植物をケアすることで、自分もケアをされているというお話。
私は植物が大好きで、家に10ほどの観葉植物を育てています。
フィカスウンベラータ、ジャスミン、ドウダンツツジ、ガジュマル、ゴムの木、ソテツ、コウモリラン、トックリラン、エアープランツ….などなど。
毎日成長を眺めて、触れ合って、たまに声もかけたりしています。
最近、友人に勧められて「プランツケア」という本を読みました。著者が華道家でもあり、RENという観葉植物販売店も営んでいらっしゃいます。
この本がとっても面白かったので、感想も含めてまとめていきたいと思います。
栽培植物には2種類ある
そもそも、栽培植物には、農作物と園芸作物があります。農作物は農業で栽培する野菜や穀物など全体を指す言葉で、園芸作物は、野菜や果樹、花卉(かき)といった集約的な栽培管理によって生産される栽培植物を指します。
この園芸作物の「花卉(かき)」の「卉(き)」という言葉が草花を意味します。
花卉園芸には、盆栽や園芸、フラワーアレンジメントなど花卉の栽培が多く含まれ、鑑賞を目的とした人間と植物の営み全般を指すため、鑑賞園芸とも呼ばれるそう。観葉植物の定義が難しいのは、こういう理由からと述べられいます。
観葉植物の手入れ
この本には、さまざまな視点での観葉植物の手入れについて説明されています。
環境、土壌、水やり、剪定….
観葉植物を育てたことのある人なら一度は悩んだことのある疑問にも答えてくれます。
例えば、水やり。「水は、いっぱい与えた方が良い」という考え方はNGだと述べています。
私もつい水をあげ過ぎてしまい、鉢底に水が流れ出てしまう時があるのですが、できる限り鉢底に水が流れ出ないようにするのが良さそうです。流れ出たとしても、鉢底の水は必ず、処理すること。根腐れの原因にもなります。
こういった、観葉植物の「育て方」について、プロの視点で「なぜこの方法が良いか」というところまで説明してくれるので、とても面白いです。
人間が植物に生かされている
この本で、筆者はこんなことを述べています。
植物は実際に、人間以上に様々な感覚があることを多くの事例が証明しています。この本では、下記の本から様々な事例が紹介されていました。
植物には知性もあり、記憶もあり、移動もできる。植物を擬人化して理解しようとすべきではない、と。
人間がこれから実践しようとしている持続可能性、循環型社会、自律分散型組織などは、遠い昔から植物たちはすでに行っていたということも述べられていました。
植物をケアすることで自分がケアされている
最後に、ここからは私の感想になりますが、植物を日々ケアをすることで自分自身がケアされている感覚になることがあります。
それは、植物に限らず、何かを「育てる」「愛でる」という行為が、ケアされていることに繋がるのかもしれません。
理由は、自分が関与することで、植物が成長したり、葉を茂らせたり、花を咲かせたり、という小さな変化を見れることが嬉しいから。
自分が水をあげたり、鉢を植え替えたり、栄養剤を入れたりすることで、少しずつ成長して、活き活きしていく。
そんな姿を見ると、自分という存在が、その植物にとってポジティブな存在であると感じるんですね。植物が、呼応してくれているような感覚です。
一方で、自分の関与で植物を枯らせてしまったときは、落ち込みます。関与し過ぎたかな、何が良くなかったのかな、とぐるぐる考えては「ごめんね」という気持ちになります。できる限り、再生できるように努力を尽くすようにします。
そんなことも含めて、私は植物たちにケアされているのだと思います。
そう考えると、ケアというものは、能動的に何か話しを聴いてもらうとか、言葉をかけてもらうとか、背中を撫でてもらうとか、そういったことだけではなくて、ただそこに「在る」という状態からも感じられるものなのかもしれません。
これからも、一緒に暮らしている植物を愛で続けたいと思います。
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