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真夏のもつ鍋 第18回 月刊中山祐次郎
本作は、友人である外科医けいゆうさんが書いた「第1章「彼との出会い」〜新書「正しい病院のかかり方」ができるまで」に対する返歌として書かれたものです。
その年の夏はとにかく暑かった。
私は当時38歳で、京都大学に学生として1年限定で妻と移り住んでいた。京のまちの北東はずれ、京都大学医学部キャンパスからすぐ近くの築78年の一軒家で、僕は毎日ガリガリ君というアイスを買って食べた。九州の南端・鹿児島に住んだこともある私にとっても、京都の暑さは尋常じゃなかった。幸い大学院は長い夏休みを学生に与えていたから、外出はしなくとも過ごすことが出来た。
そんな折、「けいゆう」というペンネームの男から連絡をもらった。幾度かやりとりをし、細かくは忘れてしまったがとにかく一度会うことになった。正直なところ、僕は会う数日前から少しおっくうな気持ちだった。元来、新規の人に会うのは好きではない。それも、学校や職場で強制的に一緒の空気を吸った人でない、まったく新しい人に会うのはあまり好きな方ではない。おまけにこの灼熱の季節に、会うのはもつ鍋屋だという。一体どういう嗜好なんだ。さらに年下の同性という属性も、おっくうさを増やしていた。
会う日になった。38度を超えるような日で、古都の空気はゆらゆら揺らいでいた。半ズボンの外国人観光客も、自宅の前を苦しそうに歩いていた。それでもようやく夕涼みになり、妻に追い出されるようにして家を出た。歩いて20分ほど、私はそのもつ鍋屋に着いた。真夏にもつ鍋屋が開いていることにも驚きだが、店に入ると、やはり一人も客はいなかった。丸いちゃぶ台がいくつか置いてある、古民家を改造した店だった。
「いらっしゃいませ」
初対面の人と会うときは、最低でも15分前には店に入る。早いときは30分前だ。先に着いている、それだけでも誠意を伝えたいと思うからだ。座布団のおかれた席につく。「掘っていないコタツ」状態の席が苦手な私は、腰と膝が痛むだろうと確信する。タイムリミットは2時間だ。そう覚悟しつつ、しばし携帯電話ですでに一読していた彼のブログを見ながら待つ。約束時間の10分前くらいに、その人はやってきた。
「はじめまして」
細身のスタイルに、真面目な雰囲気。風のように入ってくると、けいゆうさんはちゃぶ台の対面に座った。名刺を交換する。「あ、本名は山本なんですね」「すいません、めっちゃ普通です」緊張の面持ちでも冗談を言えるのは、関西人の才能だな、そんなことを思いながら真夏のもつ鍋が始まった。
これまでの自分のこと。現在の研究のこと。発信への思い。
暑い店内で熱いもつ鍋を突きつつ、彼ははちきれんばかりの思いのたけを、しかし極めて理性的に語った。私は、思った。
この男…異常だ…
聞けば、かつて新聞への投書を続けていたという。それがいつか新聞の担当者の目に止まり、書籍や連載などに繋がるのではないかと思っていた。投書は10や20ではない。100を超える数を投書し、採用率も上がりいつしか投書欄の常連になったという。「それでも全然発信につながるようなことは何もなくて、ブログを始めたんですよ」そのブログはかなり戦略的に運営されていて、SEO対策まで考え抜かれていた。私が知るSEO対策の専門家から聞いたような話が、彼の口から出てくることにも驚いた。ブログのページビュー数にしても、一ブログの数字ではない。
なにより、そんな話をする彼の目の奥は燃えたぎっている。もう完全に狂っている。
私は思った。この病的な熱量。必ず世に出さねば。
大手出版社・幻冬舎社長の見城徹さんが世に広めた言葉がある。
「すべての新しいことは、いつもたった一人の孤独な熱狂から始まる」
4年前、私は東京・麻布十番の汚いアパートでひとり熱狂した。孤独だったマグマのような熱狂はやがて噴出すると人の目に止まり、私は出版・連載という形で世に出た。今度は私がこの男の熱を引き受ける番だ。
「けいゆうさん、本出しましょう」
この男にまだ企画力はない。出版社とのつながりもない。しかし、泉のようにあふれるアイデアと行動を持っている。その溝は自分が埋めて、この男を世に出さねばならない。いつの間にかけいゆうさんは私より多めにもつを食べていたため、もやしだけの残る鍋を突きながら、走り出す自分の頭を止められずにいた。
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