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修士論文提出24時間前になった。

私は、現在立教大学リーダーシップ開発コース(以下、LDC)に通う、修士2年生である。2年間の集大成である修士論文の提出が、ついに24時間前になった。厳密に言えば、22時間前だ。

提出22時間前になっても、ギリギリまで誤字脱字や体裁チェックをやっている。何度見ても出てくる修正箇所。湧いて出てくる、虫のようだ。もうここまできたら、腹を括って出すしかないんだろうな、と思いながらできるところまでやる。こういうところ、負けず嫌いというか、諦めが悪いというか。

振り返れば、本当にここまで、私含めてLDCのみんなで頑張ってきたと思う。

特に11月、12月は私ももう必死だった。もちろん、四六時中修士論文をやる、ということはなかったけれど、修士論文のことを1日たりとも忘れることはなく、隙間時間があれば、執筆、執筆、執筆。

ちょっと疲れて現実逃避をしたくなって、SNSを開こうものなら、沼に落ちてしまうから、私はInstgramをアンインストールした。メッセージをくれている方がいたら、ごめんなさい!悪気はなく、見れておりません。

年末もみんなで大学の院生室で集まってもくもくと執筆して。院生室に行けない時は、zoomを繋いでみんなでもくもくと執筆して。

仕事もやって、家族もいて、一般的に激務と言われる大人が数十人と集まって、年末に院生室に集まったり、zoomに集まったりすることなんて、この先あるのだろうか。

そんなことを思いながら、「こうやってみんなと集まって何かをするのも、一つのことを同じタイミングで懸命に向き合うことも、本当に最後なんだ」と思うと、少し胸がきゅうっとなった。

修士論文に向き合うという時間は、本当に今しかない。今日というこの時間も、今日しかない。

まだ終わっていないけれど、修士論文を執筆するというプロセスを通して、私は自分がどう在りたいか、ということをずっと問われてきたように思う。

基本的に、執筆作業は一人の戦いである。サボれば自分に跳ね返るだけ。適当に書けば、読む人がわかるだけ。別に誰かに迷惑をかけたり、責任を問われることはない。(個人情報等の倫理的なものは責任が伴うけれど)

でも、だからこそ自分の本性があらわになる。どういう時に手を抜いて、どういう時に懸命になって、どういう時に諦めるのか。全部、全部、自分が知っている。誰にも見られていないけど、全部、自分が知っている。

私はこのプロセスの中で何度も何度も自分の弱さと、自分の強さを味わってきた。

「ああ、ここの部分、これでいいかな。」

そう思って、箸休めに同級生の修士論文を読んで、圧倒されて、また頑張る。LDCの良いところは、お互いの修士論文を読んで、コメント、アドバイスを17人全員ですることだ。そして、先輩たちも、快く手を差し出してくれることだ。みんな、自分のことだけじゃなくて、仲間のことを考えて行動している。本当に、本当に、すごいことだと思う。

正直、みんな余裕があるわけではないと思う。仕事もしながら執筆する中で、自分の修士論文が満足に書けていないことだってあると思う。それでも、仲間の修士論文に目を通して、コメントして、励まし合う。

私はそんな時間に何度も何度も救われてきたし、今も、zoomで同級生の仲間と繋ぎながら書いている。

残り、22時間。まだ、1月末には口頭試問があるから終わりじゃないけれど、ひとまずの執筆作業に幕が閉じようとしている。

提出したら、私は何を感じるだろうか、何を思うだろうか。

それを楽しみに、後少し。もう少し。駆け抜けます。



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