母という呪縛 娘という牢獄 を読んで


本作の元となった事件

滋賀医科大生母親殺害事件

は2018年に起こった事件です。
当時ニュースで流れていたことを鮮明に覚えているのは、事件の残虐性もさる事ながら「母親の異常なまでの教育虐待」でした。

9年の浪人生活を経て、あかりさん(仮名)は実の母親を自らの手で殺害してしまいました。

もしこの本に出会わなければ、私は彼女に同情するだけで、またいつも通りの日常を過ごしていたと思います。

この本に興味を持ったきっかけとしては、漫画作品として公開されている一部を見て、中学受験をする私と変わらない教育を受けているシーンが描かれていたからです。

自分の話になりますが

・平仮名を書けるようになるまで、壁に向かった机で勉強させられる(泣いても終わらない)
・小学校にあがるまえまでに時計の読み方をテストされる
・小学校のテストは100点が当たり前
・初めて通信教育で75点をとった算数は、返却された用紙を握り締められ机を激しく叩かれる(萎縮して机の下に隠れて泣いていた)
・受験期に点数が悪いと、「勉強をする気がないなら参考書は不要だ」とマンションのゴミ捨て場(生ゴミと同じ場所)に参考書を捨てられる
・上記は追いかけて、捨てられた参考書を広いあげ「勉強させてください、ごめんなさい」と冷たい玄関で土下座し謝る

ざっと思い出すだけで、私の12歳までの教育は日々このようなものでした。

私は幸いなことに、中学受験まででこの教育は終わりましたが、鉄パイプで殴打され、偽装した手紙を書かされ、冬の庭で土下座をさせられ、日々罵倒されていたあかりさんは、何を思っていたのでしょうか。

作中では「諦め」と取れる受験の年もありましたが、それも含め家出も複数回失敗。
まさに牢獄という表現が正しい人生だったのだと思います。

しかし彼女は決して、ずぅっと母親を憎んでいたわけではありませんでした。
看護学生時代は、一緒に旅行へ行って二人で笑ってる写真を撮ったり、趣味のガーデニングに付き合ったり、母親がツムツムをしていたりと「普通の親子」に漸くなれた描写も見られます。


ただ、本当に一瞬の出来事で
またこの幸せなひと時があったからこそ、冬に起きた母親の癇癪から引き起こされた行動があかりさんの心を壊す引き金にもなったと考えています。

・お互いに何かしらの精神疾患を抱えていた(あかりさんは自閉症スペクトラムと後に診断されています)こと
・母親が、子どものあかりさんをもってして自分の成功体験を得たかったこと
・母親として子どもの未来を考えていたこと
・父親が早くして別居を始めたこと

色んなことの重ね合わせで、起きてしまった事件だと思いました。

一概に「誰が悪い」という話ではありません。

親族との関係性で異常を感じたときに
・頼れる第三者がいる
・行政がいる
・病院がある
ということは、私たちにとって当たり前でも渦中にいる人達にとっては見えない世界なのかもしれません。

もし、これから関わる誰かがそうなったときに救えるように。
また自分自身が子どもを授かって受験に挑むときがきたら、同じ過ちを繰り返さないように。

そういった教訓を得られる本でもありました。

まだ子どもを持つ身ではありませんが、私自身が大学生の頃に高校受験を控える子たちに勉強を教えており、二度(おそらく)生徒の受験を体験しているので
期待や絶望、努力が入り交じり、これからの未来が大きくかかっている受験は間違いなく人生を決める一手であると思っています。
子どもも親も、真剣に向き合えば向き合うほど、合否に関わらず心を大きく揺らすものであることを身近に経験しているからこそ、私には母親の気持ちも一概には否定できませんでした。


最後に

作品は360ページほどで事件の詳細も書かれているため読むなかで心が疲弊するときもありますが、私は3時間ほどで読み終えました。

こちらを記載したあとにもう一度読み、加筆修正があればこっそりやろうと思います。

私は現在、両親と少し距離を置いて暮らすことで共依存を防いでいます。
このお話も、いつか同じ境遇の方の本等を読んで記せたらいいなと思っております。

駄文とはなりましたが最後までお読みいただきありがとうございました。

asuka


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