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かいちゃん(92)のこと

うちの両親はそれぞれ次男次女。
生まれた時からお兄さん、お姉さんがいました。
だからなのか、妹たちや弟からは愛称で呼ばれていました。

父は「かいちゃん」
母は「じゅんちゃん」

92歳になっても、叔母たちからは「かいちゃん」と呼ばれてます。

そんな両親に育てられた私たち姉弟、私は「yukaちゃん」
上の弟は「さぁくん」
下の弟は「ひぃちゃん」
です。
もちろん今も。

うちの娘たちもさぁくん、ひぃちゃん呼びです。
娘たちが小さかった頃はまだ独身でしたしね。
ちなみに、義妹たちのことは「〇〇子おねぇちゃん」と呼んでます。

と、話がそれました。

じゅんぴぃを見送った後、せん妄と現実を行き来して、朝6時くらいから鬼電がかかってくることがありました。

それがパタッと来なくなったと思ったら、次女のところにかけてくるようになりました。

(自分でかけてきといて)「誰け?」次女が「わたし!」と答えると納得。


「一つ聞きたいんだが、どうして俺はここにおるんだ?」

また始まった😅
「さぁくんとひぃちゃんが、ご飯が出てお世話してくれる人がいるところを探してくれたんだよ、そこにいたら台風も地震も心配ないからって」

と、いつもの返答。

納得したのかしないのか不明なまま、電話を切る、その繰り返しでした。

にしても、私にはかけてこないな?と思っていた矢先、さぁくんからLINE。
「親父のことで話がある、今電話いい?」
🆗

弟の話を要約すると。

・母と二人で生活していた部屋から一人部屋に移り、人とあまり関わらなくなっていった。
・もともとは冗談を言って人を笑わせることが好きだったが、職員に対して声を荒げる事が多々ある。
・昼夜反転生活で、夜中にベッドを移動させて物音を立てたりする。
・夜間は職員1人なので対応が難しい。

要は、施設の問題児。明言されないものの、でていってほしいっぽい。

あるいは認知症の検査をして、必要なら投薬も試みる。

ということで、弟2人で父を精神科のある病院につれていき、そこでMRIを撮りました。

すると!
なんということでしょう!
皆が思っていたアルツハイマー型痴呆ではなかった!

一連の問題行動は、脳の血管に詰まりがあることの影響、とのこと。

というわけで、現在父は入院して治療中です。

それで次女に「どうして俺はここにおるんだ?」と。
事情を知らない次女は、てっきり施設にいるものだと思ってそう答えました。

弟たちにしてみれば、抗がん剤で治療中の私に心配かけたくなくて、話さないでいたけれど、病状が安定してきたので現状報告した、と。

ただ、施設はこじんまりとしたところだったので、杖と手すりで歩けたけれど、病棟は広いので転倒の心配がある、昨日早速こけた、とのこと。

それと、病院なので外出不可。
面会も時間と人数に制限がある。
(施設だと時間や人数に制限なく面会できるし、外出して食事もできます)

スマホも夜間はナースステーション預かりなんだそうです。
これは早朝鬼電が来なくなって助かります!

父は常々
「俺は自分で建てたあの家に帰ってそこで死にたい」
と言ってました。
出来ることならそうしてあげたいけれど、弟たちはまだ働いてるし、私はこんなんだし、まだ無理。

祖父の時は、伯母、叔母たちがシフトを組んで24時間体制で付き添い看護してました。
子どもや孫たちに囲まれて、賑やかに旅立ちました。

父の脳裏にあるのはその光景でしょう。

病院の中で、誰にも看取られずさみしく旅立つことを恐れて(義父がそうでした)。


弟たちは、「薬が効いたら施設に戻れるし、そしたらまた美味しいご飯を食べに連れて行くし、温泉にも連れて行くから」と言ってるそうです。

というわけで、来月二日のじゅんぴぃの四十九日法要に、父は出席できません。




長生きすると、喜怒哀楽の真ん中二つが特に強く感じられるようになるのかな。

なら、そこそこでいいや。
というか、その、そこそこラインを、目標にしてるわけですが💦

薬が奏効して、血管の詰まりと心の詰まりが取れて、無事施設で楽しく過ごせますように。

テレビがお友だちの生活から解放されますように。

かいちゃんの長い長い余生が、誰にとっても後悔の残らないものとなりますように。




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