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写真をSNS上にあげるときに、必ず「あげても良いか」を聞く理由。

私は、基本的に人と思い出を共有することが好きだ。美味しいご飯、綺麗な景色を残したくて写真を撮ることもある。それを家族や友人に見せて、「この前さ…」と話すことも楽しい。

でも、とあることをきっかけに、特に誰かと一緒に撮影した写真というものをSNS上にあげるとき、必ず写っている人に確認を取るようになった。個人的には、確認されなくても「お好きにどうぞ」というタイプではある。私はどちらかというとフリー素材。

確認をするのは、個人情報とかそういった類もあるけれど、またちょっと違う理由がある。

私がそのことを意識し始めたのは、夫との出来事がきっかけだ。
夫は、SNSに興味がない。基本的に、携帯にSNSのアプリを一切入れておらず、仕事上facebookはやっているが、それ以外はやっていない。facebookもやってはいるが、基本的に発信は、仕事で必要な発信のみ。自分のことは一切発信しない。

夫がfacebookで自分のことを発信をしようものなら「どうした!?」「なんか転機があったのか!?」と思うくらい。

つまり、私とは正反対なのである。私は発信を毎日のようにするし、発信することが基本的に好きだ。

その出来事は、夫と付き合い始めて1年目あたりだったと思う。夫が面白いことをしていたから、何気なく携帯でカメラを向けていた。ゲラゲラ笑いながら、その瞬間をおさめていたわけだが、ふと夫が真顔で、「その写真、ゆかのSNSにあげるの?」と聞いてきたのだった。私がよく発信をしていることを知っているからだろう。

私は、「ああ、うん。あげていいなら」と笑って答えた。

すると、夫は真面目な顔をして、「嫌だ。」とはっきり言ったのだった。

夫が嫌だとはっきりいうことは珍しい。
基本的には毎日ご機嫌で、それいいね、と言ってくれる人だ。

あまりにも真顔で嫌だ、というので心配になって、「どうしたの?」と聞いてみると、おそらくこうゆうことを伝えてくれていた。

この瞬間を私と過ごしているだけで、誰かに見てほしいと思って過ごしていないということ。

不特定多数の人に見せるつもりのない日常を晒されるのが嫌だということ。

その言葉を聞いたときに、私は、「ごめん」と咄嗟に思った。
そうか、これが誰かに見せる前提として成り立ってしまっているコミュニケーションに、不信感を抱かせてしまったんだな、と思った。

写真や動画は、残せるという利点もある。それがあるから、思い出として鮮明に思い出せるし、あのときこうだったね、と振り返れるものでもある。

けれど、それをどうするのか、というその先は、撮影した側に委ねられてしまっていることに怖さを感じたのだった。

私は夫に、「そんな気持ちを抱かせちゃって、ごめんね」と謝って、その写真は私の携帯の中だけにしまっておくことにした。

この出来事があってから、私は相手が誰であっても基本的に、SNSに上げる時は「掲載しても良いか」ということを必ず確認している。このことを別に、推奨している訳でも、良いと言いたい訳でもない。ただ、単純に、私の中では大きな気づきだった。

私は基本フリー素材だし確認されなくても全然気にしないよ、と思っている。一方で、その行為自体が、私とあなたの時間ではなく不特定多数の誰かのための時間に感じさせてしまうこともある。私の感覚と相手の感覚というのは当たり前だけれど、違うのである。

と言いつつ、夫の中では「これなら共有しても嫌じゃない」という基準がある。それは、共通の友人や家族に「元気にしているよ」とか、頂いたプレゼントや贈り物を「受け取ったよ」など、報告として写真を使用するとき。

そういう時は、夫は珍しく自分から写真を撮って送ろう、と言う。


きっと夫にとって、その報告の写真は、あなたと私の時間、ということなんだろう。

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