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広がる豊かな人生。
雪道を足元をみて歩くとき
空が青いことに気がついてほしい。
日差しの強い車窓の
カーテンを閉めた外の世界に
水平線が美しく広がっていることに気がついてほしい。
美しく田畑が広がっていることに気がついてほしい。
雑草が、美しい花を咲かせるために
今頑張っていること
去年も同じところで咲いてくれていた…
そのことに気がついてほしい。
何かをしてくれたから、パートナーとして選んだのではなく
パートナーの側に笑顔で居たかったから選んだということを
思い出してほしい。
本当は…そのままで、
居られるのだということに気がついてほしい。
ただ、それを観てほしいのです。
ただ、そのままを感じてほしいのです。
あなたが、それを観られないのは
あなたではないものを
あなただと信じてしまっているから…なのだから。
想いの先にある広がりが
人生なのだということを知ってほしい。
社会は、あなたに厳しさだけを感じさせたいわけではなく
あなたの想いのために動き続けてくれているのだから。
〜そらさん《心の居場所》より抜粋〜
*
そらさんと、本質的な叡智のバトンとの出逢い。
そこでわたしは "オリジナルな本質・人生" を知り
天と地がひっくり返るような衝撃を受けた。
"こんな大切なことを、今まで知らずに生きてたなんて!
これは誰もが知り得るシンプルなこと
難しい話じゃない。
全ての方がこの本質という本来の自分に気がついたら
きっとみんな、世界が、地球が豊かになる。
平和になる…と
なんだか強い衝撃とともに
とても暑苦しくなったことを思い出します。笑
"こんなわたしでも、ようやく人の役に立てる"…なんて
生まれて初めて感じました。
もちろん、そらさんは
淡々と必要な人に届けようとしているだけ。
一人でも多くの方に
オリジナルの自分と本当の人生に流れているものを知ってほしくて
無力ながらも、そらさんのこと本質的な叡智のバトンのことをシェアし
一人突っ走しって(笑)いました。
(今となれば、ひとり騒いでたという表現の方がピッタリ(笑))
当然、その時のわたしは何とか伝えたい!の
一心だったということもあり、
「社会、世の中では、人生のことが何も見えていない!」と
変えなければ!的な意識も大いに働いて
同じことを求められたり、その反発で違うことが正しいと言ったり
そんなことばかりで、人生はそんな小さな世界じゃ無い!
その人のオリジナルな人生が流れているのに
それが全く何も見えていない!
と、そんな社会を私自身も否定していました。
当の本人は、苦しさを感じるほど、
何とかしなきゃ!と感じる一方で。汗
でも、そのバトンに数回参加したことで
そらさんの伝えたいことは
社会の考え方とは全く違うけれど
私たちは、この社会で生きるために生まれたのだから
社会の中で影響を受けないこと。
"受けないだけでなく、社会の方々の苦しみに
寄り添うこと。"
そのために伝えているのだということがわかってきました。
そらさんの人生の見方が正しいのではなくて
そらさんが見ている(見つけた人生)と
社会でのみなさんが行っている活動は
両方があってこそ、人生の深さ完璧さが見えてくるのだと
わかってきました。
それによって、私自身がジャッジが薄くなり
何かを問題視することもほとんど無くなりました。
もう3年近く参加していませんが
暑苦しく伝えようとすることもなく(笑)
いまだに影響を受けることなく穏やかに暮らしています。
そんな私でしたが、ここのところの社会の慌ただしさに
やはり多くの人に影響を受けることのない幸せを
感じてほしいという想いが募り
また書きたくなってきました。
バトンのこと。
人生のこと。
と、こう書いても今の経済状況の中
影響を受けないなんてありえない!と
信じてもらえないかも知れませんが
ここで人生と表現しているのは
求めたものが手に入るというようなことではなくて
自分自身を否定なく感じながら人生を歩むこと。
過去の出来事も、
そんな自分自身に気がつくために訪れていたという
他者否定も自己否定もない人生の流れ。
言葉で言っても、伝わらないと思いますが
みなさんが人生と思っている結果をだすことや
必要なものを手に入れることとは別で
"人生が流れていることを知れば
その結果が手に入れられない理由も見えてきて
否定することなく、本当に必要なものを手に入れられるのです。 "
*
そんなバトンですが、
実はわたしは、これと言った悩みなんてなく、
最初は、そらさんに逢ってみたいという好奇心でした。
特に悩みは見当たらなくても
自分の本質、自分の人生を知りたいという
方も多くいらっしゃってました。
でも、"そんな大きな悩みはないから"と言う一方
いざ日常に目を向けると
家族、パートナー、職場という身近な人間関係や社会への不平不満を半ば諦め、
当たり前のように、抱いている人がほとんどではないでしょうか。
上手くいかない出来事の対処法ばかりや
結果ばかりが
何の疑いもなく注目されている。
いかにも、その結果を手に入れたら幸せになれるようなことが
言われていますが
手に入れても、あまりしっくりくることなく
次の方法に手をつけている人がほとんどではないでしょうか。
わたし達は自分の人生に
"何が流れているのか"を知らずに
"誰かが言っていることを信じています。 "
みんな、自分探しなんて…
自分は自分だから…
ちゃんとした人が言っているんだから…
素敵だなと思っている人も勧めてるし…
確かにそうだと思います。
かつてのわたしも
本当の自分なんて知らなくても
本当の人生なんて知らなくても
生きていけるし、
楽しいことも味わえる。
それに私たちは地球の一員だから
命を大切にしたら
とか
宇宙の真理を知れば、自分も宇宙の一部だから…
そんなことばかり考えていました。
そういうことが大きくて深いことだと信じていました。
でも、違っていました。
"それぞれの人生が全く違うからこそ
その人生を生きた時に、自分に一番大切な本当のことが見えてくる。"
だから、本当の自分を知るということは
自分が今まで知っていた世界以上に
もっともっと広がる豊かな人生だということ。
Yuka