大阪の街は大阪城を東にいただいているため、町割が東西が通りで南北が筋。ニューヨークでいうならアベニューとストリート。 明治あたりから道の主従が逆転したらしいけど、かつての幕府直轄地で大坂城下の発展の中心でもあったエリアを船場と書いて「せんば」と読む。 千年の都京都の京言葉を意識した船場言葉なるものもあったらしい(ってチコちゃんが言ってた)。 そんな船場の名を冠するタテモノを見学させて頂く。 以前タテモノの前に行くと見学希望者は事前に連絡をという事だったので電話して午後1時
ピカソが所持していたピカソ作のリトグラフ。 200枚のうちの3番目。 藤田嗣治から譲り受けたパリの地図 裏面にメディチ家の刻印があるモナリザの複製。 こういうものがフツーに飾られている京都の繁華街の中を流れる高瀬川沿いにある、1934年にオープンし現在も営業をしている現役のカフェ、というか喫茶店。御歳87歳のお店。 オリジナルのサブレと、創業時からの名物でもある少し軽めのウィンナーコーヒーのようなコーヒー(フレッシュクリーム)。 今はブラックで飲まれる方が多いから、
揚屋建築の条件 ・大座敷があること ・その座敷に面した庭があること ・その庭に茶席を配すること ・お寺の庫裏と同等の台所を備えること で、揚屋とは? 揚屋というのは舞妓さん、芸妓さんがくる、いわゆる料亭兼大型宴会場。 この「角屋(すみや)」は現存する唯一の建築物という訳で重要文化財。 1641年竣工なので築380年。 京都において最大規模の宴会場だったこともあり、なんと幕末には志士や新選組がたちがあつまり会合や宴が催された場所。ここの松の間で宴会を新選組が催したあと、新