世界を憂いながら畑を耕すJan22.2025
不穏な空気が渦巻いている。それは直接的に私たちの生活に目に見える影響を及ぼすものではない。だけど、着々と好ましくない方向へと傾いていく部分がある。
そんなこと、今更言うまでもない。コロナが始まった時から、ロシアのウクライナ侵攻が始まった時から、パレスチナへの攻撃が始まった日から、挙げだすときりがない。そもそもこれまで不穏でなかった時代など、なかったのかもしれない。
先日、アメリカでトランプ氏が大統領に返り咲いた。以前にも増して米国民がトランプ氏を求めている。"Great America again!"と声高に叫ぶ群衆に、米国の衰えを憂えずにはいられなかった。
人はすぐに特効薬を求めたがる。不安定な時ほど、強い言葉や強い権力を求める。それが引き起こしてきた数々の過ちは、少し歴史を振り返ってみれば枚挙にいとまがない。
トランプ氏が見ているものは、ただ、自身のビジネスの成功しかないことは誰の目にも明らかである。それでも、国を託したくなってしまう程に、今の米国も弱っているということなのか。
先日観た映画の中で、核爆発によって破滅した近未来のLAが描かれていた。その悲劇について「一瞬にしてすべてが灰になった。」という言葉で語られていたのが気になっている。現実に核爆発が起これば、そんなに単純なことでは済まないことを、もっと映画の中で描くべきではないだろうか。
人々は焼けただれ、生きているのか死んでいるのかも分からない人々が水を求めて街を彷徨う姿を。せっかく命をとりとめても社会からの偏見と放射能による後遺症に、もしかすると死ぬより辛い生活を強いられた人々の苦悩を。
昨年の夏ごろからゆっくりと読み進めていた漫画「はだしのゲン」を読み終えた。子供の頃、アニメ版を観てしばらく飛行機の音におびえる程にトラウマになっていた。
原作では、原爆の恐ろしさはもちろんこと、歴史、政治、教育、生きていく上での様々な教訓が詰まっている。戦争の悲惨さだけでなく、どんな時代にも生き伸びてゆく勇気をくれる作品だった。
弱っている時ほど、強い言葉を発する人とは距離を置き、不安定な時ほど、身近な小さな声に気を配り、助け合う。みんなが向いている方向ではないところにこそ、糸口はある。
年明けからの野菜の高騰に閉口し、今年は野菜作りにも精を出さなければと、久々に畑を見に行くと、育ちすぎたラディッシュが一つ。雑草に紛れて、もはや野生と化した春菊が見つかった。庭先でこうした実りを得られる生活こそ、今の私の最も信じられるものである。