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ポスト資本主義の展望

(写真は「資本論」を著したカール・マルクス[1818−1883])

最近、ふとしたことがきっかけで、現代の資本主義について考えるようになった。「ふとしたこと」というのは、NHK・Eテレの番組「100分で名著」にマルクスの「資本論」が登場したことだ。番組の中で、この難解な大著を分かりやすく解説したのは、大阪市立大学の准教授、斎藤幸平という人だ。

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(大阪市立大学准教授 斎藤幸平氏)

斎藤氏は2018年マルクスの研究書「大洪水の前に」でマルクス研究界最高峰の賞ドイッチャー記念賞を日本人として初めて受賞した。まだ30代の学者だが、すでに自著を数冊執筆していて、近著「人新世の資本論」は現在、新書でベストセラーになっている。

カール・マルクスはもちろん19世紀のドイツ人で、当時勃興していた資本主義を研究し、将来は必然的に社会主義が訪れるだろうと主張した人だ。実際には1990年前後のソ連や東欧の崩壊などで多くの国家社会主義は破綻してしまい、中国やベトナムなどは逆に資本主義を導入することで国を建て直して来ている。そういう流れの中でマルクスの思想は過去のもの、という感じが定着していたと思っていたが、この番組で斎藤氏の解説を聞いていると、そうでもないのかな‥と思う。

資本主義のもつ欠陥

斎藤氏の解説によると、マルクスが指摘した資本主義の欠陥は大きく2つある。

1つは、資本家が地域にもともと存在していた「富」を収奪して「商品」を生み出す過程で、自然環境を含む公共財(コモン)を私物化し、あるいは損ねてきたことだ。ここでいう「富」とは、河川、樹木、鉱石などの自然物、あるいは公園や図書館といった公共施設を指す。

例えば「◯◯山のおいしい湧き水」という商品があるとする。もしこれが◯◯山の湧き水をペットボトルに詰めて販売しているとしたらどうだろう?もともと◯◯山の湧き水はタダで、誰でも自由に飲めたはずである。ところがある日いつものように登山愛好家がその山に入ると、土地の一角が柵で囲われていて、湧き水が飲めないようになっており、そのすぐ横に自動販売機があって、「◯◯山のおいしい湧き水」のペットボトルが販売されているという按配だ。それってちょっとおかしくないか?山の湧き水は誰でもタダで飲める「公共財」のはずだが、それが結果的に有料になり、企業がその利潤を受け取ることになる。そんなことが社会の進歩と言えるのか?ということだろう。

町の公園も昔はタダで子供たちが遊べる空間だった。鬼ごっこも野球も縄跳びもかくれんぼもできた。ところが企業がその土地を購入し、そこにテニスコートを作ると、そこではもうテニスしかできなくなる。しかも有料。予約も必要になるだろう。そういうのが真の豊かさと言えるのか?ということだろう。

資本主義のもう1つの欠陥は、資本家が労働者を搾取して資本を増大させるため、資本家と賃金労働者の間に格差が拡大し、結果的に多くの労働者が貧困にあえいでしまうということだ。これは今日トマ・ピケティの「21世紀の資本」で世間にも広く認知された現象だが、資本主義社会に住む以上、この法則からは抜けられない。

この2つの欠陥は21世紀に入ってもそのまま拡大し、今日の気候変動や格差社会の到来につながっている。これら重要課題は通常は国や地方自治体が、企業や市民から徴収した税金を使って行政で解決する類いの問題と考えられてきたが、現実にはなかなか解は見つからない。

処方箋

斎藤氏は、このような問題はもはや私企業の技術開発や一国の行政で乗り越えられるレベルを超えていて、根本的に産業革命以降、世界を支配してきた資本主義そのものを終わらせない限りは解決しないと主張する。

では具体的にどうすれば良いのか?斎藤氏の語る処方箋は、まずは病院、介護施設、学校、農場といった社会のとって重要なインフラを、(資本家ではなく)その仕事に携わる労働者あるいは周辺の市民が自立的・民主的に運営するような仕組みに変えていく。そのことによって資本の無制限な膨張を回避し、持続可能な定常型経済社会の実現を目指す、というものだ。

実際にこのような運動は世界各地で始まっているようで、斎藤氏の著書「人新世の資本論」では、スペインのバルセロナ市の市民運動が紹介されている。同市では近年、観光客を見込んだ「民泊」の過剰進出で一般住宅の家賃が高騰し、貧困層の住まいが失われる事態に見舞われた。これを受けて、市民の運動体が発足。そこから新たな市長が生まれ、市の行政を動かしていく様子が描かれている。

ボクはこの本を読んで、1995年の阪神淡路大震災におけるマンションの復興を思い出した。当時ボクが住んでいた西宮のマンションは、5棟からなる大規模マンションだったが、震災で大きく壊れ、建替えか補修かを住民が決めなくてはならなくなった。当時は国からの補助もなく、復興の指針も示されなかった。まさしく公共財(コモン)を自主運営する場面に直面したのである。マンション理事会の活動や住民運動によって最終的にそのマンションは補修を決議することになるのだが、民主的な手続きで結論を得るまで2年半にわたる長い議論や試行錯誤があった。

「ポスト資本主義」のビジョンは?

こういう個々の動きが「資本主義社会のダメなところを補完する」という話であれば、斎藤氏の思想も充分世間に受け入れられると思うが、彼の描く未来像はもっとラディカルでその中核は「脱成長コミュニズム」というものだ。つまり資本の自己増殖こそが諸悪の根源なので、ここを野放しにしないよう自治体(あるいは地域共同体)が規制をかける、そうすると当然経済成長にブレーキがかかるので国のGDPは下がっていくが、それを「是」とする。しかしこういう認識が一般化するか?というと、それはものすごく抵抗があるんじゃないかなという気がする。
すでに日本の債務残高はGDPの2倍を超えており、毎年の予算の足らない部分は(次世代にツケを回す)赤字国債で補っている状態なのに、ここで企業の経済成長を鈍化させたら、法人税や所得税が減少し、いよいよ国家運営は行き詰まる、と普通は考えると思う。

戦後の日本、特に1980年代〜90年代は「民営化=社会の進歩」という図式があって、NTT(電信電話)、JT(タバコ)、JAL(航空)、日本郵政、JR(鉄道)と、どんどん民営化、すなわち資本主義化が進んでいったが、斎藤幸平氏はそれとは真逆のことを主張しているように見える。

斎藤氏が思い描く、「ポスト資本主義」のビジョンとはどのようなものなのか?そしてそのステージへどうやって移行するのか?その辺りがまだ鮮明になっていない気がする。その辺りが次なる課題だと思うが、Eテレの司会者、伊集院光氏が語っていたように、「(全体像が分かってから始めるのではなく)今我々が気づいてできることから始める」のが良いのかもしれない。

(下の写真は、芦屋市のジュンク堂で新書第1位を獲得した、斎藤幸平著「人新世の資本論」)

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