見出し画像

「人によって、違うよね」という言葉の違和感の正体。

例えば、人との心地よい距離感は、人によって違う。そしてそれは、パートナーとか友達とか両親とか、その人との関係性においても、違うかもしれない。だいたいおんなじって人もいるかもしれないけど。

私は最近、「人によって違うよね」という言葉に違和感を感じている。「人によって違うよね」は、自分でもよく使う言葉だ。

なんで違和感なんだろう、と思って考えてみたら、「人によって違う」って大前提の話で、たぶん、この言葉を聴いたほとんどの人が「そうだよね」と同意する言葉だと思う。

私はこの、この言葉を聴いたほとんどの人が「そうだよね」と言ってしまう力を持っている言葉に、ちょっとした「怖さ」を感じているのだと思う。

「そうじゃないんじゃない?」と言った瞬間、なんか間違えたことを言っている気にさせるような言葉。そういう言葉ってあるなあ、と思う。

例えば、「女性はスカートを履くべきだ。」
この言葉に対して「そうじゃないんじゃない?」と言っても、おかしくない、と思う。

例えば、「その人の考えていることは、その人にしかわからないよね。」
この言葉に対して「そうじゃないんじゃない?」と言ったら、どうだろう。

確かに、人によって違う、ということも、その人の考えていることはその人にしかわからないということも、その通りなんだと思う。私も言われたらそうだな、と思う。そうだな、と思うけど、その言葉を言った瞬間、何かが、ぱったりと、静まる感じがする。

「子どもは、できるだけ若いうちに産んだほうが良いよ」
「男の人ってさ、こういうところあるよね」
「女の人ってやっぱりこうされると嬉しいんでしょ?」

「いやいや、それは人によって違うんじゃない?」

そう、確かにそうなんだけど。「人によって違うよね。」と言った瞬間、うすーい見えない線を、その人との間に引いてしまうような感覚になる。その前に、この目の前の人の話を、もう少し聞いてみても良いかも、と思うようになった。

なぜなら、この言葉を発している人たちにはその人たちの物語があって、人によって違うという前にその人にとってはそう思う、ということだから。

「人によって違う」という言葉からその物語が始まると、その人の人生から少し離れてしまう感覚があるんだと思う。

私の場合、「人によって違う」という言葉を発したくなった時は、自分の中で「決めつけないでほしい」というメッセージであったり、一括りされてしまっている人の中から漏れている人の声を拾いたいという願いであったりするのだろう。

でも、その言葉の強さにも、気づき始めている。なぜなら、ある意味、それ以上、「言ってはいけない」というお札みたいな役割を果たしている気もして。

(人によって違うけど)あなたがそう感じたのは、あなたがそう思っているのはどうして?

というコミュニケーションを、最近は、特に大切にしたいと思っている。

「人によって違うよね。」
便利な言葉だ。その言葉を言っていれば、さまざまな人を包摂しているような気持ちになる言葉。

でもそれは、さまざまな人を包摂していたとしても、目の前の人の物語に触れようとしているだろうか。

「人によって違うよね」と言いたくなったとき、この問いを私は自分で自分に、投げかけたい。


いいなと思ったら応援しよう!