、うちの小学校は後から見るとわりとニュース沙汰になることがチラホラあったんですが、内容は割愛。
私の学年はどうやらみんな気が強くて、お互い罵詈雑言…笑。

特に女の子のイジメが陰湿!!笑。
学校内で無視は当たり前、私物が無くなる、家の電話に無言電話、イタズラ電話、不幸の手紙…などなど今考えればなんと幼いことやら…😅
私は加害者も被害者も両方体験しました。
どっちかというと被害者の方が多かったかな?くらい。
イジメは日常茶飯事。

そんな体験から、
小学校のときに、もうすでに人間不信の自己肯定感無し。
中学は人間不信の自己肯定感無しの自信無し子が続いていましたが、
それを見かねた中2のときの担任の先生が私に

生徒会やらない?

といきなり声をかけてきたのです。

生徒会?…私が?!!😳

先生の魂胆としては、ずっと暗い顔してて自信なさそうだったから声かけて乗ってきたらターニングポイントになるかなと思ってたらしいです。

振り返れば中学以降、先生には恵まれていたと思います。
そこから中2,中3と生徒会の選挙の演説をし、無事生徒会役員でわちゃわちゃと過ごしていざ受験。

まだこのときはヴァイオリンを習っていてチェロには憧れがあり、どうせならタダで楽器を借りられる弦楽部、オケ部がある学校に行こうと目指しなんとか合格。
無事チェロとの運命の出会いを果たすのです。

高校では、愛知県にある弦楽部オケ部が集まって合同オケをしたり、その中からオーディションを受けて選抜メンバーで全国高校総合音楽祭というイベントで徳島に行ったり、とても充実していました。

選抜オーディションを受ける前辺りで、チャイコフスキーの弦楽セレナーデを練習していたのですが、その辺りから専門的にチェロを勉強したいと考え、親に頭を下げてなんとか許してくれて。
条件は国公立音大しか許さん。
でしたけど、私もそのつもりでした。

ヴァイオリンの先生からちぇろの先生を紹介してもらい、必死こいて練習しては

君はなんでそんなに音楽性がないの?

と、否定?され続けながら何とか浪人して目標の愛知県立芸術大学に入学。
大学以降の話は別の記事で詳しく書きますが、
様々な方々の出会いや導きで今の私ができているように思います。(ふわっとしてるな)

大学以降の話はけっこう暗黒時代といいますか、なかなか大変だったんですよ笑。
それこそ、昨年まではとにかく闇、病みが多すぎて生きているのがツラくて、実際に心療内科に通って、今でも通院しています。

その辺りの病名も、次の投稿でお話をしようと思います。

最後まで読んで頂きありがとうございました😊

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