「お別れ」が苦手だ。
私は「お別れ」が苦手だ。
いや、そもそも「お別れ」が得意な人はいるのだろうか。得意まではなくとも、平気、という人はいるかもしれない。
「お別れ」は色々あると思う。
卒業、退職、死別、失恋…..
どの場面においてもとにかく苦手。
卒業式とかも、人目を気にせずにわんわん泣いてしまう。これまで一緒に過ごしてきた人たちと、なんだか別々になってしまう気がして、とても寂しくなる。
これまで色々な経験を積み重ねてきて、お別れは永遠のさようならではないってことぐらい頭ではわかっているし、きっとまたいつか会えるってこともわかっている。だけど、最近思う。頭でわかっていても、心は追いついていないことがある。
個人事業主になって、会社員だった時と比べて仕事や人との「お別れ」は一段と増えた。業務委託としてお仕事を受けているからこそ、お互いのタイミングやフェーズによって契約更新をしない、という選択肢があるから。
仕事であれ、恋愛であれ、友達であれ、家族であれ、いざそういう「お別れ」をするとなった時、私はいかにも「大丈夫です、全然平気です」って態度でいてしまう。本当は、寂しくて、悲しくて、胸がきゅーってなっている。だけど、そんな自分の姿を見せることができない。素直に、「寂しいです」とか「悲しいです」とか伝えられたらいいのだろうけど、隠してしまう。
私の好きな随筆家、若松英輔さんがこんな言葉を残している。
この言葉を見た時、そうか、人と出会って関係性を深めるという行為は、同時に「悲しみ」を育むことにもなるのか、と気づいたのを覚えている。
私はきっと、この「悲しみ」に非常に敏感で、恐れているからこそ、その恐れを振り払うように、「お別れ」を感じると、平然とした態度でいてしまうのだと思う。それがきっと、私の精一杯の防衛反応。だけど「悲しみ」が深ければ深いほど、目の前の人との関係性が深く、尊いものだったということでもある。
これまでを振り返ると、たくさんの人と「お別れ」をしてきた。意図的なお別れもあれば、自然なお別れもある。もう二度と会うことのできないお別れも、思い出すと、少し胸が痛くなるお別れもある。
でもお別れをたくさん経験してきた今、振り返ってみると、どのお別れに対しても「あの時はそれが私の精一杯だった」と思う。うまく伝えることのできなかったお別れも、誤解で終わってしまったお別れも、悔いが全くないお別れも、私の中では精一杯目の前の相手と対峙してきた結果。
もちろん、もっとこうすればよかった、ああすればよかった、と思うことはあるけれど、過去にタイムスリップしたとしても私は私に対して、「それでよかったよ」と言うんだと思う。
過去に、どうしても自分一人じゃ耐えることのできないお別れがあって、カウンセリングを受けたことがある。その出来事を思い出して話すと、涙がポロポロ出てしまうし、夜も眠れなくて、当時はどうにも辛かった。
そんな時にカウンセラーの先生はこんな言葉をかけてくれた。
最初は1週間後も、2週間後も変わらず辛いよ、と正直思った。決してこの悲しさは変わることなんてない、とも。
でも、1日、1日を積み重ねていったら、本当に少しずつ、少しずつ感情が和らいでいくことを実感することができた。もちろん全てを忘れることなんてできないけど、確実にその時の出来事を思い出すことは減っていた。
2週間後、またそのカウンセラーさんと話した時に、「2週間前に比べたら、大丈夫だって思える回数が増えました。」と正直に伝えてみた。そうしたら、カウンセラーさんから次はこんな言葉をかけてもらった。
この言葉をかけてもらった時に、きっとまた私は「お別れ」を経験するのだろう、と思った。
自分が生きている限り、「お別れ」を避けることはきっとできない。いつか人は必ず死ぬし、始まりがあれば、終わりがある。家族とだってパートナーとだって、いつかはみんな等しくお別れが来る。こればっかりは避けられない。不死身だったら別だけど、不死身じゃないし。
関係性を深めれば深めるほど、誰かとの「お別れ」は耐え難いものになるし、悲しみもものすごく深くなる。
きっと、自分がこれ以上傷つかないように、人との関係性を深めないという選択もできると思う。だけど、その「お別れ」を怖がって、目の前の人との関係性に蓋をすることはしたくない、とも思う。
人との関係性において何が正解か、なんてわからないけど、若松さんがいうように自分の中に「悲しみ」を育てていくことになっても、私は人との出会いと関係性を、絶やさないんだろうな、と思う。
でも、やっぱり、お別れは苦手だ。
苦手だし、苦手のままでいいや、と思う。
あと、「慣れ」たくない。
いちいち感情が揺れたらいい。
面倒くさくて良いのだ。
そして、苦手だから、今を共に過ごしてくれている人たちとの時間を大切に慈しみたい。
今は、きっとそれで良い。
このnoteを書いていたら、自分の家族のことを思い出した。
今年中には、家族に逢いに京都に帰ろう。待っててね。
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