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【東京回顧録#5】国立新美術館のダリ展

恋愛は、付き合う前が一番楽しい、というけれど、それを最も実感した恋が20歳の時に、東京で初めてした恋だったと思う。

東京らしく、大学生らしく、いやそうかどうかは分からないけれど、全然会えない人だった。
上京して1年が経ち、生活全般が1年生の頃と比べて整ってきた頃、サークルの繋がりで他大学との交流をする機会があり、その飲み会で出会った。都心にある私立大学に通い、親のお金で借りた大学付近のマンションに住み、バイトやら飲み会やら「大事ではないこと」で、スケジュール帳をとにかく埋めていた自分は、大学生活をただ目的の何もないパーティーのように、出会う人や時間や、起こる出来事に流されるままに、生きていた。
バイトをしては、新宿のルミネエストで、今思えばどう違うのかよくわからないようなブランドで、色と柄、デザインがその時にしてみれば洗練された服や靴を買い、手に届くデパートコスメで化粧をして、着飾って飲み会に行くことが、その時は一番楽しかった。
なんてふわふわした楽しみなのだろう、とも思うが、人生のうちで一度くらいそういう時期がってもよいのかもしれない。

恋をした人は、そんな生活を送っている自分とは、正反対の存在だった。
大学生、という人生で最も地に足のつかない期間を、自分の信念をもって前に進めている人だった。単科の国立大学で、自分のしたい、と決めた研究に没頭していた。没頭、する男性に弱い。でも没頭している人を、こちらに向けるのは至難のわざだ。東京にある実家に住み、バイトしたお金を読書や展覧会など、自分の知識のために使う。
そんな人だったから惹かれたのだけれど、そんな人だから難しかったのだ。
会う機会はなかなかつかめず、自分の中での思いだけがどんどん膨らんでいった。今思えば、そんな二人の恋がうまくいくほうが、ハプニングなんじゃないかと思うほど生活に違いがあったと思う。

夏に芽生えた気持ちが、ふくらみ続けるまま秋になる。
運よく、大所帯で開かれた飲み会で数か月ぶりに彼と顔を合わせた私は、それとなく、開催中の大きな美術展のことを話題にした。六本木の国立新美術館で開かれている、サルバドール・ダリ展。「まあ、課題が終わってからなら…」となんとか約束をしてくれた。その反応から、このデートが彼にとって特別な意味など何も持たないことなど分かり切っているのに、それでも嬉しさで胸はいっぱいになった。

その冬は、titty&co.で買った大きな襟にピンクのふわふわのついたコートばかり着ていた。着すぎて、袖口が汚れてしまい、翌年には処分してしまったと思う。バイトやら、教養科目のレポートやら、彼が没頭する「研究」と、自分のやっていることは、何て違うのだろう、と恋心と自分への失望が入り混じりながらまた、新宿のルミネエストに向かっていた。Chicoで、大胆なピンクのニットと、黒いふんわりしたスカートを買った。あまりに気分が良さそうだったのか、Chicoらしい華奢の店員さんに「これ着て、デートですか?」と言われてしまった。普段、店員さんと会話を交わすのがあまり得意ではない私も、上機嫌で「はい!」と答えたと思う。

満を持してのデートらしくはなく、集合時間は決まっていなかった。
彼が研究室から解放されたら、その時間を伝える、というのだ。
しかし、私も5限まで授業だったのだと思う。とことん大学を舐めていた私は、教室の後ろで生協で買ったブラウニーを頬張りながら彼にLINEを返していた。
「私もそのくらいに着く。」
合わせればいい。こっちがどんなに待とうと、急ごうと、たまたま同じ時間だった風を装えばいい。彼のことが本当に好きだった。余計なストレスを与えたくないと思うほどに。

別々の学生証を見せて、チケットを1枚ずつ買った。
学割で美術館が、少し安くなる期間。たったの数百円、と思っていたが、この期間がどれだけありがたいものか、ということはその特権が無くなってから分かるものだった。

美術館デートの顛末としてありがちな、展覧会にはあまり集中できず、相手と話すことができる状況を心待ちにする、ということにはならなかった。
近年最大級にダリの名作を集めただけあり、さすがに見ごたえがあった。『メイウェストの唇ソファ』は撮影が可能で、その冬、何度もInstagramで目にした。だけど、私の目に最も印象に残ったのは、ダリが描いた『不思議の国のアリス』の挿絵だった。色とタッチの主張が強すぎ、挿絵にしては少しシュールで(彼の作風通りなのだが)、主張の強い挿絵数枚を、私と彼は、同じ好奇心で観察した。恋をしていた。全く違う存在だと思っていた人と、同じ心持をもつこと、重なる部分を持つこと。それに陶酔すること。それが恋だと思う。その恋と、アートが織りなす空気感に酔っていた。故郷の田舎町で、こんな恋ができるはずがなかっただろう。そういう恋をしている自分にも酔っていた。

あまりに時間をかけて展示を見ていたから、閉館のアナウンスが響き始めた。私たちは笑って、「お腹すいたね。」と、少し恋人の空気感を帯びた目線で言い合った。

六本木で何か食べて帰ることになった私たちは、少し小さい東京タワーに照らされていた。私たちが照らしていたかもしれない。



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