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渋沢栄一とアドラー

昨年はNHK大河ドラマ「青天を衝け」を毎週見て、これまでほとんど知らなかった渋沢栄一の生涯を知りましたが、そこで面白いことに気づきました。渋沢とアドラーは同時代人なんですね。
渋沢栄一は1840年生まれで1931年没。アルフレッド・アドラーは1870年生まれで1937年没。渋沢の方が30年早く生まれていますが、寿命が長くてアドラーと同じ1930年代まで生きています。
渋沢は晩年に渡米して、各地で講演する様子がドラマでも描かれていましたが、実はほぼ同じ頃にアドラーもオーストリアから渡米し、各地で講演しています。
渋沢の講演の目的は、「日米親善」であり、その背景には、1924年に米国議会で成立した排日移民法によって日本人移民の受け入れが拒否されることになったことが挙げられます。なんとか両方の国民の気持ちをつないで、架け橋になろうとしていたのでしょう。
一方アドラーの方は当時思想的中核として「共同体感覚」という考え方を打ち出しており、その意味について英語で説明する際は“social interest(社会への関心)”という言葉を使っていました。この社会への関心というのは、自分が所属する「内側」の社会ではなく、その「外側」にある社会に関心を持て、ということだったようですね。
アドラーは第一次世界大戦に軍医として従軍し、そこで多くの負傷兵を見た経験から、国家という共同体に没していては国家間の紛争は解決しないと考え、自分の共同体の外(つまり外国)の人々に思いを巡らせるよう、社会に働きかけようと考えたと思われます。
こうしてみると、渋沢栄一とアドラーは(国家主義を乗り越えようとする)同じ土俵で、同じ思想・働きかけを行っていたことが分かります。
この2人の主張が、100年の時を経て、今の我々に強く働きかけるのは何故か?それは、国とか企業とかの閉じられた社会にこもるのではなく、外の世界(それは人間社会だけでなくその周囲にある自然環境・生態系にまでも)に関心を持って働きかけることの重要性を説いているからだろうと思います。

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