
東日本大震災から14年を前に、福島県を知る旅へ、1泊2日で仲間と行ってきた。
3月1日、2日の1泊2日で、福島県楢葉町、大熊町、双葉町へと仲間たちと行ってきました。
福島のことをちゃんと知る旅は、26歳ぶりで、約4年ほどの歳月が経っていました。
4年前の私と、今の私では、自分自身が感じることが違うだろうなあとちょっと恐い気持ちと、大切な仲間たちと福島を訪れることができるワクワク感と、いろんな感情が入り混じった状況で、仙台から福島へと向かいました。
1日目は、中間貯蔵施設へ見学へ。中間貯蔵施設とは、福島第一原発事故の除染で発生した土壌や廃棄物を保管する施設です。
福島県内の除染に伴い発生した土壌や廃棄物等を最終処分までの間、安全に集中的に貯蔵する施設として、東京電力福島第一原子力発電所を取り囲む形で、大熊町・双葉町に整備することとしています。
福島県内には、震災後13年が経った今でも、未だに帰還できない区域があったり、除染作業を進めている区域があります。
そして、中間貯蔵施設は、2045年3月までに県外で最終処分することを法律で定められています。私は東北に住んでいますが、正直なところ、そのことを知りませんでした。また、「2045年まであと20年以上ある」という時間の長さが、どんな意味を持つのか考えていました。考えても、何か答えが見つかったわけではないのだけれど。
施設の方の説明を聞いて、実際に中間貯蔵施設へ。施設まではバスで移動したのですが、道中では、震災当時のままの崩れた家や、瓦礫、錆びた車、税込105円のままのチェーン店、その場所だけが時間が止まったままの光景が広がっていました。
私が大学生の頃も、同じような景色を見たはずなのに、やっぱりこういう景色を見ると、胸が苦しくなり、そこにさまざまな人たちの生活を想像してしまい、言葉がうまく出てきませんでした。そして、少し、目が滲みました。

そのあとは、宿泊施設に行き、参加者のみんなで、その日に感じたことをシェアしあいました。それぞれが感じたことを聴きながら、私は改めて一人ではなくて、みんなと来られて良かった、と思いました。
2日目のチェックアウトでも話したのですが、私は、一人でこの現状と向き合う事がこわくてできなそうだ、と思ったんです。でも、こわいからと向き合いたくない、向き合わない、という理由にはならなくて。
ちょっとこわいから、みんなと一緒に来られて良かった。社会で、世界で、自分の知らないところで、何が起きていて、それに対して自分がどうやって受け止めて、咀嚼して持ち帰るのか、みんなと対話しながら噛み締められた。
今の所の私が出した結論は、福島で感じた「忘れたくないこと」を今生きている日常に飲み込まれないようにちゃんと手触りを持って、確かめて生きていきたい、ということでした。きっと、それを確かめたくて、私は福島に足を運んだのだと思います。

正直、まだこの旅の出来事をうまく言葉にはまとめられていません。参加してくれた一人のメンバーが、「この旅が、うまくまとまってほしくないって思っています。束ねないまま、散らかって終わればいいなって。」と言っていて、腑に落ちたんです。
本当に大事なことや大切にしたいことは、うまくまとまらないものなのかもしれません。
でも、この旅で感じたことは忘れたくないから、精一杯の今のわたしの気持ちだけでも、綴っておきたい。
この旅で感じたことや考えたことを、非日常としてではなく、ちゃんと日常として私自身が、続かせていくこと。
それが、私の意志でもあり、願いでもあります。
自分の感受性くらい、自分で守れ、ばかものよ。
