
お気に入りのマフラーをなくしてかえってきた話。
きっと誰もが「お気に入りのもの」というのがあると思う。私は、おそらく他の人よりもお気に入りが多い方だと思う。なぜか昔から、物にも感情があると思って生きてきた。
公園にポツンとおいてある手袋をみては、「あの手袋、寂しそう」と思っていた。なんだかかわいそうに思ってしまうのだ。
だからなのか、普段から自分の身の回りにあるものを、感情移入して接してしまう。
その日は、夫と映画を見に行っていた。映画を見て感動してビービー泣いて、鼻水垂らして「良い映画だったねえ」と言いながら、美味しい塩ラーメンを食べて帰ってきた。
とっても満足!な1日のはずだったのだが。
家に着いてダウンを脱いだ時に気づく。首に巻いていたマフラーがない。
「あれ、マフラーがない」
あえて言葉にして、改めてないことを再確認する。
映画を観ていた時には首に巻いていたことを覚えている。ラーメンを食べた時は?いや、ラーメンを食べる時にマフラーは巻かないだろう。
冷静に記憶を辿る。うん。きっと忘れてきたのは映画館だろう。でも、ラーメン屋も一応電話しよう。
そう思って、まずはラーメン屋に電話する。
「あの、先ほどお伺いしたのですが、黒いマフラーの忘れ物はなかったですかね。」
「少々お待ちください。……..いや、こちらでは見当たりませんね。」
「そうでしたか、ありがとうございます。」
やはりラーメン屋ではない。次は、映画館に電話する。
「あの、先ほどスクリーン8のK列13,14で映画を観ていた者なのですが、黒いマフラーの忘れ物はなかったですかね。」
「承知しました。別の映画が上映中なので、終わり次第確認しますね。」
「ありがとうございます。」
ありますように、と心の中で唱えて電話を切る。失くしたマフラーは、今年の11月に購入したもので、まだ使って3ヶ月くらいしか経っていない。結構気に入っていて、よく使っていた。そして、人気だったのか、もうどこにも売っていないマフラーだった。(サイトは全てsold out)
2時間後くらいに、映画館らしき番号から電話がかかってくる。急いで電話をとる。
「あ、もしもし。◯◯映画館の◯◯です。原田さんの携帯でしょうか?」
「はい、そうです!」
「マフラーなのですが、あの後おっしゃっていたお席まで見に行ったのですが見当たらずでした….申し訳ありません。また見つかりましたら、連絡いたしますね。」
「そうでしたか、わざわざありがとうございます。」
絶対あると思っていたマフラーが、なかった。映画館とラーメン屋になかったら、もうどこに落としたかわからない。
気持ちがズーン、となった。ああ、見当たらなかった….。肩を落として落ち込む。
ものを失くして落ち込んでいる私に、母はよく、「ゆかの身代わりになってくれたんだよ」という言葉をかけてくれた。母の言葉を思い出して、私の何かの身代わりになってくれたのだ、と思うようにする。
それでもやっぱり気になって、あのマフラーは今頃寒空の下、車に轢かれたりしているのだろうか、ゴミ箱に入れられてもう捨てられてしまっているのだろうか、とあれこれ考えてしまう。
こういう時に、物に感情移入してしまう性分はつらい。
それに比べて夫は物に一切執着がない。「物はいずれ壊れるか、失くなるからね」とあっけらかん。マフラーを失くして落ち込んでいる私に、「ゆかのマフラーもきっとどこか旅をしたかったんだねえ」と言っていた。
とはいえ、落ち込んでも見つかるわけではないので、またどこかでお気に入りのマフラーを探そう、と切り替える。
まだ少し胸は痛むけど、仕方ないと大人な対応をしてその日を乗り切った。
次の日、いつものように仕事をしていると、突然映画館から電話がかかってきた。
「もしもし。」
「あ、原田さんでしょうか?◯◯映画館の◯◯です。マフラー、見つかりましたよ!ありました!」
「え、本当ですか!どこに?」
「別のスタッフが、私よりひと足さきに映画館で拾って届けてくれていました。」
「わー、ありがとうございます!」
映画館の担当の人も、報告できて嬉しそうだった。お客さんの無くしものを見つけて電話をする瞬間って確かに、嬉しいだろうな。確実に相手が喜ぶことがわかっている電話だもんな。
感謝を何度も述べて電話を切る。映画館の担当者の皆様、本当にありがとうございます。
その後、無事に手続きを終えて、私のもとへとかえってきたマフラー。
たった1日だったけれど、持ち主が忘れた時、マフラーはどう思っただろうか。「おいおい、僕のこと忘れているよ!」と声を出せるわけではないし、物に感情があるわけではいのもわかっている。
わかってはいるけど、私の手元に戻ってきたマフラーは、なんだか、嬉しそうな気がした。
私も嬉しかった。戻ってきてくれて、ありがとう。
