今日のポジティブ日誌(2024.11.21)
今日は久しぶりに宝塚市の「阪神シニアカレッジ」に聴講生として出かけた。(高齢者向け市民大学ですね)今日登壇されたのは、千里金蘭大学の明里千章名誉教授。テーマは「科学者のことば」ということで、主に寺田寅彦と湯川秀樹の残した言葉、エッセイから現代の諸問題を考察したものだった。
ここで明里教授が言う「現代の諸問題」とは、「震災」と「原発」である。
寺田寅彦は「地震雑感」(中公文庫)のなかで、「天災は忘れた頃にやってくる」の名言を残しているが、要は、
◉地震と震災は違う。(地震は防ぎようもないが、震災は防災の手を打っておくことでかなりの部分防げる)
◉しかし人間は愚かなので、100年に1回の備えは、自分の生きてる間には関係ないと、為政者はスルーしてしまう、よってまた人災が繰り返される。
と主張する。
例えば、(これは田山花袋の記だが)江戸時代は、火事の延焼を防ぐため、「火除地(ひよけち)」を設けていたが、明治になってその土地にどんどん家を建てていったため、関東大震災の時には大火災を誘発した、と田山は嘆いている。
一方、湯川秀樹は、理論物理学者としての信念から原子力発電の性急な導入に警鐘を鳴らし、反対の意を示していた。
「20世紀の人間は、自分の手でとんでもない野獣を作り出した。(中略)原子力の野獣はもはや飼い主の手でも完全に制御できない凶暴性を発揮し始めたように思える」これは原子爆弾についての記述だが、原発の危険性も考慮に入れてると感じられる。
のちに、米国の「原子力の平和利用」という方針のもと、読売新聞のオーナー、正力松太郎氏(この人は1955年に原子力担当国務大臣に就任し、原発の推進役になっていく)と政治家 中曽根康弘によって、原発の導入・設置は日本の国策になっていく。湯川氏は1956年の原子力委員会のメンバーに選ばれるが、委員長の正力氏が5年後に原子力発電所を建設する構想を表明すると、「我が国の将来に重大な影響を及ぼす懸念がある」と抗議し、委員会を辞任してしまう。
この後、日本は原発誘致に猛進し、結果2011年に(高いレベルの津波の危険は想定されていたにもかかわらず、東電がその情報を無視し対策を講じなかったことも災いし)東日本大震災の巨大事故が発生したのは記憶に新しい。
また、明里教授は他にも、関東大震災時の朝鮮人大虐殺をめぐり、現行政府が「事実関係を把握できる記録はない」と言い出していることを、「歴史修正主義」として紹介するなど、現代政治にも鋭い批評の目を向けられた。
記憶に残る講演だった。