【エッセイ】英語で卒論書くに至るまで(現在進行形)
2018年もまさに終わろうというこの時に、今年は帰省もせず独り東京でPCに向かっている。
それは、学士取得に必須(最近はそうでもなくなっているが)なあれのため。
卒業論文である。(ちょっと大袈裟)
この時期、鋭意執筆中の人も多いかと思うが、私の場合はここで「不都合な真実」がある。
それは、私の所属する専攻が卒業論文を英語で執筆しなければならないことだ。
卒論を書くにしても、執筆の言語が違うだけでこんなにも苦しくなるものか??
というくらい私は、この「英語で卒論」に苦しめられている。
「英語で卒論を書く」ことを私が知ったのは、大学1年生の終わりころ。
入学した某大学の文学部は、1年生で語学と一般教養を詰め込み、2年生で専攻を決め、2~4年は専門科目に専念するというシステムである。3年生からゼミと演習で、本格的に卒論研究に精を出し始める。
専攻ガイダンスにて
私は1年生の希望調査前、既に英文科に進むと決めていた。
何せ英語の勉強ができるのだから、何も悪いところなんてないだろうという感じで。
なんていうか、他に勉強したいこともあまりないし、英文科に行けばとりあえず英語が学べるのでは…という安易な考え。
(「英語」を学ぶことと、英文科での授業はまったくイコールではなかったのだが。)
ただ、英文科は伝統的に「厳しい」で有名だった。(何を思ったか年中4月病だったおかげで先輩たちの忠告は華麗にスルーしてしまった。そのせいで、2年生は単位との格闘の日々だったけれど、それについてはまた別の機会に。)
単位取得と共に厳しい理由の1つが「卒業論文の英語執筆」だった。
ガイダンスで手渡された先輩たちの卒業論文リストすら、もちろん全文英語によるもの。
正直、当時はちんぷんかんぷんだったが、それは単純に文学史と英語学の内容が、まるで頭に入っていないだけだと思っていた。
というより何より、私も、私と同様に英文科を希望していた友達にも、漠然とした期待があった。
「4年生になる頃には、英語もめきめき上達して、卒論ぐらい英語で書けるだろ!!」という…。
なんともふわっとした希望。まるでプロセスが見えない。あの頃の私に言いたい。
「普通に授業を受けているだけでは、英語で卒論なんか書けない!!」と。
ちなみに私の英語のスペックは英語検定準1級、TOEIC790点。
世間的には高いかもしれないけれど、英文科生ということを加味すると激低い。
というか、そもそも英語で卒業論文を「書く」ことに英語のスペックはあまり関係無い気がする。
アカデミックな英語執筆とは
卒業論文とは、テーマに関する「論理的思考」を文章にすることである。執筆される理論自体が説得力のあるものであれば問題はないし、使用する文体は、難しく複雑なものは不要なのだ。
それよりも英語力が必要なのは「読む」作業において、である。
文献を大量に読む→書く→修正する。
このプロセスを無限に繰り返すだけであるため、英作文力よりもむしろ読解力に重きが置かれる。(主要な文献に、日本語訳が無い、なんて悲劇も多々起こる。)
そんなわけで、卒論研究は3年生でゼミに入ってからの2年にも及ぶ、文系にしてはとんでもなく長い期間になったのである。
「英語で卒論」が難しいいろいろな理由は次の記事で。
p.s. 私は母娘二代で大学は異なるものの、英文科生である。母の時代(80~90年代?)には、英文科生にとって英語で卒論はあまりに当然のことだったらしい。しかしながら、時代を経るにつれ「英語」が必須」の英文科は減少し、現在では「日本語」のみか、選択できる制度が多くなったそう。これも何か、時代と関係あるのかな、と思ったり思わなかったり。