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今日も、乗った電車は反対方向だった。

「よーし。今日も大学で修士論文と向き合うぞ」と、気合を入れて駅に向かう。この年末は、埼玉にある夫の実家でゆっくり過ごさせてもらっていて、夫よりも先に私が夫の実家に着いている。

この話をすると「え、旦那さんいないのにゆかちゃん1人で実家行ってるってこと??」とびっくりされることが多いのだが、私にとってはむしろ有難い気持ちでいっぱいで、それはきっと私の遠慮をしない性格なのが大きいだろう。もちろん夫の実家のお父さん、お母さんの寛容性もあると思う。

「いつでもおいで!」と言われたら、私はその言葉通りに受け取る。「きっと社交辞令だろう」みたいな思考にはあまりならず、「いいんですか?いつ行って良いですか?」と喜んで行く。それは、誰であっても。

そして、喜んで行って、嫌がられたこともない気がするから、本当に来て欲しいと思ってくれているんだと思う。とっても有難い。

夫の実家は埼玉で、私が通っている立教大学がある池袋駅まで大体電車で50分くらいだ。

乗っていたら到着するから楽である。今日も、朝少し早めに出て、お父さんに車で駅まで送ってもらい、電車に飛び乗る。

電車の席は、端っこが好きだ。いつも荷物が多い私は、端っこだと気にせずに荷物を寄せられるから、端っこをキープできた日はラッキーだ。

今日もお気に入りの端っこをキープし、電車に揺られながら池袋に向かう。

家族とLINEのやり取りをし、大学院の同級生と「今、池袋向かってるよー」なんてやり取りをし、30分くらい電車に揺られていたら異変に気づく。

なぜこの電車はずっと止まっているんだ…..?
そして年末なのに、こんなに人はいないものなのか….?

車両には私しかいない。そして、もう発車しているはずの電車がずっと、とある駅で止まっている。

何かがおかしい、そう思って駅名を見ると「小川町」に到着していた。


あーーーーーーーーーーーー、またやっちゃったよーーーーーーーーーー。


落胆する。私は、自他共に認める注意欠陥で、何度も乗ったことのある電車でも反対方面に乗ってしまうことが本当に多々ある。

これまでも10数回、同じようなことを繰り返してきた。これはもう、自分の努力とかそういう問題ではなく、特性だから仕方ない、と諦めてきたが、間違えるとやはりいつも落ち込む。

ちゃんと乗る場所、確認したのになあ….と思いながら、小川町からまた1時間ちょっとかけて、池袋に向かう。

15分くらい電車に乗っていたら、今朝、お父さんに送ってもらった駅に到着する。ここでもう出発して1時間が経っていた。

電車が好きな人って、こういうことをしているのかなと思った。
わざわざ遠回りして、目的地まで向かう。いや、目的地なんてもしかしたらなくて、乗っているということが大事なのかな。

池袋まで、1時間で到着予定だったのに、2時間かけて池袋に向かっているのだった。

ああ、修士論文と向き合う時間が…と思ったけど、まあこんな日があっても良いのかな、と思った。年末だし。ゆっくりしなさいよ、ということなのかもしれない。

夫に「ねえ、なぜか小川町に着いたんだけど!」とメッセージを送ったら「小川町は、エコロジーの町だよ!」と呑気な返答が来た。その後、「笑いすぎて、はらいたい」という返答も。

私の周りは、失敗に対して寛容でいてくれる人が多い。間違えたことをしても、うまく行かなくても、失敗しても、それが私がわざとではないということをちゃんと信用してくれる。

そして変に同情したりせず、いつも笑ってくれる。

ああ、本当に、私は毎日救われているなあと思う。

真面目な私だからこそ、自分が完璧じゃなくて全然いいんだ、と思える場所があることはどれだけ有難いことだろうか。

今度、小川町へ遊びに行ってみようかな。でも、そういう時に限って、池袋に着いちゃったよー、とか言ってんのかな。

私は私を信用できない時があるけど、周りが信用してくれているから、それでいいや。

池袋駅まであと20分です。

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