「街」への愛着① 社会人になったら日曜日にきゅんとしたこと

ネタバレあり。

「街」を初めてプレイしたとき、私は学生だった。あっという間に心を掴まれてドハマリ、全バッドエンドを回収しても全TIPSを回収しても飽き足りず、この「街」を隅々歩き回ろうと、何周も繰り返しプレイした。

特に、本筋には全然影響しないモブキャラや、登場人物たちの本筋と関係ないプロフィール、登場人物同士の偶然の接触シーンが大好物だった。涎をたらすかのようにそれらを書きとめてデータ化しては喜んだりして、語り合う相手もいなかったが、世界をつくづく楽しんだ。今でもチュンソフトのロゴを見るとあのボイスが自動再生されるし、続けて「夜明けのうた」の伴奏が聴こえてくる。

発売以来二十年、時折思い返しては懐かしみながら再プレイをした。

正志シナリオの「七曜会」は、自分の中で最も印象の変化したシナリオだった。

渋谷という都会で普通の青年が、危ない裏世界に巻き込まれ、淡い恋があったり、思わぬ悪の才能に目覚めかけたりしながらも、ラストには対決も経て、無事脱出。よかったよかった。そんな印象で、初回は完結を見届けた。

でもある程度の年齢になり、社会人になってプレイして、わかった。わかったとき、クスッと笑った。正志が巻き込まれたのは、地下の危ない世界じゃなく、我々の普通の世界だ。「世間」だった。大学を卒業して本当に社会へ出る前に、正志はひと足早くそれを体験したんだ。

七曜会のメンバーとして初めて人を脅迫した正志の様子のたどたどしさ、人慣れていなさに、社会人になりたてだった未熟な自分を重ねた。

条件を伝えるばかりで及び腰、相手の突っ込みに答えられずにあたふた、権威に慣れた熟年の女性に「子供と交渉する気はないって上に伝えなさい」と言い捨てられて失敗してしまった正志。
各ターゲットへのミッションで繰り広げられるのは、よくあるOJT、よくある仕事の光景だった。

生真面目すぎてやりにくい先輩、飄々として掴みどころのない先輩、やる気がなくてなにも教えてくれない先輩、横暴でミスを押し付けてくる先輩。いろんなタイプの先輩がいる。 納得行かない仕事。仕組みのわからない仕事。アクシデント、ドジ踏み、泥臭い感情トラブル、いつの間にか、なんだかんだでクロージング。

顧客だってみな人間で、誰にも事情がありプライドがあり、弱みを握られていたって簡単に言うことは聞かない。保身のためならどんなこともする。思わぬ傷や悲しみを垣間見せられることもある。一見まともそうに見えていても、世の中は変な奴ばかり。組織をなめられれば話を聞いてもらえないし、自分の本気を見せなければ交渉にはならない。目的はとにかく、単価を払ってもらうこと。そして、組織の顧客かつ駒たるメンバーとして、関係を獲得すること。

実務のフォローも、職務範囲を超えようとした際の指導も、褒めとフィードバックのコミュニケーションも怠らず、自ら誰よりも地道に熱心に正志をサポートをする日曜日の、上司としてがんばりにきゅんとした。自分自身をミステリアスに演出していても、根は真面目なタイプだよね(山羊座だと思う)。

正志の初仕事の成功を見届けたときの彼女の嬉しさが、ありありと想像できる気がした。思い入れて育てたゆえの、最後の失意も。

なんといっても、正志は素直だ。屈託がなくて警戒心が薄い。人に教わることができる。ひとまずやってみることができる。日曜日の立場にとって、それは実際、なによりありがたい資質なんだ。能力や知識の量や、自信ありげな振る舞いのできる才能なんかよりもずっと。

このシナリオの結末が、世間の仕組みを知りそこでの振る舞いを身に着けた正志が、やがて七曜会のトップとして日曜日とともに世をのし上がっていく…というものでなかったところに、感慨を抱いた。

なにも知らず、その分なんでも吸収するまっさらな自分だと自覚し認めたうえで、正志は日曜日と決別した。世間を教えてもらった日曜日、いわば現存の社会、その力学の象徴である日曜日の語る欺瞞、内包している矛盾に気がついて、自分自身の考えでそこには迎合しないという選択をした。

これから自分はどんなものにもなれる。なんでもできる。一から自分自身で築いていくのだと言って、日曜日を置いて立ち去っていった。

なんとも頼もしい若さ。見慣れた「世間」のおかしみが存分に語られた後で、新しい世代の風を予感させる結末は、さわやかだった。このゲームの世界観の中で、なお魅力のひきたつ名シナリオだった。

「街」という作品は、IFまでも含めた膨大な量の情報と、それを結ぶネットワークの提供によって、プレイヤーの前になにかを再現しようとしたゲームだと私は思う。「街」そのもの、人の集まりをだ。

それは感情や関係や偶然や思惑からなる「人々」と、それを受け入れ活動させ続けるための「仕組み」の両方を意味する。

仕組みと自分とをなんとか折り合わせて、がんばっている人がいる。折り合わせるために自分を痛めつけている人がいる。傷つきながら真正面でぶつかっていこうとする人がいる。どうしても折り合わせることができず、弾き飛ばされてしまった人がいる。

さまざまな形の摩擦、そして影響しあう関係を、個々のドラマにフォーカスしながらも全体の運動として俯瞰するようにも眺めることができるのが、「街」の無二の趣だった。

街にもみくちゃにされる愛しいキャラクターたちの中で、正志の存在はまっさらな純真で、ジョーカーでもあった。

通ったのは大通りでありながら、抜け道でもあった。複雑な味わいのあるストーリーだった。


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