運命の靴って本当にあるんだ①
なぜnoteを書こうと思ったか
初めまして、香奈です。ムーンプランナーを使って、多分4年ぐらいになります。その流れで自問自答ファッション通信を知った私が、運命の靴に出会った話を書きます。
ちなみにまだ買っていません。「買ってないのに書くのかよ?!」と言われそうですが、この体験はどうしても書いておきたかったんです。公開できる場所に!(切実)
私はTwitterアカウントを持っています。が、非公開です。とても公開できるものではありません。何故なら二次元への煩悩と壁打ちツイートが跳梁跋扈し、そこに「B級昼ドラみたいな現実が飽きずにまた襲いかかる!」みたいな人生の愚痴までぶち込まれている闇鍋アカウントだからです。ムーンプランナーさんや自問自答ファッションのあきやさんになど、とてもお見せできるものではありません。
でも、どうしても届けたい! この思い! いや目に留まるかどうかは分かりませんが! もし目に留まることがあるとしたら、この日本の片隅からの「ありがとう」を、ぜひお二人にお伝えしたかったんです。それで生まれて初めてnoteを書いています。平日の夜なのに。
まずは前提
私は、見た目は良い方で生まれてきました。でも、そこに「幸運なことに」という言葉を連ねる気持ちにはなれません。そこを発端としたデメリットにぶち当たることが非常に多かったからです。「B級昼ドラみたいなトラブル」に何度も見舞われ、何度か人生が捻じ曲がりました。割合にすると、メリット1:デメリット9ぐらいの体感です。
女は見た目が良ければイージーモードだの、良い目に遭うことが多くて人生ハッピーだろうとか、言われているのも書かれているのも目にします。そういう言葉をぶつけられたことも何度もあります。実際、そういう人もいるでしょう。でも私は違いました。だから、ずっと自分の見た目が好きになれませんでした。それなのに「そこらの人間より自分は見た目が良い」という認識はありました。自己認識がとても歪なのです。
ずっと自分の見た目を放置してきました。自宅近くのショッピングセンターの衣料品フロアや、プチプラファッションの店で適当に買ったお値段3桁とか、4桁でも四捨五入して5,000円にならない程度の服や靴ばかり身に付けていました。それでも「プチプラを着ていてもプチプラに見えない」と誉められ続けてきました。メイクはもっとひどかったです。ノーメイクでも勝負出来る顔だと知っているので。コロナ禍のマスク着用定番化でひどさに拍車が掛かり、パウダーはたいて眉を描くしかしていません。それでも誉められ、そしてトラブルに遭う。私は、本当に自分の見た目が好きになれませんでした。
私が、自分の見た目を放置するのは、自信があるからではありません。自分の見た目が好きではないからです。でも、放置した自分の姿が好きかと言われると、決して好きではありませんでした。好きでやっている姿ではないからです。
自問自答ファッションとの出会い
ムーンプランナーを愛用していた私が、自問自答ファッションに出会ったのは、そんな時でした。ムーンプランナーさんが、突然ファッション講座とコラボし始めて「なんで?」と思ったのを覚えています。
でも、大好きなムーンプランナーの中の人が御降臨されているというのと、「自問自答」というキーワードが「ZAZEN BOYSみたいでかっけーじゃん」と思ったのと、ずっと自分の中で引きずっていた「見た目問題」関連だったので、マガジンを買って最初の動画を見ました。その日から始まりました。私の地殻変動が。
自分の中で起き始めた地殻変動に驚き、でも「なんか今動かんといかん気がする」という野性の勘だけで書店に走り、運良く書棚に並んでいたあきやあさみさんの「1年3セットの服で生きる」を買いました。読みました。何度も何度も。
あれこれ思い悩み、紙のノートやTwitterにあれこれ書き散らして、その時は「多分これだ!」というコンセプトが見つかった気になり、でもやっぱり違う。直近で旅行をする機会があり、そこで触れたファッション関連の出来事に大きな衝撃を受けたりもしました。
そんなこんなで脳内はウワーッ!となり続けていました。でも、なかなか先に進みません。脳内が混沌としてぐつぐつ煮立っているだけで、実際の見た目は特に今までと変わっていませんでした。
変わっていったのは、私の気持ちでした。理屈ではなく感情、脳ではなく心の方です。「やっぱりこんな見た目、嫌だよ! 変わりたいんだよ!」という声が日に日に大きくなっていく。
そこで、まずコンセプトを決めよう!と思いました。割とすぐ決まりました。でも、全然心が動かないんです。心が動かないんで、体も動きません。実際の行動が伴わない。どうしてなんだろう? いくら考えても分からず、行き詰まって部屋で大の字に寝転んで呆然としていた時、思い出したのがムーンプランナーブック「ヘカテー」の「願い事鬼教官」の章です。
コンセプトを見つけること、これからの指針を決めること。それが出来ず、見つけられずに悩み、そして最終的に「悩むこと」がメインにすり替わっている状況。「まさに今の私では…?」と思い、「ヘカテー」を最初から最後まで読み直し、また大の字になって部屋の天井を見上げて決めたことが「よし、美容院の予約を取ろう」でした。
とりあえず髪型を変えた
意味が分からないと思います。私も書いていて意味が分かりません。でも、取りあえず気分を変えたかったんです。見た目的な意味で。一番手っ取り早いの、髪型かなと思ったんです。髪型も、多少のマイナーチェンジこそあれ、ずっと同じような髪型ばかりしていたから。
行きつけのヘアサロンに行って、結構ガツンと髪型を変えました。次の日、職場に行って沢山の人に誉められました。嬉しくて、にこにこしながら仕事を終えて、自社ビルのエレベーターに乗り、エレベーターの中にある大きな鏡に写った自分を見た時でした。彗星のように自分の中に「○○したい」という思いが飛び込んできたのは。
「この格好、なんとかしたいな」
やっと見つけた扉
私の今の身分は契約社員です。同じ職場で10年ぐらい続けています。その前に何をやっていたかというと、風俗嬢でした。4年ぐらいだったかな。
私生活で色々あって、風俗に叩き売られたようなものでした。見た目は良かったので高値が付き、ずっとナンバー嬢でした。でも、それが私の「自分の見た目に対する歪な認識」に最後のとどめを刺しました。
何とかそんな生活から抜け出したくて、職安に通い、職業訓練を経て今の契約社員の職を掴みました。ボーナスも無く、月給は固定で残業手当も無く、手取りは風俗時代の最低月収の10分の1。それでも嬉しかったです。
絶縁状態だった実家との関係も少しずつ修復し、私生活のトラブルも数年かけて裁判までして解決しました。そういう私の過去を全部踏まえた上で受け入れてくれた人との出会いがあり、結婚もしました。新しい友達も出来ました。子ども時代からずっとやりたかったことをやる機会と人にも恵まれました。
順風満帆に思えます。でも、そんな中で私の中で深まっていったのは、拭うことのできないコンプレックスでした。「昼職」の人達への。
「昼職」をしている今、私の過去を知っている人はほんの数名しかいません。おおっぴらに言える内容ではないからです。「昼職」をして思い知ったのが、言えない前歴を持っていることのしんどさ、そしてそんな前歴を持たずに真っ当に生きてきた人達への根深いコンプレックスでした。
そのコンプレックスを象徴しているのが、自分の仕事着でした。それに、あの日、エレベーターの中で気付いてしまったんです。
職場用の服も、プライベートと同じようにプチプラまみれでした。顔は、マスク着用なのを良いことに眉しか描いていない。それで良いと思っていました。それが私には妥当で適当な格好だと思っていました。でも違う。私は、もうちょっとマシになりたかったんです。「職場」という場において。やっと見つけた「私の開くことが出来ない扉」の在処、そしてその正体でした。
扉を開けるための靴
「仕事」は、今の私の人生の要だと思っています。まともな昼職で、安月給でボーナス無しであっても金を稼いで、「自分」という一人の人間を最低限養うことが出来る。これを現実にやることが出来た時、私はそれまでずっと浸かっていた夜の世界から、本当の意味で「足抜け」することが出来たのだと思います。
でも、私はそこで止まってしまっていました。生まれて初めて入った「昼職」の世界で、言えない前歴を抱えるというのはどういうことかを知りました。夜の世界しか知らずに生きてきた自分にコンプレックスを抱き、しんどかったです。ずっとずっと。そして、「そんな自分」には「この程度が妥当」と、「安物」と「適当」だけ身に付けていたんです。それは、服や靴だけじゃなく、精神的な意味でも同じだったと思います。
このままで良いの?
いや違う、変わりたい。
では、どう変わりたいのか。どこを変えたいのか。私はずっとプライベートの方で考えていたけれど、一番変わりたいのは「職場」での自分だったんです。そりゃあ、いくら「きっとこれだ」というコンセプトを考えても、全然心も体も動かないはずです。だって「プライベート」での自分のことばかり考えていたから。本当に一番変えたいところではなかったから、いくら考えても何もピンと来なかったんです。
「じゃあ、まずどこを変える?」そう自分に問いかけた時、答えが即座に出てきました。「靴!」
そう、「靴」でした。あきやあさみさんが著作で「一番大切なキーポイント」と書かれていた「靴」です。やっと見つけた扉を開けるため、立ち上がって歩いて行く時、その足に履く靴を見つけよう! そう決めた私の前に立ちはだかる「田舎」の壁、そして「平日の夜」という時間の壁… 後編へ続く!(ここで終わるのかよ)(多分週末に続きを書けるはず)